第22話
「じゃあ、どうして御伽先輩は、神の声が聞こえなくなったんですかね……」
それは、僕にとって愚痴のような、ただのつぶやきのはずだった。
――瞬間、激しい殴打音が部屋に響く。
反射的に視線を落とすと、紬先輩がテーブルに拳を叩きつけていた。それでもなお、先輩の拳は震えていて、感情が昂ぶっているのがわかる。
「わからないわよっ! それがわかってたら、ウチが何とかしてる!」
あまりに突然のできごとに、僕はその場で硬直していた。雫や美紀先輩の視線もこちらに向いているのが肌でわかる。
とりあえず、ここは謝っておいた方がいいだろう。
「す、すいません……」
きっと紬先輩も精神的に参っているのだろう。その上で御伽先輩のことを話してくれたのだ。
紬先輩が色々話してくれたから忘れかけてたが、僕自身も御伽先輩の為に頑張らなくてはならないのに、それを他人事のように口にされたら怒るのも仕方ない。
大声を上げたことで、自分のしたことに気づいたのだろう、紬先輩は我に返った様子で慌ててトーンを落とし、謝ってくれた。
「いや、ウチも言い過ぎたわ。ゴメン」
「いえ、僕もすいません。それを真剣に考えなきゃいけないのに――」
紬先輩は首を横に振る。
「ううん、拓クンは悪くないわ。最近入ったばかりなんだし、本当はウチらが何とかしないといけない問題なんだから」
そう言ってくれると、ほんの少しだけど救われた気持ちになる。やっぱり紬先輩はなんだかんだで気を遣ってくれる、いい先輩だと思う。
それ故に、やりきれない気持ちが空回りしてしまっているのだろう。
「それとさ――」
紬先輩は再び顔を上げると、まっすぐに僕の目を見つめてくる。これはまずい。真剣な話をする雰囲気なのに、紬先輩の美貌が僕の心を揺さぶる。しかし、今更になって視線をそらすなんてできやしない。
僕は紬先輩に半ば魅了されたまま、その声に聞き入る。
「御伽はさ……あぁ見えて、本当はすごく弱い子なの。だから拓クンには御伽のこと、しっかり守ってあげてほしいの」
あの、どうして急にそんなことを?
言われた途端、プレッシャーを感じてしまうんですけど。結婚前提のお付き合いをするみたいな……。
勘違いしそうになるけど、別に付き合うわけじゃないんだよね?
「あの、紬先輩――」
途端、紬先輩は戸惑う僕の手を取り、ギュッと握って顔を寄せる。不意に近づいた紬先輩の香りに僕は頭の中が真っ白になり、口の中から言葉が消える。
「だって、拓クンは御伽の中の――神に選ばれた人なんでしょう?」
まぶしいくらいの笑顔だった。わかってやってるのか、それとも無意識なのか。どちらにしろ、これを拒否ができる男子がいるとは思えない。
そして、神に選ばれたって……まさかゲームでしか聞かないような言葉を、現実で耳にするなんて思わなかった。呼ばれて悪い気はしないけど、さすがにちょっと恥ずかしい。
「あの、二人とも、ちょっといいかしら?」
声のする方へ顔を向けると、そこには美紀先輩が立っていた。時間的にも美紀先輩の占いが完了している頃合いだし、恐らく結果が出たのだろう。ただ、妙に視線が冷たいように見えるのが気になるところだけど……何か気に障るようなことをしただろうか。
まぁいいや、とりあえず今は占いの結果の方が先だ。
「何かわかったんですか、美紀先輩」
僕が尋ねると、美紀先輩は怪訝な表情を浮かべた。もしかして、気のせいとかではないんだろうか。でも原因がわからないことには、僕にはどうしようもない。
「ハッキリとしたことは言えないけど……それより、二人はいつまで手を繋いでいるの?」
あっ、そういえば紬先輩と手を繋いだままだ。美紀先輩の冷たい態度はこれが原因だったのかな。
「すいません、いや、別にそういうつもりじゃ――」
慌てて手を放して取り繕う。これは不可抗力で、決してやましい気持ちでずっと握っていたわけじゃないんです。信じてくれるかはわからないけど。
なんだかさっきよりも美紀先輩の表情が硬くなって見えるのは、僕の自意識過剰ってことでいいよね。いや、むしろそうであってほしい。
一方、紬先輩はというと、大した問題と思ってないのか、ケロッとした顔をしている。なんだか、これはこれで何だか寂しい。
「別にいいけど。それで、結果の方だったわよね」
美紀先輩は紬先輩の方へと向き直ると、一息置いた後語り始めた。
「色々パターンを変えて占ってみたんだけど、興味深いことがわかったわ」
興味深いって、一体どんなことがわかったんだろう。というか、同じ占いでもやり方が変わったりするのか。これは面白いことを聞いた。どう違うかは見ていてもわからないのが問題だけど。
「それで、どんな内容だったの?」
紬先輩の声に、美紀先輩は一度視線を泳がせたが、すぐに続けた。
「その……藤本さんの運命なんだけど、別に大きな変化はないみたいなの」
大きな変化がないってことは……つまり、どういうことなんだ?
「それって、やっぱり御伽の心の問題ってことなのかしらね」
なるほど。そういうことなのか。さすが紬先輩だ。
「ごめんなさいね。何か画期的な運命が見えたらよかったのだけど――」
それはそれでありがたいけど、より解決が困難になりそうな気がする。いや、占い通りの結果が訪れるとすればの話だけど。
「いえ、これで十分よ。ありがとう、美紀ちゃん」
「そうですよ、美紀先輩は十分に――」
「すいません、ここが占い同好会ですか?」
その時、僕の言葉をさえぎるように、部室内に女性の声が響く。
どうしてこんな時に……まったく、間が悪い。ドアの開く音も聞こえなかったし……あっ、そういえば開きっぱなしになってたのか。
こんなところにやってくるなんて、物好きもいたものだ。そんなのは部員以外では生徒会長くらいだと思っていたけど、一体誰なのだろう。
入口の方へと顔を向けると、声の主の姿が確認できた。
それは同学年の女の子だった。クラスは違ったけど、廊下で何度か見かけたような気がするし、間違いはないだろう。残念ながら名前まではわからないけど。
ただ、その可愛らしい顔が今にも泣きそうになっているのが、気掛かりだ。
「あの、ちょっと今は部長が不在で……」
申し訳なさそうに雫が対応する。確かに可哀想だけど、こっちも御伽先輩の件で大変だから仕方がない。
だが、女の子は更に頭を下げて食い下がった。
「お願いします、祖父の形見がなくなったんです。落とし物にも届いていないらしくて――それで、ここなら探してくれるかもって、先輩から聞いて――」
震える声から女の子が動揺していることは明らかだった。できることなら助けてあげたいが、今の僕にはその権限も余裕もない。
ここに居るのが、いつもの御伽先輩だったなら、二つ返事で快諾してくれていただろうが、果たしてどうなるのだろうか。
それにしても、よりによって形見か。思い入れも強そうだし、無くなったのなら相当なショックだろう。
ただの落とし物だったら生徒会だとか先生に頼んでしばらく様子見もできたかもしれないのに、ここまで来るなんて本当に焦っているのは明白だ。
でも、探し物をするにしても、御伽先輩がいないことには厳しいんじゃないだろうか。
よくよく考えてみれば、今までの捜索というのも御伽先輩のあの常人離れした行動力があってこそという感じだったし、何より現状でそんな判断ができる人はここには――。
「――雫、いいわ。その話、受けましょう」
紬先輩がいた。
瞬間、女の子の顔に希望の花が咲く。でも、それって大丈夫なんだろうか。紬先輩のことを信用してないわけじゃないけど、やっぱり不安は残る。
紬先輩に目を向けてみると、先輩は自信に満ちた顔をしていた。それが不安を煽らない為なのか、本当に考えがあるのか、僕にはわからない。
「桜鼓さん、いいんですか? 探すにしても藤本さんは――」
「いいのよ。御伽が戻ってきた時に、この依頼を断っただなんて知ったら絶対に怒るもの」
確かに、御伽先輩なら怒りそうだ。やっぱり紬先輩は、御伽先輩のことをよく見ている。僕もそういう風になれるよう頑張らないと。
「それで、詳しい話を聞きたいんだけど、教えてくれる?」
「はい、最初に気づいたのは――」
紬先輩に先導されながら、女の子は事の顛末を語り始めた。
話をまとめると、女の子は僕と同じ新入生で、名前は
気になる点としては、同級生も先生も心当たりがなく、拾得物として届けられていることもなかったということか。
誰かが盗んだのか、それとも記憶違いでどこかに置き忘れたのか、どちらにしろ探すとなれば結構な労力になりそうだ。
「事情はある程度把握できましたけど、どうするんですか?」
雫の問いかけに、紬先輩は少し考えた後、口を開く。
「大丈夫、ウチが責任を持って絶対解決するから」
自信に満ちた紬先輩の声。薄々思ってはいたけど、紬先輩も御伽先輩に負けず、結構な行動派じゃないだろうか。
そのおかげで僕たちや森本さんも助かっているわけだけど。
「じゃあ、雫とウチで校内を見て回るから、美紀ちゃんはここでこの子のケアをお願い。そして、何かわかったことがあったらスマホで連絡を取り合うこと」
「わかったよ」
「任せてちょうだい」
紬先輩の指示にうなずき、返事をする雫と美紀先輩。
あれ? 僕の名前が入ってないんですけど、もしかして忘れられてたりするんでしょうか。
「あの、紬先輩、僕は何をしたら――」
「拓クンは、御伽の方の捜索をお願い。期待してるから」
そう言って紬先輩はウインクをする。正直、可愛い。やる気も三割増しって感じだ。
紬先輩はそういうのをわかってやっているのだろうか。まぁ、どうでもいいや。やる気が出たのは間違いない。
あと、紬先輩に言われたからってわけじゃないけど、あんな落ち込んだ御伽先輩なんて、僕は見たくはないし。
「わかりました、絶対連れ帰ってきます!」
「――うん、よろしい」
そして、みんなのやるべきことが決まって、占い同好会による大捜索が始まるのだった。
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