第3話 英雄の胎動

薄暗く、冷たい牢獄。


 窓はなく、四方を特殊合金が囲む閉鎖的な空間。

 照明はかすかに当たりが見渡せるほどに絞られ、空気は淀んで鉄臭い。申し訳程度に小さな換気扇が付いているが、稼働しているのかは甚だ疑問だ。


食事は1日1食。何の味もしないレーションに微かに果汁の風味がする水がコップ1杯だけ。


そんな劣悪な環境が、少女の閉じ込められている独房だった。


カツーンと靴底がコンクリートを叩く音が聞こえ、粗末な囚人用のベッドから少女は飛び起きた。


「誰っ!」


看守は存在せず、その機能は全て監視カメラと時折巡回する自立型ドローンが代替している。


 理由は単純。この監獄に収容されているのはこの少女だけであり、少女が稀少かつ強力な翼人種だからだ。

その強大な魔法と長大な寿命、不死に近い再生能力を持つ少女に有人の監視など意味をなさず、少女の首につけられた対翼人種用の魔法抑制装置がなければ、牢獄は灰燼に帰していることだろう。背中に生える純白の翼が彼女の種族をはっきり示している。


 なのに、私に近づく足音? しかも、この気配は人類種のそれだ。


 研究目的か、はたまた処刑宣告か。


沈痛な面持ちで足音の主を見上げ――


「ちょっと静かにしててね。ここから出してあげるから」


「……え?」


眼前の少年に思わぬ言葉をかけられ、呆然としてしまった。

目元まで伸びた黒髪も、丸みを帯びた耳も紛うことなき人類種のそれだ。それに―――


「あなた……その襟章……帝国議会の人でしょ? 何で捕虜を逃がすような真似をするの?」


少女の問いに苦笑して見せた少年は、すっと息を吸った。


「ちょっと待っててね。すぐに終わるから」


少年が腰に吊るしていた白銀の杖を軽く握り―――

 

一閃。対翼人種用に特殊な合金を用いた格子がいとも簡単に切り落とされ、硬い床に跳ねて甲高い音を立てる。大型重機をもってしても10分はかかるはずのそれを、魔法適性の乏しい人類種が、たった一撃で。


「さあ、外に出ようか。一応監視システムは無効化しておいたけど、バレたら面倒だからね」


そう言いながら苦笑する少年と、先程の離れ業が結びつかず呆然とする少女の腕を掴み、少年は駆け出した。

非常扉から外に出ると、久々の日光が目を灼く。停めてあった高級車に乗り込むと、自動運転で車が軽く加速し始めた。


「さて、自己紹介がまだだったね。僕は帝国議会議長、ユーカリア・エペ・キュースです。キミはなんていう名前なんだい?」


「わ、わたし……? 私はアンネ・ジュリエラよ。それで……何で私を助けたの……?」


意味がわからない、と問う少女に。


少年の出した答えは―――


「エイティ監獄、それがキミのいた場所」


「……え?」


「帝国内で最も非人道的な収監がなされている場所」


エルガンド帝国とは人類種の国家だ。そして人類種は例外なく他種族を嫌っているはずなのに。


「何の罪のない少女を、ただ他種族だからという理由だけで収監し、あまつさえ食事もろくに与えないなんて」


「だって私たちの先祖はあなた達を迫害していたから」


「うん。でも、それはキミがやったわけじゃないだろう?」


窓の外を流れる鋼鉄の街を眺め、少年ははっきりと断ずる。


人類種か、他種族かなんて些細な違いでしかないと。





「一応キミの偽造国籍と住民票は作ってあるけど、名前変えなきゃだね。あ、それともエレオノール連邦王国に行くかい? あそこなら君を匿ってくれるんじゃないかなあ」


 うーん、と眉根を寄せて悩む少年に、思わず声を荒らげる。


「ねえ、いくら帝国議会の議長とはいえ、脱獄を手伝ったなんて知れたらただじゃ済まないでしょ? あなたは違っても、ほかの人類種は他種族のことを嫌ってるんだし」


「うん、それが問題なんだよなあ……どうしたものか……」


「あなたにそこまで迷惑はかけられないわ。あとは自分でなんとかするから」


「あ、いや僕が問題だって言ったのは『ほかの人たちが他種族を嫌ってる』って所だけで。だって、脱獄を手伝ったのってこれが初めてじゃないし」


予想がつくだろうか。他種族を憎んでいるはずの人類種が脱獄を手伝い、あまつさえ初めてではないなどと言っているのだ。しかも、人類種の中でも権力の上位に位置する存在が。拘束された時点で良くて実験用のモルモット扱い、悪ければ処刑だと思っていたのに。帝国にもこんな考え方をする人がいるのかと驚くと同時に、私のことを知れば離れるだろうなと思い、何故か心が痛んだ。


「わ、私ね、翼人種なの。この首輪がなきゃ、あなたなんか一瞬で消し炭になるような破壊の権化。どう? これでもまだ私に優しくできるの?」


できるはずがない。人類種とかそういう次元の話ではなく、数秒後には自分の命すら奪いかねない存在なのだ。拒絶して当然でー


「いや、知ってたけど? ていうか、アンネが翼人種とか正直どうでもいいというか。ただ道理に合わないと思ったから、せめて人類としての誇りだけは忘れたくなかったから助けただけだけど?」



「ちょ、ちょっと待って。私、翼人種なんだよ? なんであなたはそうも割り切れるの? 私のことが怖くなったりしないの?」


「や、だからさアンネが僕たちを攻撃することはないんだろ? だったら、僕からもアンネに敵意を向ける理由なんてないじゃないか。あ、着いたよ」




 いつの間にか車は閑静な住宅街に入っており、その中でもひときわ大きな屋敷のガレージに入ろうとしていた。車が止まるとガレージをスタスタと歩いていく少年の後を追いつつ、アンネは小さくため息をついた。

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