第4話 束の間の休息、そして…
「ここが僕の家だよ。偽造パスポートと身分証明書が出来上がるまで、ここで暮らしてもらいたいんだけどいいかな?」
「こんな立派な家が……あなたの家なの? さすがは帝国議会の議長さんね」
体育館ほどはあるだろう大きな玄関ホールには気の利いた調度品が並び、天井からは豪奢なシャンデリアが下がっている。床にはモスグリーンの絨毯が敷き詰められ、二階へと伸びる階段には美しい彫刻がされている。
あまりの光景にアンネが見惚れていると、後ろに人の気配。とっさに身を引き、臨戦態勢をとるアンネにユーカリアは苦笑しながら告げた。
「大丈夫だよ、この人はうちの使用人のセバスさん。優しい人だから怖がらなくてもいいんだよ?」
私めには勿体無い評価ですな、と苦笑するのは白いひげをたたえた初老の老人だった。燕尾服をきっちり着込み、姿勢の良さは衰えを全く感じさせない。
「私が先ほど紹介に上がりました、この屋敷の使用人であるセバスです。お困りのことがございましたら、いつでもお申し付けください」
「早速で申し訳ないんですけど、アンネをお風呂まで連れて行ってもらえませんか? その間に、彼女に合いそうな服を用意してあげてください」
かしこまりました、と恭しくお辞儀をする使用人と、宜しくお願いします、と丁寧に頼み込む主人と思しき少年。その光景は主従の関係のそれではなく、毒気を抜かれるアンネ。半ば無意識に案内されるまま、お風呂へ向かうのだった。
「えっと、アンネってかなりの美人さんだったんだね。やっぱりセバスさんの見立てはすごいな」
白を基調にしたドレスに豪奢な金髪がよく映え、透き通る肌はかすかに桃色に上気して色っぽい。整った面立ちに淡い赤に染まる唇がそつなく収まり、緋色の瞳には気高さと可憐さがたたえられている。女性らしさに富んだ身体はドレス越しにもその魅力を損なうことなく伝える。
「あ、あなたねえ、『だった』ってどういうことよ! 今まで私のことなんだと思ってたのよ!」
「ご、誤解だよ! ほら、さっきまではひどいなりをしていたからさ。せっかくの銀髪も真っ白な肌も、ちょっとくすんでたからさ」
激昂するアンネに、先ほどまでの落ち着きはどこへ行ったのか、慌てふためくユーカリア。ふんっ、とそっぽを向きつつ、アンネはドレスの端をつまんだ。
「でも、こうしていられるのもあなたのおかげなのよね。ありがとう、えっと……」
「ユーカリア、でいいよ。で、アンネはこれからどうするつもりだい? やっぱり、エレオノール連邦王国に行くかい? もしそうなら、僕も全力でサポートするけど」
ユーカリアが言葉を切ると同時にセバスが紅茶の入ったカップとクッキーをそっと置き、一礼して立ち去る。部屋にはダージリンのいい香りが広がり、思わずアンネは手を伸ばした。
「えっと、私はどこにも行く場所はないわ。エレオノールでも、私の種族は珍しいから身体検査ばっかりされるし。それが嫌で私は逃げてきたんだから」
「なら、中立国のアルテミアに行くのはどう?」
「確かにアルテミアなら人目を避けながら住めるかもだけど……。私には身寄りがないから、行くあてなんてどこにもないし」
あっけらかんと話すアンネの横顔に、わずかばかりの寂しさが滲んんで見えたのは気のせいではないだろう。
だからだろうか、ユーカリアの口をついて出たのは思いがけない言葉だった。
「なら、僕と一緒に暮らさないかい?」
「だからこれ以上あなたに迷惑をかけるわけにもいかないし、明日からどこか遠いところに……は?」
「えっと、確かまだ部屋って余ってたよね?」
「はい、二階の東側の部屋が空いてございます。余っている寝具や衣装棚などを搬入すれば生活には問題ないでしょう」
真顔で聞き返すアンネには目もくれず、セバスとアンネ滞在の算段を立てるユーカリア。
「ちょっと待っ、それってどういう!」
革張りの肘掛けをバンバン叩きながら、顔を真っ赤にするアンネ。やっとアンネに意識を向けた二人は、顔を見合わせて首を傾げた。
「ねえセバス、アンネは何を怒ってるんだろう?」
「はあ、私にもわかりかねますな……。もしや、年頃の女性には何やら事情があるのかもしれませぬ」
これまで戦場を駆けずり回ってきた老兵と、幼少の頃から戦闘に明け暮れてきた野郎二人に、告白紛いの言葉をかけられた乙女の繊細な機微が分かるはずもなく。
半ば諦めの表情を浮かべながら頭を抑えるアンネに、セバスはうーん、と唸りながら首を傾げ、ユーカリアは申し訳なさそうな表情でアンネに向き直った。
「あのね、この屋敷ならアイネを匿ってあげられるし、何かあっても僕は一応帝国議会の議長だから大抵の無理は押し通せるからなんとかなると思うんだ。服を選べば外にも出られるだろうし、もしアンネが良かったらだけど……」
どうかな? と真顔で告げるユーカリアに、本日何度目になるか分からないため息をつくアンネ。大丈夫かい、と心配そうな顔で聞くユーカリアにかすかな頭痛を覚えつつ、紅茶を口に運んだ。
「申し出はとてもありがたいわ。でも、無償で匿ってくれるはずもないよね。何が目的なの?」
「いや、別に何かを強制しようなんて思ってはいないけど……」
「そんな無償の優しさが通用するような間柄なら、亜人種と人類種の間で戦争なんて起きてないわ。私たちは、あなたたちの先祖を迫害していた子孫なの。しかも、私は収監されていた希少な翼人種。利用しない、なんて方が信用出来ないわ」
少年の瞳が湛える真っ直ぐな光から、嘘をついていないことは分かってる。でも、嘘をついていないからといって、この少年が全てを話しているとは限らないのだ。少なくとも、収監されている貴重なサンプル体を脱獄させ、あまつさえ自分の屋敷で匿うなど正気の沙汰ではない。
「なんや難儀な話になっとるみたいやねえ。 大方、ユーカリアがまた天然ボケかましてるとかそんなとこちゃうの?」
平行線をたどりかけた空気を打ち破ったのは、ドアのそばに立つ赤毛の獣人種だった。
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