第22話 秒速の結婚
「これで、大丈夫だと思う!」
ちーさんはスカートを持って立ち上がって、舞鳳の座るソファの隣へ腰かけた。
「ママなのかな。あの子、高校生だから、もうあたしをママなんて呼ばないけどね」
「そんな大きい子がいらっしゃるんですね」
「小学生のころね、あたし、同じクラスの親友「まどちゃん」と約束したんだ。そっくり同じ年に子どもを産んで、いっしょの学校に入れよう。お隣のおうちに住んで、一生ずっとずっと仲良くしようねって」
ちーさんは冷めてしまったミルクティーを手に取り、一口飲んだ。
舞鳳は体を固くしたままソファでじっとしていた。
「約束通り、あたしたちはずっとずっと仲良くしてた。でもまどちゃん…30歳になる前に、病気になっちゃって。子ども産めない体だと言われて。それがちょうどあたしが妊娠しているとき。まどちゃん、わんわん泣いたんだ。あたしもさんざん泣いた。病院のロビーで抱き合って泣いた。テレビではサッカーのワールドカップがやっていた。日本中が盛り上がっていたとき、まどちゃんはどん底にいたんだ。親友はどん底にいる。あたしのお腹には赤ちゃんがいる」
ごめんね、夢、こわしちゃったね
「まどちゃんは、命にかかわる病気になったのに、そんなことを言ってたんだ。子どもが大好きだったんだよ、まどちゃんは。うちの子が生まれたあとも、ほぼ毎日遊びに来てた。二人で育てたようなものだよ。もしまどちゃんがいなかったら、あたしの息子、もうとんでもない子になっていただろうね、きっと」
ちーさんは笑った。舞鳳は涙しか出ない。
「でもね、六年か七年くらい前、子どもを授かる夢を見たってまどちゃんが言い出したの。その夢があまりにリアルすぎて怖いっていうんだ。まどちゃん、スピリチュアルなものとかそんなに好きじゃなくて、あたしの手相も冗談みたいにしか見てくれなかったんだけど、そんなまどちゃんが、あたしに手相を観てもらいたがって。それで見たら、子どもが生まれる相になっていたの」
「え?!」
「そう伝えたらまどちゃん、見た夢について詳しく教えれてくれたんだ。夢の中でまどちゃんは赤ちゃんを産むんじゃなくて、赤ちゃんを選んだって。まどちゃんの夢の中では、薄暗い場所で、ずらって並べられているたくさんの赤ちゃんの中から、たった一人の子を選んだみたい。すごくいけないことをしているような、でもとても大切なことをしたような、奇妙なダリみたいな夢だったって」
「ダリ?」
「スペインの生んだ天才」
「スペイン――」
「あの日から、まどちゃんはいきなり変わったんだ。ちーちゃんが「子どもが来る」っていうなら大丈夫って、養子のことを一生懸命調べ始めたの。でも普通あり得ないから。独身の、稼ぎがそれほど多くない女性が、養子をとりたいなんて。健康にも超不安がある。問題ばかり。独身よりは夫婦の方が信頼されるんだけど、養子をとる前提で結婚してくれる人なんている? しかもお金がある人。さらに、結婚した妻がいつ最悪な事態になってもおかしくない。そんな女性にぴったりな人なんて、ふつうに考えたらいるはずない。でも手相を観ると、子どもの相はくっきりだし、しかも恋愛の相も出てた」
「え?」
「でね、まさに、ここ。このソファで、いつものように、ダラダラおしゃべりしたり雑誌を読んでたりしてたら、ある人のインタビューを見つけたの。注目の若手実業家みたいな感じでインタビューされていたその人が、丸尾さん。インタビューでなんと、彼女を募集してた。インタビューの中で、彼女募集なんて普通する?! しかも先着1名様とデートしまーすって軽いノリで。インタビューをしている記者さんに呆れられてツッこまれていた。こういうことするからチャラくて女性に信用されないって」
「あは!」
「で、まどちゃん、その一秒後だよ、あたしの意見も聞かないで、いきなりここで、編集部に電話をしたの。電話はアートなのに」
「え!」
「そしたら……まさかの会ってくれることになって。で、二人は結婚しちゃったの! スピード結婚もいいところだよ。秒速の結婚」
「すごい。あり得ない!」
「丸尾さん、偉いと思う。まどちゃんのリクエスト、すべて受け入れたんだよ。無条件で。それだけじゃなくて……日本では養子ってまどちゃんの夢のように、子どもを選べるものじゃないし、本当に複雑と言うかいろいろ問題がある制度なんだけど……丸尾さん、この日本に、たくさんの親がいない子、親からひどい扱いを受けている子がいることを知ったんだ。二人の元に来たのはロイくん。小学校に上がる前の、かわいい男の子だった。でもロイくんの他にもたくさんの子がいることを丸尾さんは知っちゃった。ロイくんが来てくれた幸福に感謝して、そしてロイくん以外の、自分のところに来るかもしれなかった子たちのために涙した。そして建てたのが」
舞鳳は息を飲んだ。
「ベルナベウ。何も知らない人はあそこを孤児院とか呼ぶけど、そんなんじゃないから。ただ可哀想な子を預かっているわけじゃないの。丸尾さんは、本当に上手に、運命的に出会った子にぴったりの、さらに運命的な人を見つけてくるんだよね。子どもと大人は、助ける助けられるの関係じゃない。ミラクルを生んで、お互いの人生を彩ってくれる素敵なパートナー」
「すごい……丸尾さん」
「そんなすごい丸尾さんに、マドリちゃんは選ばれたんだよ」
マドリちゃん――舞鳳は自分のことだと一瞬気がつかなかった。
「きっかけは、雑誌に載っていた軽すぎる「恋人募集中です!」という言葉。あれが編集者によってカットされていたら運命変わっていたよね」
「そうですね……そうか!」
「ふつうカットされるよね、そんなくだらない発言。でも記者さんが丸尾さんから言葉を引き出し、それを世に送り出した。もしかしたらこれは大事だと直感したのかもね。マドリちゃんも……そんな記者さんになれるといいね」
「責任重大ですね! うわ、だって、恋人募集って言葉を載せなかったら、丸尾さんとまどちゃんは出会わなかったわけですよね。ロイくんも来なかったし、そんなこといったらわたしもここには……」
「うん。でもそれがこの世界のなりたちだから」
こ の 世 界 の
な り た ち
「誰のせいでもない。責任は負わなくていい。出会う人とは必ず出会う。だって記者さんが書いたところで、まどちゃんが読まなければこういう展開にはならなかったわけだし、記事を読んでも、ヘンな記事、ヘンな人って思ってスルーしたらそれはなかったことになるわけだし」
「あ! 言われてみれば」
「だから、自由に生きていいんだよ。責任なんて感じないで。感覚的にっていうとしんちゃんブーブー言うかもしれないけど、直感を大事にして、会いたい人に会って、やりたいことをやって。それでいいと思う。あ、もう行かなくちゃね」
「なんていうか、ちーさん、いろいろと……」
舞鳳が感謝の言葉を述べる前に、ちーさんは力いっぱい抱きしめてくれた。
「タクシー呼ぶ? それとも送って行こうか?」
「ちーさんの車に乗ったら……ちーさんの予言が当たってしまうかもです」
「あたしの予言? 何それ?」
「ほら、車に気をつけろって。ちーさんの愛車、冬本さんがヤバいって」
「たしかに! ベルナベウまで辿り着ける気がしない」
「はい。タクシーで行きます」
「ロイくんによろしくね。その服で現れたらきっと驚くと思うよ。すごくすごくいい子だから。マドリちゃんも気に入ると思う。あ、ロイくんに選ばれなくちゃいけないのか」
「そうみたいですね」
「ロイくんは……短い間だったけど、まどちゃんが、死ぬほど愛情をかけて育てた子だから。本当に……死ぬほど。毎日、ぎゅうって抱きしめて寝ていたみたいだから。あの甘えん坊さんのロイくんが、今やベルナベウのエースだもんね」
「エース?」
「ベルナベウで一番年上なのがロイくん。今、何人いるんだろう。10人以上はいると思うんだけど、ロイくんはみんなのお兄さん的な存在なんだよ。勉強も信じられないくらいできるから先生役でもあるね。サッカーもすごい。何かウワサでは外国のチームから誘われているらしいよ」
「すごい! キレキレな子なんですね!」
「うん。そしてロイくんは小6なのに、ベルナベウにいる全員を、無条件で心から大切に思っているんだ。それがすごく伝わってくるの。見ている方が泣けてくるくらい愛情をかけてる。ロイくんはみんなの――」
天井の星のような、暗闇で輝くキラキラしたもの。
ちーさんの目に、キラキラしたものがいくつも浮かんだ。
「ママ役もつとめてるんだ」
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