第20話 ベルナベウ
本気モードのちーさんの手相観は、目つきが鋭すぎて、緊張するというより、背筋がぞっとするほどだった。
「良かったね。記者の仕事はすごく向いている。この感じだと、何年も、何十年も続けられるかもしれない。自信を持って楽しんで頑張ってね」
「はい、ありがとうございます……」
記者に向いてると断言されたことは自信になるし、すごく嬉しいけれど、なんだか、そわそわして落ち着かない。
原因ははっきりしている。
だって――冬本さんの大切な知り合いが、大けがをしたという情報を知ってしまったから。
冬本さんがあんなに青ざめるなんて。
靭帯のケガ……それがどれほど深刻なものかはスポーツとは縁がない生活を送ってきた舞鳳にはまったく想像がつかない。
でも――ダメだ。
感情に流されちゃダメだ。
冬本さんだって動揺を抑えて次の一手を探しているわけだし。こうしている今も、友だちの不運を嘆くのではなく、クライアントに提示できる最善の手を探っている。
そして――
わたしも冬本さんのクライアントだ。
冬本さんの友だちであり、クライアントだ。
冬本さんがロイくんのところへわたしを連れて行こうとしたのだったら、それがきっと最善手だったにちがいない。
だったらわたしは、怯まないで向かわなくちゃ。
冬本さん、がんばってね。わたしも――
ぼんやりしていると、ちーさんがいきなり声を上げた。
「ああ、わかった。なるほど! 子だくさんって……そっか、そういう意味だったのか。すごい!」
「え?」
「なるほど、それだったら理解できる」
「それって?」
「ベルナベウ」
ベルナベウ?
聞き覚えがあるような……ていうか、さっき冬本さんの口からでたフレーズ、聞いたばかりだ! これからわたしが行く、ロイくんがいる場所のことだよね?!
「あの、ベルナベウって……マンションかなんかの名前ですか?」
「うーん……あれはマンションじゃゼッタイないよね。なんて言えばいんだろう。ビルというか建物の名前なんだけど……丸尾さんが建てた大きな、えっと……」
「大きいんですか?」
「お風呂は四つあるし、食堂も二つある」
「お風呂が四つ?!
「キッチンはすごく広くて使いやすいよ。一人一人の寝室もちゃんとあるし、子どもたちの自習室もあるし、トレーニングルームもあるし、シアタールームもあるし……なんと、お相撲の土俵もある」
「土俵!!」
「すごいよね。大きな子たちがいると防犯上いいという発想みたいだけど」
「防犯上?」
ちーさんは舞鳳に「紅茶、飲む?」と聞いた。
アトリエの隣の部屋は、小さなキッチンになっている。
舞鳳は与えられた情報からベルナベウの全貌について思い描くが、なかなか想像できない。
「ベルナベウって、丸尾さんの……事務所的なものなんですか? それともロイくんの家ですか?」
「それはどっちも正解。でも丸尾さんはほとんどベルナベウにはいないかな。わたしも丸尾さんには、ベルナベウでは数えるくらいしか会ったことないし」
「そうなんですか?!」
「でも心配しないで大丈夫。ロイくんは、えっと……夕方5時には必ずベルナベウにいるから。このあと行けば、間違いなく会える」
ベルナベウ。
ちょっと大きめの家かマンションのインターホンを押して、ロイくんいますか? みたいな……冬本さんの話しぶりからは、そんな出会い方をなんとなく想像していたけれど、ぜんぜんちがった!!!
「マドリちゃん、あの、一応確認していい?」
「あ、はい」
「マドリって、本名?」
「え?」
本名かどうか――記者のオファーを出される前に、丸尾さんにも同じことを確認された。
――「え? マドリって本名なの?」「あ、はい」「本当に本名?」
ちーさんが用意してくれた紅茶は、ミルクティーだった。
「どうぞ。今、チャイとロイヤルミルクティーブームなんだ」
ミルク大丈夫とか尋ねられる前に、問答無用でミルクティーだった。
きっと舞鳳の手のひらから
「ミルクティー超好き。しかもロイヤルミルクティーなんてすてき!」
という相が出ていたのだろう。
どうやら砂糖も、聞かれる前に入っているようだ。
ロイヤルミルクティは、いい意味で強引でなのに甘くて、そしてすごく「頼れる感じ」がして、舞鳳はひと口すすっただけで、とてもリラックスできた。
「わたし、マドリードで生まれたからマドリと名づけられました。そんな名づけた父はわたしが生まれる前に離婚して、どこにいるかも知りません」
「そうなんだ」
この「そうなんだ」は、言葉としては短いけれど、しっかり受け止めてくれた「そうなんだ」であると、舞鳳にははっきりわかる。
「マドリちゃん、ロイくんに会うの、初めて?」
「あ、午前中、サッカーの試合で……遠くで見かけましたが、直接会うのは、はい、初めてです」
「目的は?」
「目的?」
「ロイくんに会いに行く目的」
「えっと……うーん……わたし、何しにいくんでしょう」
それはウソだ。
ちゃんとわかってる。
冬本さんはきっぱり言ってた――
「ロイくんが、舞鳳さんをママとして受け入れてくれるかが問題だと思います」
ちーさんは、冬本さんのスタイリストだ。
冬本さんは「いつでも明るさを与えてくれる大切な存在」みたいなことを言っていた。だったらわたしにとってもきっと――大切な存在になるはず。
信じよう。
人が変わってしまうことを恐れずに、信じてみよう。
舞鳳は、すこし迷ったけれど、味方だったら情報は共有しておいた方がいいと判断して、丸尾さんを知った経緯と冬本さんと出会った流れ、冬本さんから明かされた養子のことやらママのことを、ちーさんへ説明した。
舞鳳にとっては波乱ばかりのドラマチックな展開なのに、ちーさんはそれがまったく特別であるとは思っていない様子で「そっか。あー、そういう展開になっていたんだね」とふつうに納得した。
そのふつうさ加減が――すごくしっくりきた。
このくらい、当たり前なんだ、きっと。
本気で生きていれば、これくらいドラマチックなのが当たり前なんだ、きっと。
「つまり、ロイくんの面接を受けるわけだね。マドリちゃんが、ママさんになれるかどうかの面接か。今度は丸尾さんではなく、ロイくんの」
「ぜんぜん意味がわからないって最初は思ったんですけど……わたし、ロイくんのママさんになりたいなんて一言も言っていないのに、わたしがママさんに相応しいかのジャッジを受ける流れになってるって」
「でも、記者だって同じでしょ。なりたくてなったわけじゃなかったんだよね? 丸尾さんに誘われて、いきなり記者という展開だったんでしょう」
「あ、言われてみると……そうですね。はい」
「ふふふ。たぶん丸尾さん、本当は「ママさん記者」をお願いしたかったんだと思う。でもママを隠したんだね。ズルいっちゃズルいね。あ、ズルいっていうか、ロイくんの目を信頼しているのかな」
マ マ さ ん 記 者
「な、何ですかそれ?!」
「そのままだよ、そのまま。ママであり記者である人。たしかにベルナベウに一番必要な人材だね。しかもそのオファーを出した相手が――マドリちゃんだなんて、ミラクル過ぎる!」
ミラクル?
舞鳳は言葉にできない複雑な気持になった。
しかし舞鳳には珍しく、不安がすべてを覆っていない。
その期待は弱々しいし、実力差があり過ぎるサッカーの試合みたいだけれど、期待が歯を食いしばって、なんとか不安にたえているみたいな状況――
「わかった。そういうことなら、あたしが、特別なスタイリングをしよう!」
「え?!」
「ロイくんの面接は――」
ちーさんはすっと立ち上がった。
ナチュラルにウェーブした茶色の髪がふわっと揺れる。
「ぜったいクリアしなくちゃだもんね!」
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