第19話

 普段意識なんてしてないものだから、思ったより時間はかかってしまったけど、なんとか校長室の前までやってくることができた。

 でも、ここで終わりじゃない。これから中に入って、しかも顧問になってくれるようお願いしないといけないんだから。

 あぁ、なんだか部屋にも入ってないのに緊張してきた。

 とりあえず落ち着こう。問題はどうお願いするかだ。僕は御伽先輩みたいに口が上手いわけでもないし、言葉は準備しておかないと。

 言葉遣いはいいとして、御伽先輩の名前は出した方がいいんだろうか。それとも実直に顧問になってくださいと言った方が好感を持ってもらえるかな?

 いや、待てよ? そもそも校長先生が顧問になったとしたら、逆に困るんじゃないか?

 今までやってきた活動を振り返ってみるが、校長先生が顧問だったら大問題なことだらけだ。誰かがSNSに上げたら大炎上待ったなしなことをやってきたわけだし。それを、胸を張ってお願いなんてできるわけがない。

 そもそも、何でこんな損な役回りを僕がこなさなくてはならないのだろう。もういっそのこと、このまま部室に戻って断られましたとか言ってもいいんじゃないだろうか。

 いや、さすがにそれはやめた方がいいかもしれない。御伽先輩なら校長先生相手にも、遠慮なしに裏を取りにいきそうだし。

「これ、もう完全に罰ゲームだよ……」

 思わず漏れた独り言に、慌てて周囲を確認する。

 遠くの方に先生らしき人影はあったが、それ以外は特に問題なさそうだ。もし聞かれてたら、このまま職員室か生徒指導室に連行からの事情聴取は避けられないだろうし。

 だからといって、このまま突っ立っていても、時間が解決をしてくれるわけもない。

 悔しいことに、御伽先輩の言う通り、勇気を出すしかないみたいだ。

 そうだ、あの黒歴史をバラされるくらいなら、こんなの朝飯前だ!

 まだ若干緊張が残っている手に力を込めて、校長室の扉をノックする。

「どうぞ」

 中から返ってきたのは女性の声だった。校長先生って確か男だったはずだけど……誰か先客でもいたのだろうか。それはそれで気まずい。けど、今更引くわけにもいかない。

「しっ、失礼します」

 僕は意を決して扉を開いて中へ入り――。

「何で先輩がいるんですかっ!」

 ――心の底からツッコミを入れた。

 そこにいたのは校長先生ではなく、御伽先輩だった。正確に言うなら、校長先生が座っているはずの席に、我が物顔で座っている御伽先輩がいたのだ。

 ここって、校長室だよね?

 部屋を間違えた可能性を考え、一応室内を見回してみる。足元には絨毯が敷かれ、すぐ近くには来客用のソファとテーブル、そして美紀先輩。どうして美紀先輩までいるのかなんて、考えてはいけない。壁には歴代の校長先生らしき写真が並べられているし、手前の戸棚には活躍したクラブが獲得したのだろうトロフィーが飾られている。

 御伽先輩が座っているイスや机もデザインが凝っているし、これは余程手の込んだドッキリでもない限り校長室だろう。

「あの、御伽先輩、どうしてここに?」

 とりあえず、一番に気になったことを聞いてみる。

「愛ちゃんがしつこかったから、緊急避難させてもらったの」

 御伽先輩は悪びれる様子もなく答える。校長室って生徒会に追いかけられて逃げ込む場所ではないと思うのだけど。

「じゃあ、校長先生がいないのはどうしてですか?」

「なんか集会があるとかで校外にいるみたい」

 そう言って机の上にあった書類箱から、それらしき紙を見せつける御伽先輩。先輩の自由奔放ぶりは校長室であっても健在なようだ。

 結局、空振りだったということか。これを残念と思うべきか、幸いと思うべきか……胃が痛くならないだけ良かったとしよう。

 それにしても、よく校長室の扉が開いていたものだ。貴重品とかもありそうだし、もっと厳重に鍵とかかかっていそうなイメージだったけど、実際のところはそうでもないのだろうか。

「さて、そろそろ部室に戻りましょうか」

 特にやることもなかったせいもあってか、御伽先輩は席を立って撤収モードに入る。顧問についてあれだけ固執していたのに、ちょっと意外だった。

「あの、顧問はいいんですか?」

 僕の質問に、御伽先輩は笑って答える。

「いいのいいの。よくよく考えてみたら、顧問がいなくても困ることないもの」

 困ることがないって、じゃあ僕の振り絞った勇気はなんだったのだろうか。いや、御伽先輩のことだから、つい勢いでって言われても驚かないけどさ。

「顧問がいないと、公式戦とか合宿の手続きが取れないことが多いのよ」

 いつの間にか近くに立っていた美紀先輩が説明をしてくれた。油断していたのもあって、思わず肩がピクッと反応する。

 毎回思うけど、美紀先輩の隠密スキル、高すぎないだろうか?

 視界外から突然話しかけてくるのは心臓に優しくないので、できることなら僕の視界に入ってから話しかけてほしいんですけど。

 ……まぁいいや、話を戻そう。確かに、美紀先輩の言ったような理由なら確かに占い同好会は影響がなさそうだ。大会とかないみたいだし、普段やってることも専門的な勉強というわけでもない。困るのは合宿のために遠出するのができないくらいだ。

 これなら、今すぐ顧問が必要ということもないだろう。

「まぁ、アタシとしては拓未クンがちゃんと校長室にやってきてくれて嬉しかったけどね。もう思い残すことはないわ」

「石井クンも一人前になれたのね、おめでとう」

 なぜか突然拍手して持ち上げてくる先輩二人。それ、逆に不穏なんですけど。これから何かあるんですか? そうなんですか?

「じゃあ、一人前になった拓未クンにプレゼントよ」

 そう言うと御伽先輩は僕の手の上に何かを握らせる。

 手を開いてみると、そこにはタグのついた鍵があった。しかもタグには丁寧に校長室と書かれている。

「あの、これってどういう……」

「鍵の返却、頑張ってね」

 よろしくではなく、頑張って? それってもしかして――。

「つい取ってきちゃった」

 いや、可愛く言ってもダメでしょう。これ完全に御伽先輩の後片付けをやらされてるだけじゃないか。

「それじゃあ、それ返したら今日は帰っていいわよ」

「ふぁいとっ、石井クン」

「えっ、あっ、ちょっと――」

 僕が文句を言う前に、御伽先輩も美紀先輩も猛スピードで校長室を出ていく。会長から逃げてもまだあれだけの速さで走れるなんて、陸上部にでもなればいいんじゃないだろうか。

 じゃなくて、僕もこのままじゃまずい。現状、これって僕が校長室の鍵を盗んで侵入してるようなものじゃないか。

 とにかく、今はここを出て鍵をかけるんだ。返し方はその後で考えよう。

 急いで校長室を出て、鍵をかける。後は誰にも見つからないようにこの場を離れて――。

「あら、君は藤本御伽のところの……」

 よりによって、生徒会長に出くわしてしまった。そりゃそうか、だって御伽先輩たちを追ってたんだもの。鉢合わせすることもあるだろう。

 とりあえず、疑いを掛けられる前にこの鍵を隠さないと。

 自然を装って手を後ろに回す。ひとまずは、これで安全に――。

「ちょっと、今何を後ろに隠したのかしら?」

 うっ、さすが会長だ。目ざといというか、抜け目ないというか……って、何気にピンチじゃないか。どうする、石井拓未。

「えっと、これは……」

 どうする、誤魔化そうにも会長相手にどこまでやれるかわからないぞ。かといって逃げ切れる自信なんてこれっぽっちもない。

 もう、ありのままを話して助けてもらった方がいいんじゃないだろうか。その方がきっと心象もいいだろうし。

 御伽先輩の期待には沿えないかもしれないけど、自分の身の方が大事なんです。というわけで、僕は会長に頭を下げ、鍵を差し出した。

「すいません、生徒会長。実は――」


 僕の言い分は思いの外すんなりと受け入れられた。

 会長は溜息を吐きながら、同情するような眼差しで苦労するわねと言ってくれたし、少なくとも僕が何かしらの処分を受けるのは避けられそうだった。

 それも、大元が御伽先輩だったからというのが大きいのだろうけど。

 鍵は会長が代わりに返しに行ってくれるということに落ち着き、僕は何度もお礼を告げて部室へと戻った。 

 なんというか、数分の出来事なのに、数年分の冷や汗を一気にかいたみたいな心地だった。もう、こんな目には二度と遭いたくはない。

 でも、きっとこれからも、続くんだろうな……。

 御伽先輩の顔がぼんやりと思い浮かぶ。

 ……まぁ、やれるだけ、やるしかないよな。自分にできる範囲でなら、だけど。

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