第26話
御伽先輩に連れられてやってきたのは、僕にとって見覚えがある場所だった。
右手が少し寂しい気がするのは、さっきまで繋いでいた手が離されたせいだろう。デート中というわけではないのだから当然なのだろうけど、少し残念だ。
しかも御伽先輩にそういった様子がまったく見られないのが、余計に寂しさを上乗せさせる。
いや、そんなことを引きずっていても仕方がない。とりあえず、御伽先輩が何を考えてここにやってきたのか、確認しないと。
「御伽先輩……ここって、花壇、ですか?」
「えぇ、そうよ」
御伽先輩は簡潔に答える。うん、当然だろう。あんな事故が起こった現場を僕がそう簡単に忘れるなんてできるわけがない。
となると、この目の前にあるオブジェが何なのだろうか。
最初に見た時は疲れすぎて幻覚でも見えているのかと思ったけど、そんなことはないらしい。というのも御伽先輩の視線がしっかりと向けられているからだ。
「うん、中々にいい仕事ね」
腕を組みながら御伽先輩は満足げにうなずく。だが、こっちは唖然とするばかりだ。
だって、オブジェといっても目の前にあるのは、塔のように高く積み上げられたテーブルと机なのだから。正直、意味がわからない。
恐らく御伽先輩の指示で作られたものなのだろうけど、高さも結構あって何より目立つ。一番高い位置にある机に乗ったら、隣にある大樹の枝にも手が届くんじゃないだろうか。
こんなものを用意するということは、二階にある教室へ飛び移ろうとでも言うのだろうか。仮にそうだとしても、やることが大掛かりすぎる。
そもそも、御伽先輩はこんな場所に時計があるとどうして思ったのだろう。森本さんが時計をなくしたのは教室だったはずだ。それがどういう過程を経たらここにあるという結論に持っていけるのだろう。御伽先輩の思考回路を誰か説明してほしい。
唯一の救いはこの塔が花壇の中まで侵食していなかったという点か。それもきっと優しさとかじゃなくて、土が柔らかいから安定しないとかいう打算的な理由からなんだろうけど。
そして、塔のふもとで怯えるように咲く花たちを眺めながら、僕はふと思った。
もしかして、救援物資ってコレのことだったんだろうか。というか、これだけの量の机やテーブルを一体どこから持ってきたんだろう。部室にあった分だと数が合わないし、だとすると他所から運んできたってことになるけど……よし、考えると胃が痛くなりそうだから、今は考えないようにしよう。
「御伽、こんな感じで良かったかしら?」
紬先輩の声がどこかから聞こえる。どうやらこの塔を作った後、律儀にも待っていてくれたようだ。しかし、見渡す限りそれらしき人影はない。一体どこに居るのだろう?
「えぇ、バッチリよ。ありがとうね、紬」
返事をしてるってことは御伽先輩には見えているんだろう。
御伽先輩の視線を追うと、校舎の窓から小さく手を振る紬先輩の姿が見えた。あんなところにいたのか、全然気付かなかった。それに、奥の方に雫の姿も見える。
みんなが協力してくれているんだという実感が込み上げてきて、目頭が熱くなる。いや、まだだ。まだ涙を流すには早い。それはすべてが解決してからだ。
よし、とりあえず紬先輩にこの塔について聞いてみよう。まずはそこからスタートだ。
「あの、紬先輩。この塔みたいなのって何ですか?」
「ん? 御伽に頼まれたのよ。ここに積み上げてって――」
そう言って紬先輩は、目の前にそびえる塔を指差す。
やっぱりあの電話はこの用意についてだったみたいだ。となると、この状況から察するに時計の場所っていうのは――。
「それじゃあ、取り返しに行きましょうか。森本さんの時計を!」
僕が結論を出す前に、御伽先輩は早速一段目のテーブルへとよじ登ろうとする。それも制服姿のままで。
それはつまり、僕の位置だといずれ先輩のスカートの中が見えてしまうわけで……まずい。これは非常にまずい状況だ。
もしかして、これは罠なのか? 僕の理性を試そうという罠なのか?
見れるものなら見たい。でもそれはダメだ。バレたら後が怖すぎる。御伽先輩はそんなに気にしてなかったりするかもしれないけど、この場にはもう一人、紬先輩という人が……あっ、紬先輩が屋内からこっちを見てる。それも見守るとかそういう類じゃなくて見張るとかそういうレベルで。
もしかして、女の子に危険なことをさせるなと、暗に言っているのだろうか。
これは御伽先輩を止めないわけにはいかない。それに、御伽先輩に落ちて怪我なんてされたら悔やんでも悔やみきれない。
「あの、御伽先輩。ここは僕が行きますから。先輩は下で見ていてください」
「そう? 拓未クンがやりたいなら別にいいけど……」
僕の提案に、御伽先輩はテーブルの上に乗せてた左足を地面へと戻す。やっぱり周囲の目なんて気にしてなかったみたいだ。危ないところだった。
さて、自分から言い出したこととはいえ、机もテーブルも結構な高さだ。というか、御伽先輩はさっき土足で上がろうとしてたけど、さすがにまずいよね。足跡がつくと結構気になるし。
そういう思いもあって、僕は靴を脱いで一段目のテーブルを登る。まだ最初の段ということもあって、まだ足場は安定している。ここで飛んだり跳ねたりしない限りは崩落したりする心配はないだろう。
「拓未クン、がんばれーっ」
体育祭だとか球技大会くらいでないと耳にしないような歓声が聞こえてくる。そんなに運動が得意な方じゃない僕にとって、こういう声は縁がないものだと思っていたけど、結構いいものだ。なんというか、頑張ろうって気持ちがわいてくる。
よし、次は二段目だ。
僕は一呼吸おいた後、二段目の机によじ登る。しかし、思ったよりバランスが悪い。重心の位置が変わる度にゴトッと傾くのだから、思わず中腰で固まってしまう。立ち上がるだけでも気を緩められない。どうして学校の机ってこうも不安定なのだろう。いや、愚痴を言っても仕方ないのはわかっているんだけどさ。
さぁ、問題は次なわけだけど、その前に確認をしておこう。一番上まで登ってからだと場所を聞いている余裕もなくなるだろうし。
「あの、先輩。時計ってどの辺りにあるんですか?」
そう言って御伽先輩を見下ろすが、思った以上に視線が高い。でも顔に出しちゃいけない。ここで怖いなんて言ってたら、御伽先輩が代わりに登ろうかなんて言い出すのはわかってるんだから。ここは意地でも平気なフリを通さないと。
「えっとね、あそこよ。あそこっ!」
そう言って御伽先輩はある一点を指差す。方向からして校舎側でないのは明らかだ。ということは必然的に木の上ってことになるけど……とりあえず見てみよう。
言われるまま視線を大樹の枝へと向ける。
横からの刺すような陽射しに目を細めながらよく観察してみると、枝木の上に一際大きな輝きが確認できた。そこでようやく僕の思考が御伽先輩へと追いつく。
「見えました! でも、あれってカラスの巣……ですか?」
つまり、時計を盗んだのはカラスで、見つからなかったのはこの巣にデコレーションされていたからというわけだ。しかも、運のいいことに、現在巣はもぬけの殻だ。
「えぇ、多分そうね。それで、家主はいるのかしら?」
地上からは確認できないのか、御伽先輩は顔をしかめながら身体を前後左右へと揺らしている。この高さでは、普通に探してたら見つからないのも納得だ。
「いえ、いないみたいです」
「そう。それなら今がチャンスね。戻ってくる前に回収してしまいましょう。頼んだわよ、拓未クン!」
「はい、任せてください」
御伽先輩に向けて親指を立てると、僕は再び登頂を再開する。まったく、僕だけじゃなくて森本さんにまで迷惑をかけるなんて、人騒がせなカラスだ。
もし、ここに居たなら僕が仕返しを……いや、やめておこう。勝てるビジョンが見えない。そういう意味では不在だったのは素直にラッキーと思っておこう。
だが、三段目の机に登ったところで問題が生じた。
「……やばい」
思った以上に足場が不安定だった。最後の一段を登るくらいはなんとかできそうだが、そこから時計へ手を伸ばせそうにない。それこそバランス感覚がよかったり、身軽な人だったらできないこともないかもしれないが、少なくとも僕にはできる気がしない。
しかし、だからといって下りるにしても、下り方を間違えたら崩れ落ちそうだ。
それに、この高さから落ちたりしたら、ただじゃ済まないだろう。今更になって後悔の念が胸の内に広がっていく。
「ちょっと、大丈夫?」
御伽先輩もこちらの異変に気付いたのか心配をしてくれているようだ。
今の僕って、そんなに不安そうな顔をしているだろうか。
いや、考えるのはやめよう。僕がここにいるのは、御伽先輩に危険なことをさせないためなんだ。
自分自身にそう言い聞かせて僕は一番上の机へと上がった。ここまでくるとさすがに高さに恐怖を覚えるようになる。
もう下は見られない。
できる限り集中を切らさぬよう、注意を払いながらゆっくりと立ち上がる。足場が崩れる気配は……ない。
――よし、難関は突破した。
あとは時計を取り返すだけだ。一度、巣の中をうかがう。
まだ卵は産んでいないのだろう、巣の中には夕日色をした腕時計だけが鎮座していた。これなら何とか取れそうだ。
重心を後ろに預けたまま、腕だけを伸ばす。指先が幾度と宙を掻くが、焦っちゃダメだ。ここで落ちたらすべてが水の泡だ。
あと10センチ……5センチ……1センチ……。
自然と息が止まり、周囲から音が消える。全身の神経が指の先に集まっているような感覚だった。
そして、指先が腕時計のバンドに引っかかった。
よかった。これで依頼達成だ。
思わず安堵の息が漏れる。
瞬間、御伽先輩の声が耳に飛び込んできた。
「拓未クン、急いでっ! 上から来てるっ!」
「えっ?」
言われるがまま顔を上向ける。そこには巣へと戻ってきたのだろうカラスの姿があった。心なしか怒っているようにも見える。これは一刻も早く離れないと。
そう思った途端、急に視界が傾いた。それだけじゃない。なんだか周りの風景がゆっくりと移動しているような……。
「――拓未クンっ!」
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