第40頁目 アタシ、夢をみてるの?
濃霧は森でもよく見たわ。パパは狩りが有利になるって喜んだりもしてた。そんなパパを見ていたらしっとりと重く視界を遮る霧もそんなに悪くないと思えたの。でも、ある日長老様が霧は死者が彷徨ってる証とか、悪いフマナ様が贄を攫いに来るなんて言うもんだからその……大泣きしちゃって……それからはどうにも苦手。
それに加えてこんな光景を目の当たりにしたらもっと霧が嫌いになりそうよ。
無残に横たわる巨人族の死体が足の方から霧に溶けていく。それはまるで、『お前は今まで悪い夢でも見ていたんだ』とでも言いたげに。気付けば胸に開いた大穴から溢れ出す血も、クロロの全身に付着していた血も、霧になり跡形も無い。
クロロがゆっくりと巨人族の頭の横へ着くまでに巨人族の身体は殆ど残っていなかった。でも、多分クロロが求めているのはその頭なんだと思う。彼は片手でそっと頭へ触れようとしたのに、その手は空を切る。
苦悶に満ちた表情のまま固まっている生首が宙へ浮いたの。もう息絶えてるはずなのに。
「はっはぁ~! ご苦労様です! ご苦労様ですよぉ~!」
丘の影から響くそんな耳を劈くような声。この憎たらしい声は聞き覚えがある。高鷲族の村に行った日。アタシの尾行に逸早く気付いて恥をかかせたアイツ! キュヴィティよ!
「クロロに何かしたのはお前なの!? 答えて!」
クロロを想うミィの怒りの矛が対象を見つける。
その男は白髪で線が細く、全身が白と黒の羽毛に覆われている姿だった。オリゴ姿と同様に目の周りは朱に塗られ、とても細いその目からは心情の読めない鋭い眼光が覗いている。
「なんですぅ? あなたぁ……不思議な種族ですねぇえ? ……まぁ、なんにせよぉ、その災竜は完全な想定外なんですよぉ。……そう、完全なる想定外の……成功ぉ? うふふふふふふふ!」
気色の悪い笑いを吐くキュヴィティ。そして、風魔法で浮かせたと思われる巨人族の生首を、突然鋭い風の刃で切り裂くという奇行に出る。
「魔石がですねぇ。ここにあるとは踏んでいたんですよぉ。でも、魔石を内包する強靭なアストラルをどう打ち倒すか考え倦ねていたのでぇす。とりあえず暴走させて族長3人で相手させればどうにかなると思っていたのですが甘い考えでしたねぃ。」
四つに分裂させた巨人族の頭を風魔法で横一列に並べながらそんな悍ましい事を言い放すキュヴィティ。とんでもない企みにサブイボが立つ。あんな化け物の相手をパパにさせようとしていたの!? 許せない!
巨人族の頭の欠片は右から2つ目以外が激しく霧に溶け始めた。クロロもそこまで霧に溶けていない欠片の方を向いている。
「なるほどなるほどぉ! これですねぃ! ありがとぅござぃまぁす! うふふふふふふふ!」
そう喜びながら満面の笑みで巨人族の脳に腕を突き刺し、何かを探すが如く無造作に掻き回す。すると、あからさまに喜んだ様な表情になり、木の実程の大きさの血塗れた石を取り出した。その直後巨人族の頭部の欠片は霧に溶ける速度を増した。それはつまり、アレが本体という事なのかもしれない。
「うふふふふ……うふふふふふふふふふふ……うふふふふふふふふふふふふ! これさえあれば私も帝国の――。」
享楽の中、石が爆ぜる。
この現象は見覚えがあった。ミィさん、彼女が手長猿の魔法を無力化させた時に起こした爆発の仕方と似てる。でも、アタシが近くにいるのにこんな威力で――。
「な、何!?」
それはアタシの台詞じゃない。彼女の悲鳴だ。つまりこの爆発は彼女が使った魔法では無いみたいで……だとしたらこの爆発は何!?
衝撃で手毬の様に地面を転がるアタシ。痛めた前足を何処かに打ち、強い痛みで逆に頭が冴えてくる。おかげでこの状況が他人事ではない事を強く実感していく。とりあえず前足を庇いながら立ち上がって周りを見渡したら、全方位が見た事も無い濃さの濃霧で満ちていた。
「え? ミ……ミィさん? クロロ……!? ねぇ……! ねぇってば!!」
呼びかけても霧に吸い込まれるアタシの声。聞こえるのは狼狽えるアタシが土を踏み躙る音だけ。不安だけが募っていく。でも……違う……? よく耳を澄ますと複数人の足音の様な音が聞こえる……? …………聞こえる!
敵? 味方? 複数人って? わからないけど誰かは確認しなきゃ! でも、敵だった場合に備えて警戒は欠かさない。どうしてか足音は迷わずこちらへ向かってくる。できれば正気に戻ったクロロ達であって欲しい……。しかし、その願いは叶わなかった。その霧から現れたのは……。
白い体毛の獣人種で、大きな翼を背から生やした……そう、まるでアタシみたいな姿で……。
「……大きくなったな。」
「……ぇ?」
優しく、寂しそうな低い男性の声。その口ぶりはまるで、昔のアタシを知っている様だった。同族、昔のアタシ、渇望の丘陵。アタシの脳裏に嬉しいような怖いような推測が浮かぶ。
「……あぁ!」
男性の後ろから同じ種族の女性が駆け寄って来て、アタシに頭を擦り寄せてくる。それをアタシは拒む気にはならなかった。彼女は恐らく……。
「……私がわかるか?」
男性からのそんな短い質問に対して、アタシなりの解釈で答えてみる。
「…………パ……パ……?」
「……あぁ。」
心の奥底に滲んでいくシンプルな返答。この人が本当のパパならアタシの側にいるこの女の人は……。
「…………ママ……?」
「えぇ……! そうよ……! また……! 会えるなんて……!」
涙を零しながら震える声で喜ぶ本当のママ。でも、二人は行方不明で……一度だってアタシを探しに来たりも……。
「な……なんで? なんで……? 生きてたならなんでアタシを探しに……!」
「違うんだ……。」
「違わない! アタシはずっと……! ずっと独りで……!」
此処に来て、生きていながらもアタシを放置し続けていた両親に嫌悪感が芽生えてくる。しかし、両親への初めての反抗も次の言葉で容易く消し去られる。
「違うのよ! 私達はもう……死んでるの……!」
そんな真実を吐いた会ったばかりのママの目は既に涙で濡れていた。馬鹿げた冗談の様な言い訳を普段のアタシなら飲み込む事なんて出来なかったかもしれない。でも、アタシは今日、十分非日常に出会っていた。だから、眼の前の女性が放つ戯言もアタシには真実なのだと思えてならない。
「……どういうこと……嘘……じゃないのよね……? 」
アタシは、もう疑うという方へ手を伸ばす事が出来なかった。偽りであった可能性よりも、真実であった方が幾分かはマシな現実だと思えたから。
「あぁ……本当だ。」
ゆっくりと肯定をしたのはパパ。そう、パパとママはアタシの目の前にいる。でも、『フマナ様は理屈っぽい。』の。
「でも、死んでいるのになんで話せるの!? わかんない! アタシわかんないよ!」
今アタシを見つめているパパの眼差しも、仄かで柔らかなママの温もりも全て感じられている。間違いなくアタシは両親の愛を肌で感じているの。
「私達は行商の旅の途中、魔石に成り果てた巨人族の骸に殺されてしまったが、お前だけは風魔法で逃がしてやれた。……その後無事に生き長らえるかは賭けでしかなかったが、元気そうなお前を見て後悔は完全に無くなってしまったよ。だから……私達はもうそろそろ消える。」
「本当にごめんなさい。さぞ、側にいられない私達を恨んだでしょう。」
「……う、恨んでない。恨んでなんかないよ!」
パパの言う通りようやくアタシの前に現れた両親の体は見間違えようも無く、少しずつ霧に溶けていた。アタシはここに来てやっと嘘であった方が良かったんじゃないかなんて考えてしまう。
「ま、待って……待ってよ……! 消えないよね……? ねぇ……!?」
「私達はお前を守れなかった後悔のおかげで完全にアストラルが取り込まれなかったんだ。だが、その後悔が消えてしまった今……。」
「最後に……名前を教えてくれないかしら。せめてそれだけでもアストラルに刻みたいわ。」
「メビヨン……! アタシの名前はメビヨン・デルガル・ジャオラン!」
それは角狼族としての名前。それを告げるのはまるで自ら親の元を離れていくような気がして嫌な感じがした。
「ジャオラン……角狼族の世話になったのね。彼等には感謝しないと……。」
「メビヨン。……良い名だ。だが、お前の本当の名は――。」
そのまま続けようとするパパを止めるママ。
「貴方、いいのよ。それは業を授けるのと一緒よ。」
「……そうだな。」
そんなやりとりをしてる間にも、両親の身体は着実に消えていく。もう背に生えた立派な翼はどこにも見えない。言葉を交わす度に霧に溶ける勢いが増していくのだ。もっと一緒にいたい。もっと愛が欲しい。例えそれが業であったとしても。
「いいの! 教えて! アタシの名前、パパとママから貰える……たった一つの……!」
「そうか……確かに、私達はお前に何も残せてやれなかったな……。」
「他の家族と共に生きている貴方が、それでも名前だけは受け入れてくれるというのなら……私も嬉しいわ。」
憎い霧を背景にその切なくも嬉しそうな表情はとても儚げに見えた。でも、アタシはそれを認めたくない。
「レニ……レニ・ドニッシュ・ステラ。それが私達がお前に授けた名前だ。」
「この名前を口にするのも久しぶり……レニ……私達は名前と共にもう一つだけ、貴方へ授けましょう。」
そんな言葉と共に両親の身体は一層霧と同化し始める。どうしようもなく霧へと変わっていく両親を留める方法が思い浮かばず、自分への怒りが心を占めていくはずなのにそれを上回る悲しみが許してくれそうに無い。怒りは唯の涙として見たくもない光景を映す目から流れ出てしまう。
「やだぁ……パパァ……ママァ……。」
「「愛してる。」」
それが霧散への合図だった。アタシのパパとママが居た場所は静寂を呼び、虚空となりはてる。
「レニ……ドニッシュ……ステラ……うぅ……ぅ…………ァあああぁぁあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ。」
もうアタシにとってここが渇望の丘陵だとか、巨人族が暴れていたとか、元凶の高鷲族が何をしてるかなんて事は完全に頭から消えていた。ただただ霧以上に視界を曇らす止め処ない涙。こんなに哀しく寂しいと感じた事は無いと思う。前足の痛みだけが、心に響くようにズキズキと痛む。
感情の波は霧に溶けてくれない。もういっそアタシの身体も全部この霧に溶けてしまえばいいと思った。本当に。
――身体から重みが消えていく。
「戦争は停戦と相成った! ドダンガイよ! 聞いておるのか!」
「俺を騙そうったってそうはいかねえよ! 帝国の工作兵めぇッ! そんなに俺が恐いかぁッ!」
「巨人族!? バカな!? アレからどれ程の月日が経っていると!」
「久々に攻めて来たかと思えば随分な小物じゃねぇかぁ……えぇ!? なめやがってよぉッ!」
「この道を通るなんて聞いていない! 品物を本人が納品しないからおかしいと思ったんだ! この取引が終わったら二度とここと取引なんぞしてやるものか!」
「貴方、そう大っぴらに怒らないで。レニも恐がっているわ。」
「子供を使ってまで行商人を装ってもなぁ……! 獣人種を使っちゃ意味がねぇだろ! 帝国兵さんよぉッ!」
「魔石、魔石、魔石ィ~♪ それさえあればぁ~私は誰に咎められる事も無く好きに生きられるぅ~♪ ……ってえぇ~~~!? ボンボボさんその程度ですかぁ~? ……んぅ~? アレは……災竜?」
頭に次々と流れ込んでくる情景。その中にはパパやママもいる。……パパ? ……ママ? ってなんだっけ……何を考えて……考えるって……。
正体不明の重圧感がアタシの意識を圧迫していく。考える力は既に残っていなくて、弾ける寸前まで潰れた果実の様な何かがアタシの内側で膨らんでいた。何も言えない。何も聞こえない。何も見えない。混濁した感覚が更に濁っていく。
――そのまま意識の灯火は呆気無く消えた。
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