第82頁目 命を賭けるべき時はいつ?

『キュイッ! キュイッ!』


「よしよし。お待たせ。」

「そのエカゴット、よく懐いてるね。」

「えっ、ま、まぁ、僕が……出来るだけの事はやってるので……。」


 長閑のどかである。耳に触れる微風と混ざりあった声。真横から差し込まれる陽光により長く伸びる影はまるで夜の足跡に聞こえ、焦りは常に俺の心臓を突き刺し、掻けもしない汗の存在を錯覚してしまう。マレフィムは無言で俺の頭の上に腰掛け、何かを手記に書いていた。何も話しかけて来ないのも、それでも側に居続けてくれるというこいつなりの気遣いなんだと思う。しかし、申し訳ない事に全ての物事にむかっ腹が立ってしまうのが俺の現状だ。唯一の救いはそれを理解しているというだけ。無限の怒りとそれを抑える苦痛のエターナルマッチポンプに、脳が灼かれていく。


 どうすれば……どうすれば…………。


「……ソーゴ、いえ、クロロさん。」


 予想外の行動だった。マレフィムが頭から飛び降りて俺の目の前に立ち、話しかけて来たのだ。地面にへばりつくように不貞寝ふてねしている俺の鼻先に、その小さい手を添えるマレフィム。その不可解な行動に俺の怒りは瞬時にして勢いを弱める。猛火は燃え尽きる手前だったという事なのか。とにかく、俺の意識は目の前のただ一人の女性に向いていた。


「私は、ミィさんを見つけ、また皆で旅をしたいです。クロロさんがミィさんを求める心は確かでしょう。ですが、私がミィさんを求める心も確かなのです。お互い比較する事は出来ません。ですから……これは、私の意見を通せばクロロさんの思いが劣っているというような話ではないのです……。」


 捻くれた俺には背けたくなるようなマレフィムの真っ直ぐな眼差し。そこに澱みは無く、一切の疑念を抱かせてくれそうにも無い。俺は無駄な抵抗と知っていて尚、目を細める。


「クロロさん。今、私達に出来る事は知らぬ土地を彷徨い延々とミィさんの名を呼ぶ事。そして、ミィさんがいなくなった直後に現れたゴーレムから情報を集める事。この二つかと思われます。その中から、ミィさんについて有力な情報を得られる可能性の高い『ゴーレムを探す』という方法を選ばせては頂けないでしょうか……失敗した時の責任は私がとります。」


 ……こいつは何を言ってるんだろう。責任だなんてとって欲しい訳じゃない。俺は俺が秘密にしてる知識と俺の勝手な推測でロボットを倒すなんて無理だと思ってるだけなんだ。ミィを探す為にやれる事はなんだってしたい。でも、その為にマレフィムやルウィアが死んだり、偶然居合わせたアロゥロまで巻き込んで良いのか? お前達もお前達だ。なんでファイが頷いたからって簡単に勝てると思い込めるんだ。今日、あの戦いの痕を見たんじゃないのかよ。


「クロロさん……。」

「マレフィムは……怖くないのか?」

「何がです?」

「あのロボットに殺される事がだよ。」

「勿論怖いですよ。ですが、私達にはファイさんがいます。彼がいなければここまで大胆な選択等選ばなかったでしょうね。……彼? そういえば性別を伺っていませんでしたね。」

「……。」


 あの超威力の攻撃を跳ね返したファイ、本人の返答も勝てるという内容だった。それが苦難に挑むという選択に至った要因なんだろうが……。


「……俺はやっぱり無理だと思う。あのロボットを探す方法だってわからないし、戦ったところで……どうにか出来るとは思えない。例えファイがいてもな。」

「探す方法がわからないというのは私も同意する所です。ですので、せめてまた遭遇した場合に、一度だけ対話を試みる……という手段を選んでくれないでしょうか。」

「なんで――。」

「私が命を賭してクロロさんを守ります。どうか、聞き入れて欲しいです。」

「マレフィム……。」


 それがマレフィムの口にした”責任の取り方”なんだろう。こいつはなんでそこまでしてくれるんだろうか。確信の無い選択肢にどうして命を賭けられるのだろう。それをしてお前に何の意味があるって言うんだ。


「……考え……させてくれ。」

「……はい。今日は、クロロさんの意思で動こうと思います。また探しに出るのであれば言って下さい。」

「あぁ。」


 俺の返事を聞いたマレフィムは静かに頷いて何処かに飛んで行ってしまう。考える時間をくれるという事なんだろう。


 命は平等だと思うか? 命に優先順位なんて無いと思うか? そんな問いに前世の俺ならヘラヘラとしながらこう答えたはずだ。『天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず』ってな。だが、今の俺はこう答える。『天は人に上下を造り給うた』と。人と呼ばれる存在は『上下』というカテゴライズを好き勝手に使ってるだけだ。上に価値はなく、下にも価値はない。それは前世も今世も同じなんだ。


 その考えを踏まえて改めて分けよう。俺より命が下の奴なんているのか? マレフィム、ルウィア、アロゥロ、ファイ。……ファイは生きていないらしいが、それは今関係ない。命、存在の価値はそれぞれ違う。でも、何がそれの価値かがわからない。悲しむ人の数? 社会的損失の度合い? 全くもってわからない。ただ、何故か確信めいた思いがある。この中で一番命の価値が下なのは俺なんだと。もしかしたらセクトや、ローイス、ラビリエなんかよりもよっぽど価値の無い命かもしれない。


「なんでそんな風に思うのかなんてわかんねーよ……。」


 なんでもかんでも説明なんて出来るかっつうの。再度くすぶり始めた苛立ちを孕む俺の愚痴は風に溶けていく。


 ……俺の我儘は皆の命を掛けるに値するものなのか?



*****



「ねぇ、ルウィア君はなんであの時私を助けてくれたの?」


 夜のとばりを引き裂く水晶から放たれる光。気付けばこんな時間になっていた。結局俺は考えの整理が出来ず、あれからずっと伏せっていた。その間、マレフィムもルウィア達も俺の顔色を伺っているのか不用意に近寄ってこない。この心の嵐が過ぎるのを待つ。待てば過ぎるかは俺も知らない。でも、忘却が足を止めたりはしないはずなんだ。


 だからこそ俺は忘却の背中を押す。宝石を散りばめた様な夜空を見ろ。闇に沿う友を感じろ。情を握った音を聞け。考えるべき事は一つじゃない。抱きしめるな。抱かれろ。


 大きな木の下に停めた引き車をそのままに、煌めく空のよく見える森の切れ間を眺めるアロゥロとルウィア……の会話を見守る俺。


「そ、その……アロゥロさんって何処か……リエット……僕の、妹に似てて……。」

「妹さんに?」

「は、はい……と言っても同じ植人種だからかも知れませんけど……。」

「妹さんは植人種だったの?」

「えっと……はい。母さんが植人種で父さんが僕と同じ……。」

「竜人種だったんだね。」

「”亜”ですけどね。」

「そこで卑屈になんないの! ルウィア君がなんだろうと、あの時は格好良い男の子だったよ。」

「え、ええぇっ!? か、かっこ……!? か、からかわないで下さい……!」


 俺がこんなに悩んでるというのに目の前でイチャコラと……まぁ、でも、普通にしてくれた方が助かるんだけどな。終始気を使われ続けるよりはよっぽど良い。今は余計な事を考えたいんだ。だからルウィア。存分に弄られてくれ。


「からかってなんか無いよぉ! 妹さんは頼りになるお兄さんがいて羨ましいなぁ。」

「……その、妹は去年、両親と共に亡くなりましたから。」

「えっ、ご、ごめん!」

「い、いえ。すみません。急に暗い話にしてしまって……。」


 女の子と話してるのにそんな地雷原を歩かせようとすんじゃねえよ……なんて思ったけど、アロゥロは話を続ける。そういうのを気にしない相手で良かったな、ルウィア。


「……知ってるかもしれないけど、植人種の殆どは家族を作らないの。」

「みたい……ですね。父さんはよく、母さんを変わり者だって言ってました……。」

「うん。植人種なのに社会に入って、その上、異人種と結婚するなんて本当に珍しいと思う。……でも、私はその気持わかるなぁ。」

「……え?」

「植人種はオリゴのままで過ごす人が多いの。デミになれない人ばっかり。そりゃ人の生き方はそれぞれだと思うんだけど、私はやっぱり色んな景色が見たくて。あの竜巻の日から、ファイと一緒に色んな事をして……ずっと同じ場所にいるのは勿体無いなって考えるようになった……。」


 同じ場所に何年居続けようが毎日は新鮮だ。例えそれが一日をループして再度体験した物であろうと、それは今まで体験した事のない○度目の体験なんだ。しかし、近似性の高い体験であれば同じ体験だと思いこむ。結局は本人が経験をどう認識するかなんだよな。俺は毎日似た日々を過ごしてどう思ったか……いや、あの時は飽きる飽きないとかまで考えが回らなかったな……。毎日死に近づいている様な感覚という意味ではいつも新鮮に感じていたのかもしれないけど。


「綺麗な景色を見て、美味しい物を食べて、いっぱいおめかしして、友達や……好きな人が出来る。……『”縁”を形にした。』」

「……『それが、一つの頭、二つの腕、二つの脚である。”結”を形にした。それが、言葉である。』……フマナ様の言葉ですね。」

「うん。フマナ様がさ。せっかく用意してくれたこの”縁”と”結”を使わないのはやっぱり勿体無いと思うんだ……それに私みたいな良い女が彼氏を作らないなんて、世界中の男の子が可哀想だと思わない?」

「……あはは。」


 凄い言葉だな。クラスメイトにあんな事を本気で言ってる女子がいたら、芸能人クラスの顔面が装着されてても虐めの標的になりそうだ。ルウィアも返しに困ってんじゃねえか。


「ルウィア君、立候補してみる……?」

「……あは、はッ!? りり、り、立候補!?」

「でも、ルウィア君とはもうそういう仲だし立候補なんてして貰わなくてもいいのか。」

「えフェっ!?」


 えフェっ!? って……いやぁ、凄いからかわれ方だなぁ……からかわれてるんだよな? というか凄いのはからかわれ方というよりルウィアの狼狽え方だな。


 空に沈んだ星がルウィアとアロゥロを仄かに照らす。その二人を見ていると何処か先程までとは違う焦りと怒りが心に滲む。正体は不明だ。


「ふふっ……とも――」

「はっ、いやっ、は、はは、はい! すす、すみません! こんな、こんな僕でよければ、い、一生大切にします……! 命を賭けても……!!!」



 今、俺は命の空振りを見た。



 ……なんで皆、簡単に命を賭けられるんだろう。





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