第18話

「あの、これはどういうことなんでしょうか?」

 目の前で繰り広げられている謎の攻防に、僕は思ったありのままを吐き出す。

「ぬぅっ、いや、私には生徒を良き道へと導く使命があるんだ、こんな誘惑になど――」

「ほらほら、そんなに強がってないで素直になっちゃいましょうよ、梅宮先生。ほら胸元の辺りをよく見て。立派な谷間が見えるかもよ?」

「ぐぬ、ぐぬぬぬぬぬ。ぬおぉぉっ!」

 見たままを言うなら、制服の前をはだけた美紀先輩を前に、梅宮先生が悶絶しているという構図だ。

 梅宮先生のことは初めて見たけど、結構ガタイもよくていかにも体育教師って感じだ。スーツの上からでもわかる筋肉の盛り上がりからも相当鍛えているんだというのはわかる。ただ、それに見合うだけの精神力が伴ってないのは問題じゃないだろうか。

 だって、こんなあからさまなハニートラップに苦悶してるくらいだし。よくこれで生徒指導なんてやっていられるものだ。

 ただ、それを煽ってるのが御伽先輩というのが、なんとも悲しい。教頭先生がこの様子を見たら卒倒するんじゃないだろうか。

 僕の視線に気付いたのか、御伽先輩はようやくこちらへ視線を向けると、さも平然と言い放った。

「あぁ、これは色仕掛けよ。去年はあと少しの所で落とし損ねたから今年はいけると思って――」

 だからって、美紀先輩を巻き込んじゃダメでしょう。というか、生徒指導室で何やってるんですか。他の生徒に示しがつかないでしょうに。幸い僕たち以外に生徒はいないみたいだからいいけど、ここに生徒会長でも来たら修羅場どころじゃないよ。

 それに梅宮先生もきっぱり断ってくださいよ。これじゃあただの煩悩筋肉教師じゃないですか。

「あの、ほどほどにお願いします。その、生徒会とかもうるさそうだし」

 今の僕にはこれが精一杯の提言だった。僕が何を言おうと御伽先輩が素直にうなずいてくれるとは思わないし、梅宮先生がここまでポンコツだとは思わなかったから。

「大丈夫よ。私のことは、気にしないで」

 美紀先輩も僕を気遣ってかそう言ってくれる。それは嬉しい。でも、顔を赤らめてたり恥ずかしがっていたならともかく、表情ひとつ変えずにそんな格好をしている美紀先輩は、なんか違うと思う。

「ぐおぉぉぉっ!」

 梅宮先生の咆哮が響く。

 この人は一体何と戦っているんだろうか。さすがに僕もちょっと引く。

「あと一歩なのよね。でもこれ以上は刺激が強すぎて気絶しちゃうだろうし……」

 腕組みをしながら、御伽先輩は真剣に悩む。内容がマジメだったら僕も是非協力したいところだが、残念ながらそうなる気配はまるでなさそうだ。

 それに、刺激が強すぎると気絶するって、むしろ梅宮先生の体質の方が気になってくるんだけど……いや、やめておこう。考えるだけで精神が消耗しそうだ。

 その時だった。生徒指導室のドアがノックされる。

「あの、梅宮先生、どうかなさったんですか? 失礼しますよ?」

 この声は生徒会長だ。普通の生徒ならまだしも、会長にこの状況を見られたら、さすがにまずいのではないだろうか。ここは何とかして時間を稼がないと――。

 しかし、そんな僕の焦りを一蹴するように、生徒指導室のドアは開かれる。

「……えっ?」

 入ってきた途端、会長の顔が固まる。

 それもそうだろう。今にも制服を取り払いそうな美紀先輩を見れば誰だってそうなる。しかも同じ部屋に梅宮先生がいるのだから、そういう場面に出くわしたと思ってもおかしくはない。

 だが、会長はすぐに御伽先輩の姿を見つけ出し、再始動する。

「やっぱりあなたが仕組んだのね、藤本御伽! これは一体どういう魂胆よ!」

 ビシッと指をさして声高に会長は詰問する。これ自体は見慣れた光景だが、まさか生徒指導室に来てまで見るとは思わなかった。

「あぁ、佐賀美君か。助かったよ。あと少し遅かったら危なかった」

 佐賀美……そういえば会長ってそんな名前だったっけ。すっかり忘れてた。これもきっと御伽先輩と一緒にいる弊害なんだろう。なんとなくだけど、会長のことをぞんざいな存在に捉えてしまう。

 そして梅宮先生はというと、どこか安心した様子で溜息を吐いていた。窮地に援軍が来たようなものだし、そうなるのも当然なんだけど、もっと威厳を持とうよ、一応先生なんだしさ。

「愛ちゃんが来たなら長居はできないわね」

 御伽先輩は口先をとがらせて顔をしかめるが、困っている様子はまるでない。それが僕を不安にさせる。だって、絶対にろくなことにならないもの。

「拓未クン、アタシは愛ちゃんと鬼ごっこすることになりそうだから、後は頼んだわ」

 御伽先輩からの突然の名指しに、僕は思わず聞き返えしていた。何かしらの役割は回ってくるだろうと薄々思ってはいたけど、まさか丸投げがくるとは予想外だ。

「頼んだって、えっ? 何をすればいいんですか?」

「じゃあ、校長先生よろしくっ」

 そう言って御伽先輩はウインクをする。

 あっ、結構可愛い……じゃなくて、そんなことを言われても困る。よりによって何故新入生の僕が校長先生なんだ!

「いやいや、無理ですって。僕にはそんな勇気ないですって! せめて一緒に来てくださいよ」

 すると、御伽先輩はニッコリ笑って親指を立てた。

「勇気ってのは、自分で生み出すものよ。だから拓未クン一人でも大丈夫よ」

 そういう謎の論理はもういいですから……って、僕一人? 御伽先輩は逃げ回るから当然として、美紀先輩は?

「中原さんも同罪よ。あなたが藤本さんの言う事を拒否していればこんなことには――」

 あぁ、飛び火するからか。納得した――じゃなくて、これ完全にソロミッション確定の流れじゃないか。

「御伽先輩、今日はもうやめましょう。それがいいです。一旦体勢を立て直してからでも――」

 しかし、僕の思いが通じる前に、御伽先輩は美紀先輩の手を取り駆け出した。

「あっ、待ちなさいっ、藤本御伽っ!」

 会長も逃がしはしまいと御伽先輩を正面から迎え討とうと構える。だが、そこは御伽先輩だ。まったくの無策とは考えづらい。

「愛ちゃんにはもっとお似合いの人をプレゼントするわ――よっ」

 それは一瞬の出来事だった。

 目にも留まらぬ早業で御伽先輩は、近くで完全に油断していた梅宮先生の腕をつかむと、そのまま勢いに任せて引っ張る。

 これには会長も驚いたのか、動きが止まる。しかし、それがいけなかった。バランスを大きく崩した梅宮先生の体が会長へと倒れ込む。

「えっ、ちょっと。梅宮先生、近いからっ、ちょっとぉ!」

「いや、違う。これは違うんだ。それより、どいてくれ!」

 二人の悲痛な叫びがシンクロしたところで、重い振動が周囲に響いた。

「それじゃあ、頼んだわよ、拓未クン」

「頑張ってね、石井クン」

 床で横になっている会長と梅宮先生を避けながら、御伽先輩と美紀先輩はこちらに手を振ってくる。そんな余裕あるなら僕も一緒に連れていってくれてもいいのに。

 そもそも美紀先輩は胸元が開いて――ない。いつの間にか元に戻ってる。これはちょっと残念……じゃなくて、これなら校内を逃げ回っても安心だろう。

「待ち、なさい……まだ、まだよ……」

 なんだか会長が梅宮先生の下から抜け出そうともがいている。梅宮先生は目を回してるみたいだし、今なら安心して逃げ出せそうだ。

「それじゃあ、健闘を祈るわ」

 やけに明るく御伽先輩は手を振ると、一足先に廊下へと飛び出していった。その後に続いて駆けていく美紀先輩のスカートがひらりと舞って……惜しい、見えなかったか。

 ――じゃなくて、僕もそろそろ移動しよう。さすがにこの場に残って会長が覚醒する姿を眺めるだなんて、そんな趣味はない。

「すいません、失礼します」

 僕は小さく頭を下げて、廊下へと向かう。もちろん、会長たちを避けるようにして。

「ちょっと、行くの? せめて抜けるのを手伝って――ちょっと?」

 会長を残すのは心苦しかったけど、会長ならきっと大丈夫だろう。それより、今は御伽先輩からの無茶振りをなんとかこなさないと。

 考えれば考えるほど気持ちが重くなっていく。本当に大丈夫なんだろうか。

 案の定、廊下には先輩たちの後ろ姿すら見えない。

 不安と心配を背負いながら僕は一人、校長室へ続く廊下を歩いていった。

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