第26話 天国から来たの?

* * *

ロイくんへ


さっき、さくら子ちゃんに会ってこの手紙書いてます。

ベルナベウでのお仕事終わったら、マヨル広場で会いたいです。

夜の11時に待ってます。


マドリより

* * *


「まひる」の逆は「まよる」とでも言うんだろうか。


夜の10時59分。マヨル広場でロイくんを待つ舞鳳。

くだらないことでも考えなてごまかさないと、ドキドキして心臓が破裂しそうだ。


ちーさんの一番の親友まどちゃん。

ロイくんのママになったまどちゃん。

丸尾さんの奥さんになったまどちゃん。


まどちゃんが病気で亡くなったのは四年前。

ロイくんが二年生のときだそうだ。

ロイくんとまどちゃんは、小学校に上がる少し前から、二年生までのおよそ二年間、母・子として暮らした。


その時間が、短かったのか長かったのかはわからない。

わたしの記者初日が、こんなにも長いのだ。

これを二年間も重ねたら、いったいどんな濃さになるのだろう。


舞鳳の想像が正しかったためしは、ほぼない。

人の気持に対する想像の精度の低さは、相当なものだと思われる。

想像はするのだけれど、たいてい外れる。


それでも舞鳳は想像してしまう。


「養子」をとったまどちゃんの、数えきれないくらいたくさんの覚悟を。

自分以外の誰かの視線を意識し、社会の意見に耳を傾けた瞬間、押しつぶされてしまう。そんな強烈なプレッシャーをはねのけ、「養子」という選択を取った。

自分の感性と、一番の親友の直感と、丸尾さんのメッセージだけを頼りに決断した。


舞鳳は勝手に想像して、胸を震わせてしまう。


いつ消えるかわからない、命の炎。

十年以上生きられるかもしれないし、一か月後にその日が来るかもしれない。

まどりちゃんはそう言われていたそうだ。


それを知った上で、ロイくんを迎え入れた。

ロイくんのママとして、全力で愛情を注いだんだと思う。


第三者からはまったく推し量ることのできない時間。

単純な長さでは測れない。

長い哀しみを圧倒的に凌駕する、短くも鮮烈で幸福な時間。



ロイくんに会ったら、何て声をかければいいんだろう。

というか、さくら子ちゃん、ちゃんとロニィにお手紙渡せたかな?



そう思っていたら――目の前にいた。



マヨル広場に一本だけある、背の高いランプが二人を照らす。

先に声を出したのは、ロイくんだった。



「天国から来たの?」



舞鳳はロイくんの目をじっと見て答える。

「ううん、もちろん、違うよ」

「でも、洋服がそっくり同じ――」

「ちーさんがそろえてくれたんだ」


ロイくんの声は、さっき聞いていたから知ってはいたけれど、思っていたよりもずっとずっと幼く、高く、かわいらしかった。


「ちーさんのこと、知ってるんだ」

「冬本さんが、ちーさんのアトリエへ連れて行ってくれた」

「冬本さん? あ、しんさんのことも知ってるんだ」

「うん。丸尾さんつながりで」

「パパのことも知ってる」

「パパのことは、すごく、すごく知っているよ。四年くらい前から」

「四年前――」

「ねぇ、ロイくん。ロイくんのパパについて、一つだけ、ずっとわからないことがあったんだ」

「何?」

「あなたのパパがインスタやっているの知ってる?」

「うん」

「いつもふざけてるよね」

「うん。ふざけてる。もうインスタやめなよ、って言ってるんだけどね」

「そうなの? けっこうウケているから、やめたら悲しむ人多いかもよ」

「へぇ、そうなんだ。それ聞いたら調子に乗るから言わないでね」

「でね、今までに何回かロイくんの写真をアップしていたの知ってる?」

「うん、知ってる」

「でもロイくんとのツーショット写真のときだけ、丸尾さん、何も書かないよね」

「うん」

「なんでかな?」

「ああ、さすがだな――」


ロイくんはニコっと笑って、ちょっとだけくちびるを噛んだ。


「やっぱり――ママが正解だった」



* * *


「何も書かなくても伝わるから」


まどちゃんの残したアドバイスだった。


自分の命が尽きたら、すぐに誰かにあとを継いでほしい。

そう言ったらしい。

あととは「ベルナベウのママ」の役割だ。


ロイくんはママに釘を刺されていた。

「パパに任せちゃだめよ。パパは雑誌に「恋人募集中」とか書いちゃうくらいだから」

「じゃあ、なんて書けばいいの?」

「何も書かなくていいと思う」

「え、何も書かなくていいの?!」

「うん。ときどきさ、パパと二人のいい写真が撮れたって思ったら、インスタにアップするといいよ。コメントには何も書いちゃダメ。それを続けてれば、ロイとパパのことを好きになった人が、きっと向こうからやってきてくれるから」

「コメントいらないの? ベルナベウのママの仕事、超大変だよ?! 条件とか仕事内容とか、すごく大変だってこと、ちゃんと書いておかないと、ズルくない? せっかく興味を持ってもらえても、逃げだしちゃうよ。それなら予め――」

「あは、ロイはまだちっちゃいのに、すっかりパパに似ちゃったね。大丈夫だよ。ベルナベウのママは、仕事だけど仕事じゃないの」

「仕事だけど、仕事じゃないの?」

「うん。ねぇ、ロイ。マドリードにあるベルナベウって何人入るか知ってる?」

「マドリードってスペインの首都?」

「物知りだね、ロイは」

「そのくらいは知ってるって。マドリードもベルナベウがあるの?」

「あっちが本家だから。レアル・マドリードっていう、サッカーのスーパーチームのスタジアムなんだ、ベルナベウって。8万人もお客さんが入るんだよ。すごいスタジアムなんだ」

「じゃあ、こっちのベルナベウは、パパがつけた名前?」

「そう。パパはね、ロイを息子にするって決めた日、誓ってくれたの。ロイとママを幸せにするって。さらにおまけに、もっとたくさんの困っている子どもを幸せにするって。ベルナベウに負けないくらい、たくさんの子どもを幸せにする。最低8万人は救える施設を作りたい。そう思って、この場所を創ることを決意して、そこにベルナベウって名づけたの」

「最低8万人! そんなに困っている子いるの?」

「日本人の子だけじゃないよ。世界中の子を助けたい。みんなが入りたいって憧れるような施設を作りたい。スーパースターばかりが生まれる、銀河系集団を作りたい。そんなのムリでしょ」

「ママ、ムリだと思ってないでしょ」

「うん。思ってない」

「そうだと思った」

「一人の人間の思いは小さくても、それは拡がるの。そして世界を幸せにする。だから、何も言わなくても大丈夫。思いはきちんと伝わっていくから」

「うん」

「ロイがママのところへ来てくれて良かった。ありがとう」

「ママ」

「次のママが来たら、しっかり手伝ってあげてね」



* * *


夜の静寂とランプの光。

マヨル広場で向き合う二人の後ろから、少女の声がした。


「ねぇねぇ、ねむれないよう」

「さくら子!!! どうした?」

「こわくてねむれない」

「もう11時過ぎてるよ!」

「うん。しってる。おねぇちゃんのてがみにかいてあった」

「ちょっと、オレ、寝かしつけて――」


ロイくんが手を引こうとすると、さくら子ちゃんは言った。


「ロニィじゃない」


さくら子ちゃんは舞鳳を指さした。


「ママみたいなおねぇちゃんとねたい」

「ダメだよ。オレと寝よう」

「ロニィはヤダ。ママみたいなおねぇちゃんがいい」

「だから――」


舞鳳は目をつむる。

震えを全力でおさえ、思いを短い言葉に託した。


「いいよ」

「やったー!」

「いっしょに、寝よっか」

「マドリさん!」

「ロイくん、マドリさんは終わりにしよう」


たった今から――


「ママって呼んでいいよ」

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