第5頁目 愛が欲しいって我儘じゃないよね?


 ガリッ。


 骨片により大樹の木肌に正の字が完成する。その正の字はもう73個目だ。それはつまり転生してから1年が経った事を意味する。一年が365日のままならの話なんだけどな。


 四足での生活は慣れ、二足での移動も歩行程度は出来つつある。が、如何せんやることがない。大樹の上の子ドラゴンは毎日飽きもせず食っちゃ寝をしているようだ。羨ましいな……。


 空を飛ぶ練習も今は不可能だ。理由は簡単。翼が完成していないのだ。体重は増えてく一方だが、翼が全く身体の成長に追いつかないので、そのお飾り具合に毎日モヤモヤしている。ただ、腕が4本あるという意味では所々で活躍してはいる。泳ぐ時も上手く使えば急ターンなどで応用が利くし、それで上手く捕まえた魚は絶品である。


 生魚は日本人にとっては大好物だ。生魚を食べるだけで人間に近づけた気にさえなれた。そんな訳ないのに。そんなこんなで食べられるモノは出来る限り試しはした。虫と毒々しい見た目の茸以外。それでもギリギリだ。お腹が空いてない時など無い。もうイラつく余裕すら無いのである。こんな時は問題の先送りをするといい。

 

「アーォ、オーィ、ウウゥ。」


 これだ。子ドラゴンの奴等は最近、会話しようとしてる気がする。ドラゴンに言葉なんてあるのかはわからない。しかし、意図なく相手に向かって声を発するか? 無いだろう。反応が欲しいから相手に向かって声を発するのだ。ならば、何かしらの意味はあるはず。


 正直、現状どうすれば助かるか、どころか『助かる』といった状態が想像出来ないぐらいには身も心も疲弊している。そんな自分を癒してくれるのは子ドラゴンの成長と夜の星空だけだった。ドキュメンタリー番組を見ているような毎日だ。ドラゴンの生態もなんとなくだがわかってきたし、空についても月が3つ有ること以外は特別違和感もない。


 でも地球じゃない決定的な証拠だなぁ。へこむわー。星座については……もともとよく知らないなぁ……。いっそ新しい星座を作ってやろうかと思ったものの、俺の想像力じゃ無理だった。点を幾つか繋いだだけで鳥や英雄になるわけないだろ。ってかこの世界の英雄とか知らないし。そんな事を思ったりしながらも、日々は過ぎていく。


*****


 季節は巡る。何度でも。


 その日も勢い良く水からあがり、身体を震わせて水を飛ばす。口に咥えた大きな魚が今日のご飯だ。一匹だが、久々の大物である。さて早速ご馳走にありつこうとした所で咆哮が響く。


 流石にそろそろ聞きなれたこの声の主は親ドラゴンだ。どうやらこの巣には母ドラゴンしかいないらしく、子ドラゴンもそれを疑問に思っていない。え? なんでわかるかって? 最近、ドラゴンの言葉が少しわかるようになりました。


 ドラゴンは独自の言葉を持っているのだと確信したのは、親子のドラゴンが少しづつ会話の様なやり取りをするようになっていったのを暇つぶしがてら観察していたからだ。最初は餌渡したらすぐにどっか行ってたしな。でも、英才教育を受けたわけではないので片言だ。今は単語が少しわかる程度である。


 英語や古文の成績もあんま良くなかったしなぁ……。


 母ドラゴンは今日、馬みたいなのを狩ってきたらしい。そして、餌を置くと今日は殆ど喋らずにまた飛び立とうとする。しかし、子ドラゴンがそれを止めようとしているみたいだ。単語を聞いた限り。何処へ行くのか聞いているようだ。それに対して母は、餌があると言っている。獲物の群れでも見つけたのかもしれない。それで納得したのか騒がなくなった子ドラゴンを見て、母ドラゴンは目を細め飛んで行く。俺がそれを見て思うことはただ一つ。


 いいなぁ……飯。


 まぁ、今日は俺もちゃんとした飯があるけどね。そういって齧り付こうとすると今度は自分に声がかかる。


「ねえ!」

「……?」


 突如俺を呼びかける声。その主を見ると間違いない。子ドラゴンの一匹だ。


「あなた! その”へんなの”たべるんですか!」

「へんじゃない。あー……これ、にく。」


 驚きつつも、とりあえずは返答する。魚という単語をなんて言えばいいのか知らないので、とりあえず魚肉として肉と答えた。俺は知識ですらあの親子のおこぼれなのである。すると、もう1匹も覗きこんでくる。ここからは続けて俺のなんちゃって翻訳でどうぞ。


「いけません。その”こ”と、しゃべっちゃいけないってかあさまがいってたでしょう。」

「それもにくなんですか。おいしいんですか?」


 もう1匹が諌めてくるのも聞かずに無邪気に話しかけてきたドラゴンは、構わず俺に話しかけてくる。ってかなんだよそれ。俺と話しちゃ駄目だったのかよ。興味が無かっただけかと思いきや、明確に避けられていたのか……。


「うまい。この、にく、だいすき。」


 とにかくそう答えると、好奇心が強いのであろうそいつは目を輝かせながら魅力的な提案をしてきた。


「あの! この『アム』とその”へんなの”こうかんしませんか!」

「なにいってるんですか!?」

「……でも、その『アウ』? 大きい。これ、小さい。」


 懸念は大きさだけじゃないが、肉への欲望が俺を正直にさせる。もう1匹は怪訝な顔してるから、良くない事をしているに違いないだろう。それと確証は無いが、なんとかっていうのは先程親ドラゴンが狩って来た馬モドキの呼称なんだと思う。


「『アム』です。わたしのぶんだけとこうかんです。」


 なるほど。それならまぁ同じくらいかもしれない。真面目な方のドラゴンを巻き込まないとは……こいつ意外としっかりしてるな。


「いい。」

「ほんとですか!? よし!じゃあいますぐこうかんです! あっ……。」


 元気っ子の顔が陰る。当たり前かもしれないけど、ドラゴンの顔にも表情あるんだな。交換と言っても渡し方を考えてなかったんだろう。でもこのぐらいの魚ならいける。俺は魚の尾に軽く牙が食い込む程度の力で噛み付くと、大きく身体を振りかぶり、思い切り踏ん張って力いっぱい魚をぶん投げた。魚は物凄い縦回転をしながら曲線を描いてボスッと巣に入る。


「おぉ……おおぉ! すごい! あなた! すごい!」

「すごい……。」


 ふふん。どうだ。泳げるようになってから身体が引き締まってる気がする。これくらいなら全力を出せばいける。しかし、今更だけどこの身体って今何メートルくらいなんだろう。比較物がないのでスケールがわからない。大穴の外に茂る木だってドラゴンがいる世界じゃあてにならないしなぁ。なんて考えてると、ボチャンッと音を立てて肉が落ちてくる。肉の切断面は濃厚な血が日の光を浴びて魅力的に光っていた。馬モドキの下半身だな。もも肉なんて豪勢だ。上半身はもう1匹が食っているのかもしれない。


「それでいいですか?」

「おう!」

「このへんなにくはなんていうんですか。」

「わからない。」

「したにはこんなのがおちてるんですか。」


 そんな訳が無い。魚は何度も溺れる苦痛を乗り越えて獲れるようになった餌だ。しかも、そのサイズの魚は動きが俊敏な上に鋭い歯で反撃もしてくる。噛まれて血が出たりした事もあった。長いものだと巻きついてきて溺れさせようとすらさせてくる。命がけとも言える漁なのだ。


「おれ、つかまえた。」

「あなたがつかまえたんですか!?」

「おう。」

「すごいです!! かーさまみたいです!!」

「すごい……。」


 何故か凄く関心されている。……そうか、あいつら狩りをしたことないからか。獲物を自分で捕まえられる俺はドラゴン界だとあいつらよりワンランク上な訳だ。なるほど。


「おいしいです! ちょっとくさいですけど!」

「もう……しらないですからね。」


 臭いは仕方ないから我慢しろ。さて、俺も食おう。1度にこんな量の肉にありつけた事なんて今まで無かった。偶に間違えて巣から零してくれた時なんかは少し多目の量にありつけるが、それでもこんな塊は落ちてこない。


 …………美味い。なんだこれ超うめぇ。あいつらいつもこんなの食ってんのか? くそぅ……セレブどもめ……。


 肉にめり込む歯の感触、口の中を満たす血の風味、骨を砕き骨髄を啜るとまた違った味わいが舌に広がる。軟骨を少し齧り、咀嚼した肉を飲み込むと、これまた美味。無心で腸を引っ張りだし水に浸す。そして、腸に詰まった糞を水で流して頬張る。俺の立派な顎は、腸くらい噛み切れない肉の方がちょうどよかったりする。最近、骨も中々美味い事に気付いた。骨密度の低い骨はおやつ感覚でいただける。


 あぁー……美味しい。調味料がなくてもこんなに美味しいって凄いなぁ。


 初めてありつく獲物の食事に耽っていると母ドラゴンが帰ってきた。そして、巣について獲物を置くと何やら臭いを嗅ぎはじめる。


「この、臭いは何?」

「なにか、においしますか?」


これはあの元気っ子の声だな。


「えぇ。何か魚の様な匂いがしますね。」

「さかな?」

「そう。水の中に住んでいる生き物です。」

「そーですか。でもさかなはしらないですねー。」


 魚の話か。魚ってそう言うのか。覚えとこう。にしても白々しい。嘘下手だなアイツ。


「答えなさいあなた達。下の子と話をしたでしょう。」

「そ――」

「正直に話したら怒らないわ。」

「……うです。」


 ちょろいな。馬鹿かよ。母ドラゴンは子ドラゴンの返答に深い溜息を吐く。


「全く……ついに、話をしてしまったのですね。」

「かあさま。なぜ、”くろのこ”とはなしちゃいけないのですか? あのこは”わるいこ”のようにはみえないのですが。」


 さっきの真面目っ子だな。あくまで母からの教えは守るが、理由は知らないらしい。さっきの俺が自分で獲物を取っているという事を聞いたせいかはわからないが、悪い評価は持ちえていないようだ。そして、理由は俺も気になる。


「あの子は汚れてしまったのです。私達ドラゴンは高潔な種族。自分の力で生きなくちゃいけない生き物なのです。子竜も成竜になるまでは親の助けのみで生きなきゃいけません。正しく生まれたならば……。」

「ただしく……ですか?」


 『ただしく』ってなんだ? まさか俺が転生しているのを知っていて、それがいけない……とか?


「ええ。あの子は正しく生まれてきてはいないのです。あなた達は自分の力で殻を破り、自分の力でこの世に生まれ出てきました。でも、あの子は違います。私が狩りから帰って来たら巣から落ちて殻が割れていたのです。」


 ――はぁ?


 唐突なる真実の吐露。俺が聞いているかどうかを考えているのかは知らない。しかし、不条理な真実に怒りという感情が芽生える。


 やっぱり……お前が俺の親だったのかよ……。

 落ちて殻が割れた? それの何がいけないんだ。俺は悪くないだろ? 生まれる前だぜ? そもそもなんで落ちたんだよ? 卵だろ? 動けないだろうが!!!


「……またここにつれてきてはいけないのですか?」


 申し訳無さそうに真面目っ子が尋ねる。まさかの提案に俺は思わず面食らうが、親ドラゴンの小さなため息で現実を悟る。


「いけません。竜の雛として生まれても、自分の力で生まれてこなかった子は身体が黒く染まり汚れてしまうのです。そうなったらもう生きてはいけません。すぐに身体が弱り死んでしまうのです……。そして、その黒い竜の子は災いを齎すと言われています……。」

「……え?」

「そんな……。」


 2匹共に驚いているが、3匹目の俺は悲観に暮れる。事態の重さはわからない。ただハードモードで生まれたと、そう宣告された事に間違いはない。


「……そうね。でもあの子は立派だわ……。呪い子は生まれてすぐ死んでしまうと言われているのに。この高さから落ちた時点で、私は諦めるしかなかった……。」


 諦めんなよ……自分の子だろ……。もうちょっと執着しろよ……。


「しかし私にはあなた達がいます。あなた達は幸運に思いなさい。姉妹がいることを。竜はあまり多くの子を遺しません。家族の絆の大事にしなさい。」

「はーい。」

「はい。」


 俺も家族だろ……? なんて思っても、にべもなく俺の存在は無視され、寄る辺もない俺はこれからもここの、文字通り最低辺の場所で生きなきゃいけない訳か。でも…………。


「こっちの方が性に合ってるかもなぁ……。」


 震える唇で、親ドラゴンには聞こえないように。自分には聞こえるように声を出す。その声は擦れていて、なんとか自分に聞こえる程度の音量だった。


「あいつら巣の中から出られないみたいだし。」


 ふと俺は大樹の木肌を見る。そこにはびっしりと刻まれた正の字。生まれたばかりの頃に刻んだ字は既に掠れている。そして、新しい正の字は存在しない。そう、これではもう何日経っているかわからない。おそらく惰性で付けていたのだろうが、最後に書かれた正の字もかなりの月日が経っているようだ。薄っすらと苔の生えた正の字を見て、俺はため息を吐く。元の世界に戻りたいという願いだけでなく、人間に戻りたいという願いも既に朽ちている気がした。


 最近はここも綺麗になっている。少なくとも腐臭はない。それは人間時代に培った衛生観念のおかげだ。この大樹の周りにはチビ共の糞が沢山落ちてくる為にどうしようもないが、そこら中に落ちていた骨と腐肉は既に無い。全てを忘れたい一心で掃除したのだ。そして、新しく投下される肉は全て一片の残りなく胃にしまっている。この底はもう完全にマイホームだと言えた。水飲み場兼、狩場と骨置き場があり、便所ゾーンに関しては吹っ切れて俺もトイレとして使っている。ちなみに正の字を刻まなくなった原因の一つは、便所ゾーンを跨がなくてはならないことでもある。


 今は以前作った寝床の小骨の上に、動物の革を敷きつめ具合の良い寝床も出来ている。鱗の身体には割りと寝心地がいい。俺の生まれ故郷である卵の殻もインテリアとして飾っている。


 死なないように努力するという事は、希望を得る手段の一つであることなのかもしれない。


「さて。」


 もう、今日は、寝るか。今日は、家族を知った。アイツは母親で、あのチビ共は全員雌だから兄妹か姉弟なのか。どっちでもいいけど……。異世界で肉親を持ち、そして捨てられていた事もわかった。


 どうするべきか。今、目標が足りない。死なないじゃ漠然とし過ぎている。


 ――出よう。


 いつかこの巣を出て旅をしよう。旅、素敵じゃないか。日本じゃチャリをかっ飛ばして少し遠出するくらいだった。前向きに考えなきゃやってらんないな。うん。寝よ寝よ。


*****



 そう。彼にとってはそれが幸福だった。16年生きた経験が彼を支えていた。その上、更に竜としての数年間の経験を得ている。彼の崩れた人間性はただ崩れているのではなく、新しい世界に適応しつつあるのだった。

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