第10話

 授業終了を報せるチャイムが鳴ると、途端に教室は賑やかになった。

 板書中の先生が渋い顔をしていたけど、そんな様子を気に留める生徒はいない。ちょっと可哀想な気がしないでもないが、生憎僕もそこまで勉強熱心なわけじゃない。

 そう、今は放課後。みんなが思い思いに自分のやりたいことに打ち込める時間帯だ。

 まぁ、僕の場合、いつものあの場所へ向かう事になるんだろうけど――。

「……はぁ」

 やっぱり、憂鬱だ。

 占い同好会の一員として活動する、これはいい。

 御伽先輩の言動に付き合わされる、これもよしとしよう。

 結果、変な行動をしている団体の一員だと思われる、うん、これが一番の問題だ。

 もう仕方ないと割り切ってしまうことができたら楽なんだろうけど、残念ながらそこまで達観した思考は持てていない。

 あぁ、なんでこんなクラブに入ってしまったんだろう。いや、原因は自分なんだけどさ。

 普通のクラブだったらこんな時休んだりとかして、悠々と帰宅できるのに……ちょっと待てよ?

 だったら実行しちゃえばいいのではないだろうか。

 別に本分である勉強の方は疎かにしているわけでもないし、そもそも僕は人数合わせのような立ち位置だったはずだ。

 占いもできるわけじゃないし、僕一人がいなくて何の支障があるというのだろう。いや、ない。

「そうだよ。何でこんな単純な事に今まで気づかなかったんだ」

 逃げることは悪いことじゃないって、どこかの誰かが言っていたはずだ。名前は忘れたけど、きっとそこそこに有名な人だろう。

 よし、御伽先輩には悪いけど、今日は帰らせてもらおう。

 でもそうなると、休む口実が必要になるわけだけど……まぁいいや、サボってしまえ。

 さすがの御伽先輩も、そこまで僕に執着するとは思えないし。

 そうと決まれば善は急げだ。机上の教科書とノートを鞄に放り込んで、すぐさま席を立つ。後は帰宅組の流れに乗って一緒に出るだけ。我ながら完璧な作戦だ。

 そして、廊下へと一歩踏み出した瞬間――。

「こんにちは。拓未クン、さぁ一緒に行きましょう」

 そこには笑顔で立ちふさがる御伽先輩がいた。

 あれ、僕は今幻覚でも見ているんだろうか?

 今までこんなことはなかったのに、まさか御伽先輩によく似た双子の姉妹……なわけはないよね。いたら絶対話題になってるはずだもの。

 いや、まだだ。偶然この近くを通りかかっただけということもあり得る。希望は最後まで捨ててはいけない。

「あの、御伽先輩はどうしてここに?」

「う~ん、何だか来た方がいい予感がしたんだよね」

 うっ、鋭い。勘がいいのは依頼の解決には最適だけど、今回はやめて欲しかった。

「そうなんですか。それじゃあ、僕は――」

「さぁ、一緒に行きましょう」

 がっしりと肩を掴まれる。ダメだ、逃れられない。これは僕が何を言っても連れていく気だ。

 くそっ、結局あきらめて部室へ向かうしかないのか。

 そうして、僕のささやかな野望は、計画から一分も経たないうちに幕を閉じるのだった。


「あらっ? 来てるのは雫だけ?」

 部室に入るなり御伽先輩は意外そうな声を上げる。

 僕も顔をのぞかせてみるが、御伽先輩が言うように、室内にはエプロン姿の雫が箒を手に立っているだけで、紬先輩や美紀先輩の姿はない。あの二人のことだから、僕みたいに逃げ出そうとしたなんてことはないだろうけど、一体どうしたんだろう。

「中原さんと桜鼓さんは、遅れてくるみたいですよ。図書室に寄ってくるとか言ってた気がします」

 図書室に? 美紀先輩はわかるけど、紬先輩はそういうイメージがまったくわかない。付き添いか何かだろうか。どんな理由にしろ、この場にいないということは僕たちの負担が重くなるってことなのだろうけど。

「そう……それなら仕方ないわね。とりあえず、全員集まるまで待つとしましょうか」

 御伽先輩はそう言うと、いつもの席に腰を下ろす。

 意外だ。御伽先輩のことだから、人数がそろってなくても勝手に僕たちを巻き込んで活動を開始するものだと思っていた。

 でも、御伽先輩がそう言うのであれば僕は甘んじて受け入れよう。面倒事はなるべく避けたいというのは事実だし。

 僕は最近ようやく馴染んできた自分の席へと座る。窓際、日当たり良好、立地としては悪くない物件だ。

 雫はというと御伽先輩にお茶を配っている。もうそれがルーティーンになっているのだろう。

 それにしても、何もしないというのは平和でいい。日差しも心地いいし、このまま居眠りしてしまうのもいいかもしれない。

 だが、それで終わらないのが占い同好会だ。厳密には、その部長である御伽先輩だ。

「……暇ね」

 腕を組みながら御伽先輩が呟く。待つと言ってからまだそんなに時間も経っていない。

 いくらせっかちな性格だとしても、これは早すぎるだろう。前世はマグロか何かだったんだろうか。

 まぁいいや。余計な口出しをして巻き込まれるのは嫌だし、ここは傍観に徹しよう。

「ねぇ、雫。どれくらい時間がかかるとか聞いてないの?」

「時間ですか? いえ、ちょっと遅れるとしか――」

「……そう、わかったわ」

 わかったと言いつつも御伽先輩の表情は険しいままだ。じっと待っているのが嫌なら、先に意見箱でも取りに行ってくればいいのに。別に誰も反対はしないだろうし。

 とりあえずお茶でも飲んで落ち着いたらどうだろうか。テーブルに置かれた湯呑みが寂しそうに湯気を上げているし。

 僕のそんな思いをスルーするように、御伽先輩は天井を仰ぐ。何か考え事でもしてるのだろう。それはそれでありがたい。御伽先輩がじっとしているということは、それと同じ時間だけ平穏な時が続くということなのだから。

 さぁ、僕もお茶でも飲んでゆっくりしようか。

 そう思って席を立った瞬間だった。

 偶然なのか、それともこっちを見ていたのか、御伽先輩と目が合ってしまった。

 あっ、笑った。これは間違いなく僕をターゲットにしてる。

 早めに退避しておかないと、何をされるかわかったものじゃない。

「ちょっと、トイレに行ってきます」

 そう言って僕はすぐさま御伽先輩に背を向けて歩き出す。

 前にも似たような状況があったような気がするけど、それは思い出さない方向で。そう、今の僕はトイレに行くだけ。逃げるわけじゃないんだ。

「そう……それじゃあ、雫に教えてあげないといけないわね」

 教えるって、何を?

 嫌な予感がして、思わず足が止まってしまう。だが、それが間違いだった。

 御伽先輩は異様に抑揚をつけて、語り始める。

「ねぇ、雫。拓未クンなんだけど、実は中学の時に――」

 まさか、今になってそれを持ち出してきますかっ?

 僕は反射的に振り返ると、全力で御伽先輩の元へと向かいその手を取る。なんで手を取ったのかはわからない。とにかく必死だった。

「わかりました。どういった用件ですか?」

 すると御伽先輩は清々しい笑顔を浮かべる。

「拓未クンなら、そう言ってくれると信じてたわ」

 言わせたのは御伽先輩の方じゃないですか、なんて言えたらどんなに楽だろう。残念ながら今の僕にはそこまでの発言権はない。圧倒的劣勢なこの状況、被害を最小限に抑えるには従うしかないんだもの。

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