第21話
一体、どんな内容が聞かされるのだろうか。僕は息を呑んで紬先輩の言葉を待った。
「拓クンはさ、御伽が昔は大人しい性格だったって、知ってる?」
えっ、あの御伽先輩が? そんなの初耳だ。あの破天荒な振る舞いが後天的なものだなんて、驚き以外の言葉が出ない。
「いえ、今初めて知りました」
「……そう、じゃあこっちに来て。話してあげるから、御伽のこと」
紬先輩の言葉に、僕は引き寄せられる。御伽先輩が大人しかったって、初めて会った時でさえそんな様子は全然なかったし、一体先輩に何があったというんだろうか。
僕は御伽先輩の席へ座ると、紬先輩の話に耳を傾ける。
「そうね、まず昔の御伽だけど、時間さえあれば図書室に籠って本を読んでる、文学少女っていうの? そういう子だったわ」
あの御伽先輩が文学少女……ダメだ、想像してみても違和感しかない。頭の中で想像してみたけど、本を放り投げてそのままグラウンドを駆け回ってそうだ。それか図書館の本でドミノ倒しとかやっているか。どっちにしろまともなイメージじゃない。
「友達もほとんどいない子でね、私も名前を知ってる程度だったんだけど――」
えっ、紬先輩と御伽先輩が親しくなったのってそんなに後の方だったの? てっきり幼馴染だとかそういうものだと思っていた。だって、お互いに信頼しているような感じだったし。
「それじゃあ、いつ頃知り合ったんですか?」
「中学の2年の時だったかな? 休み時間に突然声を掛けてきたのよ。放課後、絶対車道を歩くなって」
「それって――」
「うん、予言。その時は変な事言ってる程度の認識だったんだけどね、いざ放課後になるとやっぱり気になっちゃって。友達と一緒に帰ってたんだけど、ウチだけずっと車道にはみださないよう歩いてたんだ。ほら、普段話すような相手じゃないし、冗談を言うようなタイプでもなかったからさ」
確かに、僕も同じような状況だったら気にしてしまうかもしれない。
「それでさ――当たっちゃったんだよね、御伽の予言がさ」
やっぱり、そうなんだ。となると、神の声ってのも本物だったりするんだろうか。にわかには信じがたいことだけど、紬先輩がこんな時に嘘を言うとも思えない。
話の真偽は別として、今は話の続きを聞くべきだろう。
「それで、何が起こったんですか?」
すると、紬先輩は深く息を吐き、視線を上向けた。
今、紬先輩は何を見ているのだろう。窓の外だろうか、当時の御伽先輩だろうか、それとも――。
「ホント酷かったよ。人間の血って本当に赤いんだって――知りたくもなかったけどさ」
紬先輩の言葉に、息が詰まる。
それって、つまり先輩の友達は事故に巻き込まれたっていうことになる。しかも、目の前で。そんなことが、僕の身近な場所で起こっていただなんて……その友達とやらは無事なのだろうか。そうであってほしいとは思うけど、それ以上を紬先輩は語ることはなかった。
僕自身が平凡だと思っている人生も、先輩や他の人からしたら、幸せに満ちて映るのかもしれない。そう思うと、怠惰に時間を潰して生活するのも申し訳なく思えてくる。
――いやいや、暗くなるのは後だ。今は御伽先輩のことを最優先で考えないと。
「それからなんだよね。ウチが御伽と仲良くなったのは――まぁ、命の恩人ってやつ?」
急に明るい口調で話し始める紬先輩。まるで、過去を振り切ろうとするような変わりように、僕は一瞬、言葉に詰まる。
「……だから、あんなに親しいんですね」
「うん、ウチの一番の親友」
「わかります」
聞けるわけがない。その友達がどうなったかなんて。だって、今でさえ苦しさを押し隠して語ってくれてる紬先輩の心の傷を抉るようなマネなんてしたくはない。
「それで……えっと、そうそう。ウチ、御伽に聞いてみたんだ。どうしてわかったのかって。そしたらさ――」
「神の声が聞こえたって言ったんですか?」
「うん、正直驚いた。思ってもいない答えだったし。でも、そんなこと、どうでもよかったんだ」
「どうでもよかったって、じゃあ、信じたんですか?」
紬先輩はどこか大雑把なところはあるけど、偶然最初の予言が当たったからといって、そういう超常現象的なものを信じるようなタイプには見えなかったから、驚いた。
しかし、紬先輩は肯定することもなく、苦笑を浮かべる。
「信じてるかって聞かれると答えに困るかな。今もよくわかってないし。でも、ウチを助けてくれたってことは変わらない事実だから――」
だからって……いや、いいんだ。それが紬先輩の信じることなら、僕がとやかく言うことじゃない。
でも、紬先輩の話だと疑問が残る。
「それじゃあ、御伽先輩があんなにアクティブになったのも、神の言葉だったりするんですか?」
僕の質問に、紬先輩は顔をしかめる。そして、数秒の間を置いた後、僕の目を見ながら口を開いた。
「御伽はそう言ってたわ。でも、ウチはそうは思わない」
そうは思わないって、信じているんじゃないんだろうか。それとも別の、何か根拠でもあるのだろうか。紬先輩のことだし、答えてくれるとは思うのだけど。
「あの、もうちょっとわかりやすく説明してくれると助かるんですけど……」
すると、紬先輩はまた数秒ほど考え込んだ後、教えてくれた。
「拓クンは、仮に神様が実際に存在したとして、御伽の願いを聞いてくれると思う?」
一体紬先輩は何を言いたいのだろう。実際、御伽先輩は毎日のように儀式をしているのだし、聞いてくれてるのではないのだろうか?
「御伽先輩の様子を見る限り、聞いてくれてるんじゃないんですか?」
しかし、紬先輩の表情は硬いままだった。それが僕の心をより強張らせる。
「いいえ、あれは御伽がただ勝手にやっているだけよ。少なくともウチはそう思ってる」
勝手にとはどういう意味だろう。素直に捉えれば、神の声は聞こえていないということになるわけだけど……。
「もしかして、あれは神の声なんて聞こえてないって、紬先輩はそう思っているんですか?」
僕の問いかけに、紬先輩は首を縦に振る。
「うん、御伽をずっと近くで見てきたからわかるの。あの儀式で聞こえると言ってる声も、大半が予言とは言えない内容だし、そもそも神様なんていうのはウチらの声を都合よく聞いてくれたりするような存在じゃないでしょ?」
確かに、紬先輩の言う事は目からウロコだ。コールセンターに電話するのとは違うのだし、毎回神様とやらが答えてくれるなんて思えない。
でも、そうなると御伽先輩の言う神の声の正体って何なのだろうか。
本当に聞こえていたりしない限り、あんな言動はしないと思うのだけど……まさか、幽霊とか? いや、さすがにそれはないと願いたい。
「でも、だとすると何が原因なんですか? 御伽先輩の行動って――」
「うん、御伽の行動が尋常じゃないのはウチもわかってる。だから、これはウチの推測なんだけど――」
一体どんな事情があるというのだろうか。僕は固唾をのんで紬先輩の言葉を待った。
紬先輩は一度僕に目を向けると、再び視線を外して言の葉を連ねる。
「ウチが思うに、御伽の質問に答えてくれる声っていうのは、御伽の心の声じゃないかって、そんな気がするんだ」
「心の、声……ですか?」
まさか、二重人格とか、そういう類のものなんだろうか。そっち系の知識がないからよくわからないけど、何だか大変そうだ。
「うん、きっと御伽はちゃんとした意思を持っている子なんだと思う。だけど、それを行動に起こすだけの勇気がなかったんだろうなって……」
「だから、神の声を?」
「そう、神の声として自分に信じ込ませたんじゃないかな」
紬先輩の話を聞いて、改めて御伽先輩について思いを巡らせてみる。
大人しい、引っ込み思案な自分を変えたい――そう思うことはあっても、いざ変えるのは難しい。そう考えると、なんだか御伽先輩が、どこにでもいるような、小さくてか弱い女の子のように思えてきた。
しかし、紬先輩が次に放った言葉は、僕の思考を一旦停止させるくらいの、十分過ぎる衝撃を含んでいた。
「ただね、ちょっと気になったことがあってさ、御伽が拓クンに声をかけたのは、予言があったからって言ってたんだよね」
「えっ?」
瞬間、全身に鳥肌が立つのを感じた。だって、あの日声を掛けられるまで、僕は御伽先輩に会ったことがないのだから。
顔だとか名前ならまだ、それっぽい資料だとか探せばわかる範囲だ。それならまだ理解ができる。
でも、御伽先輩は僕の黒歴史まで知っていた。あれはどう考えても常人が調べてわかるような内容じゃない。入学してくるかもわからない、見ず知らずの後輩の様子を監視しているだなんて、無茶を通り越して意味がわからない。
それこそ、神の声が聞こえたと言った方が、まだ納得しやすいレベルの奇術だろう。
だが、続いて紬先輩の口から飛び出すエピソードは、驚きを運んでくるのをやめない。
「入学式の日に騒ぎを起こした時も、3日後に登校してくる新入生が入ってくれるから大丈夫って御伽は言ってたし、たぶん知ってたんだと思う」
正直、身の危険を感じたような心地だった。入学式当日の欠席ならまだ予見できる。しかし、何で休む日数までわかることができるのだろう。
医者にかかって入院しているわけじゃないのに、体調の回復する日程までわかるはずがない。
こればかりは、さすがに冗談だと思いたい。だが、恐らく事実なのだろう。
「紬先輩……それ、さすがに冗談ですよね?」
冗談だと言ってもらいたい。その思いから僕は紬先輩に答えを求める。
そんな僕に対して紬先輩は、うつむきがちにではあるが、答えをくれた。
「拓クンについては謎だらけだけど、きっとどこかで見た記憶を元に無意識に推理したんだと、ウチは思うようにしてる」
推理……確かに、神の声が存在しないのなら、そう考えるのが自然だ。
でも紬先輩的には、神の声が聞こえないということは、心の声が聞こえなくなったということになるわけで、結局原因はわからないままということにならないだろうか。
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