第23話
勢いに任せて部室を飛び出したはいいが、そう簡単に御伽先輩が見つかるわけもなく、僕は廊下の片隅で呼吸を整えていた。
「御伽先輩、一体どこにいるんだ?」
息切れと疲労で動かなくなった身体を休めながら、僕は考えを巡らせる。
二年生の教室から始まり、体育館や保健室、そして生徒会室まで。先輩の行きそうな場所を片っ端から回ってみたが、まるで見つからない。
まさか、僕が探し回っている間に移動でもしているんじゃないだろうか。
いや、いつもの御伽先輩ならそれも考えられるけど、今は違う。あれだけ落ち込んでいたんだ、歩き回ってるだなんて考えづらい。きっとどこか人目のつかない場所でじっとしていると考えた方が自然だ。
だとしても、空き教室なんて山ほどあるし、使われてない特殊教室や準備室を入れたらきりがない。しかも絶対に校内にいるという保証もないんだ。もしかしたら学外――自宅へと帰っているかもしれない。だとしたら、もう手遅れってこともありうる。
僕は何でネガティブなことを考えてるんだ。諦めたら見つかるものも見つからなくなるじゃないか。今は校舎内のどこかにいる可能性を最後まで信じないと。
しかし、あてもなく探したところで時間は過ぎるばかりだ。
「考えろ、考えるんだ。今の御伽先輩は落ち込んでいる。落ち込んだ御伽先輩が向かうとしたら、どこだ……?」
その時頭にふと浮かんだのは紬先輩の言葉だった。
確か、昔の御伽先輩は本ばかり読んでる大人しい生徒だったって、言っていたはずだ。今の御伽先輩がどんなに明るくなったとしても、心の奥底から落ち着ける場所っていうのは、変わっていないんじゃないだろうか?
それはただの仮説だ。でも、不思議と僕には、御伽先輩がその場所にいるような確信があった。
「待っててください、御伽先輩」
まるで、何かに導かれるように、僕の足は穏やかに、そして着実に進んでいく。
そして――その場所に先輩はいた。
インクと紙、それに歴史をまぶしたような独特の匂い。それらに囲まれた部屋の片隅で、御伽先輩は座り込んでいた。
鍵を閉め忘れたのか、それともただ単に席を外しているだけなのかわからないが、図書室の中には他に誰の姿も見られない。照明がついていないあたり恐らく前者だろうが、今はそんなことはどうでもいい。
現在、ここに居るのは僕と御伽先輩の二人きり――それさえわかればいいのだ。
御伽先輩はこちらの存在に気づいてか、一度は顔を向けるも、すぐにうつむく。
それはもう、僕の知っている御伽先輩ではなかった。ただ、ひたすら何かに耐え続けている、か弱い少女だった。
見つけるまでは、会ったらこれを言おう、あれを言おうと色々考えていたはずなのに、一切の言葉が出てこなかった。
それほどに、御伽先輩の姿が衝撃的だった。まるで心を抜き取られた人形みたいな雰囲気に、僕は何もできず、ただ立ち尽くしていた。
どれくらいの時間、そうしていただろう。さすがにこのままじゃダメだと自分を奮い立たせて、僕は御伽先輩の元へと向かう。こんな時、紬先輩だったらきっと気の利いた言葉で御伽先輩を元気づけることができただろうに。
どうして、ここにいるのが僕なのだろうか。御伽先輩を助けたいという気持ちは確かにある。だけど、その気持ちがあるだけで、僕は何もできていない。声を掛けることも満足にできないのに、助けようだなんて本気で思っていたんだ。
無力な自分が、どうしようもなく滑稽で、嫌になる。
御伽先輩……御伽先輩は、どうして僕を占い同好会に誘ったんですか?
こんな、いざという時にほんの少しの勇気も持てない僕を――。
頭の中に、御伽先輩の明るい顔が浮かぶ。
もし、神様とやらがいるのなら、僕に勇気をください。悲しみの中に沈んだ御伽先輩を、そこから引き上げるだけの、勇気を。
瞬間、頭の中で御伽先輩が笑った。
――勇気ってのは、自分で生み出すものでしょ!
その言葉に、急に視界が開けたような、そんな気分になった。モヤモヤとした悩みや不安が一気に吹き飛ぶ。爽快感にも似た感覚だ。
そうだ、勇気は元々僕の中にあるものなんだ。それを教えてくれたのも、御伽先輩じゃないか。
その御伽先輩を助けるのに、ここで尻込みしている場合じゃない。
大事なのは、気持ちだ。素直に、思うがままを伝えて、それでダメならそれから考えればいい。
そして、僕は意を決して御伽先輩へと話しかける。
「御伽先輩、こんなところに座ってたら、制服が汚れますよ」
しかし、御伽先輩は動こうとはしない。だからといって、ここで引いちゃダメだ。
「隣、座りますね……」
断りを入れて、御伽先輩の隣に腰を下ろす。もちろん、御伽先輩から返事はない。
地べたに座ったりするのは、ないわけではなかったけど、図書室でこうして座るのは初めてかもしれない。
ただでさえ背の高い本棚が、こうしていると天井まで伸びて見える。
他に利用者がいたら、きっとこんなことはできなかっただろう。なんだか、新鮮な気持ちだ。
横目で様子をうかがってみるが、御伽先輩は相変わらずだ。僕の視線を感じているのか、こちらを見ようとする素振りもない。
「紬先輩に聞きました。御伽先輩のこと……」
一瞬、御伽先輩の頭がピクッと動いたような気がした。このまま続けていいか迷ったけど、僕は続けることにした。
「正直、どうすれば御伽先輩が元に戻るのか、全然わかりません。でも、戻る必要があるのかなって、僕は思うんです」
御伽先輩の顔がゆっくりと持ち上がる。潤んだ瞳と紅潮した頬、そしてはかなげな雰囲気に、抱きしめてあげたいという衝動が生まれる。こうして見ると、やはり御伽先輩は美人だ。そんな先輩が僕の話を聞いてくれているのだとわかると、ほんの少し嬉しくなった。
「これは本当に僕の憶測なんですけど、声が聞こえなくなったのは、必要がなくなったからじゃないのかなって」
言葉をひとつひとつ、紡ぎ出す。
焦らず、繕わず、でも正直に、自分の思いを述べていくんだ。
大事なのは、元に戻る方法なんかじゃない。御伽先輩が自信を取り戻すことなんだから。
「だって、僕は御伽先輩ならどうするか、目を閉じても簡単に行動が思い浮かびますよ。今までの言葉を思い出して実行していけば、きっと御伽先輩も――」
「……ありがとう」
消え入りそうな声だった。放っておいたら、どこか手の届かない所まで行ってしまいそうな、そんな危うさを含んだ声に、僕の心は強く揺さぶられる。
どうしてだろう。御伽先輩が僕の言葉に反応してくれているのに、この胸はざわついたままだ。
その予感を後押しするように、御伽先輩は続けた。
「でも、無理だよ……今のアタシじゃ……」
どうして、諦めるんですか。そんなの、先輩らしくないですよ。僕の中の先輩なら、ここですぐに気持ちが切り替わって今にも走り出しているのに。
これが、現実と、理想の落差というものなんだろうか。
もし僕が御伽先輩の彼氏とかだったら、ここで抱きしめて大丈夫だよなんて言えたのに。
しかし、残念ながら僕はただの後輩だ。自分の立場を勘違いして、余計に先輩を傷つけてしまうのではないか、そういった恐れが僕を踏み止まらせてしまう。
「アタシのことは、もういいから……」
そう言う御伽先輩は、とても綺麗な笑顔をしていた。
卑怯だよ。そんな顔をされたら、それ以上は何も言えなくなってしまう。
そして、御伽先輩はさよならとでも言うように、僕に背を向けようとする。
その時、僕は悟った。
ここで引き留めないと、絶対に後悔する。
御伽先輩は変わろうと努力して、ここまで頑張ってきたんだ。ここで支えてあげないと、今までの御伽先輩の思いまでなかったことになってしまう。
何より、すぐ隣で苦しんでいる女の子がいたら、助けてあげたいと思うのは当然じゃないか。
瞬間、紬先輩の言葉が脳裏に浮かんだ。
――拓クンには、御伽のことを守ってもらいたいなって。
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