第21話 わたしは舞鳳

舞鳳はとても大きな鏡の前に立った。


着させてもらった白いブラウスは襟が丸くて、お嬢さんみたい。

襟の藍色のパイピングもすごくきれいでかわいい。

ボタンも一つ一つがアンティークぽくって、薄いピンクと淡いグリーンの糸がミックスして使われていてとてもていねいな作り。


「すごい」


舞鳳はくるっと回ってみる。

ブラウス全体には、花柄があしらってあって、それらはベージュの刺繍で目立たないけれど、綺麗な陰翳と立体感を出している。合わせてくれたふわっとしたスカートの色は、深すぎず明るすぎずの、シックなグリーン。スカートの丈は長くて、シルエットはエレガントとカジュアルの中間の、バランスの良い美しさを持っていて、思わずひらりひらりと翻したくなる。


幸せに包まれる舞鳳に対し、ちーさんは渋い表情だ。


「ふーむ。マドリちゃんはまどちゃんより、ちょっと細いね」

「まどちゃん?」


そう、まどちゃん、とつぶやきながら、ちーさんは舞鳳のウェストをチェックした。


「あたしの……世界で一番の友だち。今でも一番の友だちまどちゃん」

「もしかして、このお洋服はその――」

「サイズ直そう。妥協はダメだよね」

「あ、いいですよ、そんなに緩くないですし」

「ダメ、直そう。マドリちゃんに合わせて、パーフェクトにぴったりにしよう」

「あ、はい」


舞鳳はちーさんにていねいに採寸される。

親しい人に――まだ会ったばかりだけれど――採寸されるということで、最初はちょっと照れてしまったが、ちーさんの職人のような表情を観て、気持が引き締まった。まるでちーさんの体の一部みたいな、薄いピンク色のメジャーは、レトロですごくかわいかった。


「じゃあ……ちょっと待っててね。そこのソファにすわって、適当にその辺の雑誌か本でも見ていて。えっと代わりのスカートは……これでも履いてて。これもまどちゃんのだから大きいかもだけど」


ちーさんはすごく高そうな、ひと目でプロ仕様とわかる立派なミシンをがたがた動かす。防音がしっかりしているのだろうか。外の音がまったく聞こえない。


聞こえてくるのは、ミシンが思い出の服の上を進んでいく音のみ。

すごく静かな、森の中にあるアトリエにいる気分だ。


ちーさん。

ミシンを扱うちーさんの後ろ姿は、見惚れるほどカッコいい。


そして舞鳳は思いを馳せる。

ちーさんが言ってた、このすてきなお洋服の持ち主、まどちゃん。


ここで外したら、恥ずかしすぎるけれど。


でも「ミラクル」というくらいだからきっと――


舞鳳は「コナンの犯人」がいつも予想もつかないくらい、名探偵でも何でもないけれど、それでもぼんやりと答えが見えた。


丸尾編集長の奥さん。

つまりロイくんのママ。

そしてちーさんの世界で一番の親友。


その人の名はたぶん



マ ド リ



そしてマドリさんはたぶん、もうこの世には――



一番の友だちを喪うということはどういうことだろう。

若くして妻を亡くすということはどういうことだろう。

まだ小学生なのに母親ともう二度と会えない。


危ない。

また泣いちゃいそうだった。


わたしは舞鳳。


名前とはかけ離れたキラキラでもなんでもない、平凡な人生を送ってきた舞鳳。

勉強は苦手だったから、いろいろ我慢して頑張らないと大学に入れなくて。

入った大学も自分にとってはついていくのが精一杯。

でもなんとか、嫌な思いをたくさんして、ようやく就職できて。

そうして就職したのにあっさり落ち込んで、二年で辞めちゃって。

どうしたらいいのか呆然としていた。

そんな哀れな、誰も取材したくない舞鳳。舞鳳が主人公の『マドリの冒険』は、元オリンピック選手にも情けなさで勝っちゃうくらい。


取り柄のない、誰も憧れたりしない、ぜんぜん舞っていない舞鳳。


それなのに――


この世界でぽっかり空いていた「かつてマドリさんがいた場所」へ行きついた。


マドリさんのいた場所に舞鳳がやってきた。


これはマッチング名人の丸尾さんのおかげ?

それとも丸尾さんが言うように、ずっとずっと思いをネットに綴っていたおかげ?

因果関係を整理する必要はないか。ちーさんがきっとそう思っているように、この展開は不思議でも波乱でもないのかもしれない。


きっと、これでいいんだ。


ひとまず勝手に自爆してうずくまっていてはダメだ。

ゆだねるところはゆだねて、こらえるところはこらえて。

迷いながら、信じる力をつけていく。

自分を信じる力。世界を信じる力。


結局は、誰もがいつか、すべてが夢のように――


舞鳳はブラウスの上に涙がこぼれ落ちないように顔と目を上げる。


ちーさんのアトリエ。

昨日までまったく接点のなかった、アーティストのアトリエ。

その天井に、星のおもちゃが貼りつけてあることに気づいた。

何かで読んだことがあるが、これらを見たのは初めてだ。


ちがう、読んだんじゃない。

たしか映画。

思い出した――


『リトル・プリンス』


『星の王子さま』の現代解釈版みたいな映画。その中の主人公の女の子が、天井におもちゃの星をたくさん貼っていたシーンがあった。


部屋の光を落とすと、明るい間に光を集めていたあのおもちゃの星たちは、いっせいに輝き始めるんだ。


光を集める。自分じゃ輝けないから、世界の輝きを集めてまわる。


もしかしたら、わたしはちーさんの「二番目の友だち」になるのかもしれない。

だってちーさんは、あんなに真剣に、わたしに合わせようとしてくれているから。


このブラウスは、そしてあのスカートは、亡くなった一番の友だちの、思い出の服。そしてロイくんにとっても、もしかしたら丸尾さんにとっても思い出の服なのかもしれない。


舞鳳は想像する。

もう一人のマドリさんが、この服を着て元気にしていた頃の世界を。


そしてわたしはマドリ。

地名からテキトーにつけられた名前。ムダにキラキラにされた名前。

そう思ってた。嫌いではないけど、ぜんぜん好きじゃなかった名前。


それでもネットでもマドリを名乗ってた。

そして、今、ここにいる。


たった一日で世界の見え方がまったく変わってしまうことがある。



ママになるって、どういう感覚だろう――



もう一度、ちーさんを見つめる。

ちーさんはママなんだろうか?


「ちーさん」

「ん?」

「すごくすごく失礼な質問になってしまうかもしれませんが、聞いていいですか?」

「いいよ」

「ちーさんって、ママですか?」

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