第25話 さくら子ちゃんは手紙ブーム

ベルナベウの裏庭。

デイビッドくんのシュート練習を30分くらい眺めていると、スカートを後ろから引っ張られた。


「こんにちは~! ゆーびんやさんでーす」


振り返ると、かわいい配達員が立っていた。

小学校に上がるか、その前くらいの、小さな女の子だ。

おかっぱ頭で、白と黄色のお花のヘアピン。薄いオレンジのワンピース。スカイブルーのタイツを履いていて、手にはかごを持ってる。


「ゆーびんありますか?」

「ゆーびん?」

「あ、その子、さっきも来ました。さくら子ちゃんって言うんだよね」

「さくら子ちゃんです。お兄ちゃん、ゆうびんはありますか?」

「だからないってさっき言ったじゃん」

「ちがう。あとでかくっていってたよ」

「そうだっけ」

「いま、かいてよ」

「え?!」

「おねぇちゃんも、かいて」


便せんとペンを差し出された。

便せんといっても、さくら子ちゃんお手製の便せんで、カラーの紙を七夕のたんざくのように、長方形に切ったものや、折った跡がたくさんある折り紙の便せんだ。

ペンは五色あって、好きなものを使っていいと言われたが、黒と赤はかすれてしまって、青と緑と黄しかなくて、黄色は書いても解読が難しそうなので、青と緑の二択になった。


さくら子ちゃんは、ベルナベウの中を行ったり来たりして、みんなのお手紙を配達しているとのことだった。さくら子ちゃんの手にしているカゴには、けっこうな枚数の手紙が入っている。


この子も――何らかの理由で、親とは別に暮らしているのだろうか。もしそうだとしたら、こんなかわいい子と、どうして一緒に暮らさないんだろう……。深い事情があるのはわかる。いや、深い理由がなきゃおかしい。舞鳳はさくら子ちゃんのちいさな、とてもちいさな「おてて」を見て、この世界の「負のなりたち」のようなものに対して息苦しくなった。


自分にも物心ついたときには父親がいなかった。

理由は知らない。幸せなことに母親がしっかりした人で、最初はスペインで、そのあと日本で、二十三歳までちゃんと育ててくれた。


母親とは別に離れて暮らしているわけではない。

むしろ母は「そろそろ彼でも見つけて家を出たら」くらいのことを言う。今日も珍しく、土曜日の朝早くから出かけるものだから「もしかしてデート?」と期待させてしまった。



「ねぇ、おねぇちゃんかいて」

「あ! ごめん」

「おにいちゃんは?」

「そうだな、じゃあ、このレアカードにサインをしてあげよう。ひとつはさくら子ちゃんの分、もう一枚はロイに届けてくれる?」

「かりこまいました!」



か り こ ま い ま し た



謎な日本語に舞鳳とデイビッドくんは笑いをこらえる。たぶん、ここで笑ってしまうと、プライドを傷つけさくら子ちゃんは泣いてしまう。


「これ、かっこいいね。だれ?」

「オレ。さくら子ちゃん、これは、お兄ちゃんだよ」

「これ、おにいちゃん? ウソだ」

「オレだよ、ねぇ、マドリさん」

「さくら子ちゃん、見せて」


たしかに映っているのはデイビッドくんだ。それにしても……商品のようだ。すごくクオリティの高いカード。躍動的な写真をキラキラさせて、きれいな金色の縁取り加工もされている。


「これ、どうしたの?」

「これは、オリカ職人に作ってもらったんです」

「オリカ職人?」

「ゲーセンで知り合ったんです。サッカーのカードゲームがあるんですけど、そのゲームをやっている人に、オリジナルカードを上手に作る人がいて。その人と友だちになって、作ってもらいました! あ、マドリさんに渡してなかったな。あれ、まだどこかにあるかな」


このカード、お相撲さんから一枚取り上げてすでに持っている――ということはナイショにしておいた。


「デイビッドくん、金色が好きなの?」

「当たり前じゃないですか。金は最強の色です」

「一つ、当ててあげようか?」

「デイビッドくんさ、去年のサンジョルディの日に、金色の包みの本をプレゼントされたでしょ」


デイビッドくんは、カバンの中につっこんだ、あと一枚のカードを探す手を止めた。


「サンジョルディの日? なんですかそれ」

「4月23日。本をプレゼントする日なんだけど……」

「その日は何ももらってないです」

「え?」

「でも誕生日にもらいました。金色の包みで」

「あ、そっか、誕生日って場合もあるか!」

「なんか親が、書店で小さなお花をつけてくれたって言ってましたね。あれ? なんで知ってるんですか」

「あの包装、わたしがしたの。書店員時代に」

「そうなんですか! うわ、すげぇ偶然!」

「デイビッドくん、4月生まれなの? もうすぐ誕生日?」

「5月2日です。ベッカムと同じ日に生まれました」


デイビッド・ベッカムと同じ誕生日。


それで――


「あ、あった!」


デイビッドくんはラスト1枚という「オリカ」を舞鳳に手渡そうとした。するとさくら子ちゃんがそれを、全力で作ったと思われる「こわい顔」でさえぎった。


「ちゃんと、ゆうびんやさんでやって!」

「え?」


郵便物を個人間で渡さないで欲しいということらしい。


「あ、ごめんなさい。さくら子ちゃん、これ、マドリさんに届けてくれますか」

「はーい。かりこまいました!」


カードをデイビッドくんから受け取ったさくら子ちゃんは、すぐ隣にいる舞鳳にわたさず、わざわざ広場を一周走ってから、舞鳳へ手渡した。


「マドリさーん、おとどけでーす」

「何だろう。あ、カード!」

「うれしいですか?」

「うれしいです」

「じゃあ、へんじのおてがみをかいたほうがいいですね」

「え?!」


それから何回も、かわいい郵便屋さんを介して、デイビッドくんと短い手紙のやり取りをした。広場をへとへとになるまで走り回ったさくら子ちゃんは


「そろそろさいごのおてがみにしてください」


とようやく音を上げてくれた。


「最後の手紙かぁ。どうする? デイビッドくん書く?」

「マドリさん、お願いします。あ、オレ、もう行きますね! じゃあね、さくら子ちゃん。マドリさんは、明日も試合、来ますか?」

「うん、行くと思う」

「しゃべっちゃだめ! てがみ!」

「うわっ、キリなっ! じゃあ、帰ります!」


デイビッドくんは走り去り、さくら子ちゃんと舞鳳の二人になった。


「さくら子ちゃん、ベルナベウの生活、楽しい?」

「うん!」

「お手紙運ぶの上手だね」

「おしごとだから。みんなおしごとじょうずにやるよ」

「そうなんだ」

「さいごのてがみはやく。おなかすいちゃった」


うーん……最後の手紙か――どうしよう。


さくら子ちゃんに書いてあげようか。


そのとき――とつぜん舞鳳の頭に一つのアイデアが浮かんだ。


「さくら子ちゃん、教えて。ここの場所、何て言うの?」

「ここは、マヨルひろば」

「マヨルひろば?」

「うん!」


そしてさくら子ちゃんお手製のしわしわの折り紙便せんに、舞鳳は緑のペンで短いメッセージを書いた。


「これ、ロイくんに届けてくれるかな?」

「ロニィ?」

「そう、ロニィ」

「かりこまいました!」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る