第18話 フルオープン

木製の扉をおすと、白を基調とした整然としたきれいな部屋が現れた。

表参道とか目黒にありそうな、ブティックのようなアトリエ。冬本さんのスタイリスト、ちーさんの仕事場だ。


一番最初に目についたのが、全身がらくらくと映せる大きな鏡。鏡の縁はくすんだ真鍮みたいな色。床は上品な深いこげ茶色の木で、ヘリンボーンに組んである。

白いピアノが置いてあり、テーブルには大きな花瓶とゴージャスな花。観葉植物、ミシン、トルソーもある。


「ちーさん! ちわっす!」


ん? 冬本さんのテンションが少し高くなっている。


「わぁしんちゃん! 元気?!」


しんちゃん?!


「元気です! ちーさんは元気ですか?」

「もうね、ヤバい。老眼がヤバいの!」

「老眼?! ちーさんそんな歳じゃないですよね」


ちーさんと呼ばれた女性は、さすがに20代ではなさそうだが、40代には見えなかった。すごく若くきれいに見えるのは、きっと、上から下まで「どこまでもおしゃれさん」だからだろう。髪の毛は明るいブラウンでくるくるっとナチュラルにウェーブしている。スカーフは薄いイエロー。ワンピースもイエローで、七分袖のカーディガンは鮮やかなブルー。不思議なイヤリングはよく見ると猫ちゃんのイヤリングだった。腕にはターコイズのブレスレット。爪が薄いピンクでつやつやしていて宝石みたいだ。そして姿勢が良い。漂う香水の香りも……うっとり。


芸能人やスタイリストさんって、間近で見るとみんなこうなんだろうけれど、マドリの周りには、ここまでおしゃれにこだわっている人はいなかったので、ちーさんが光輝いて見えた。


「いやいや、40過ぎるといきなり老眼くる! しんちゃんもあと5年もすればわかるって」

「老眼こわいな。ボク、本読めなかったら、死にたくなると思います。あと四十肩も怖い。あんなのなったら仕事できなくなっちゃいます……」


冬本さんは読書が趣味だという。読むひまがないと言いながらも、グレーのショルダーバッグの中には、kindleと基本3冊くらいの本を忍ばせているそうだ。タブレットや充電器やアダプタなどの機器、シューズやシャツなどいろいろなアイテムを持ち歩いているので、部活に入っている中学生や高校生みたいに、冬本さんは常に持ち物が多い。


「いきなりすみません。今日は、ちーさんにどうしても紹介したい人がいまして。この子なんですけど」


ちーさんは、舞鳳に自己紹介をする隙も与えず、いきなりハグしてきた。


「かわいい! ねぇねぇ、もしかして、しんちゃんの新しい彼女?」

「何ですか、その新しいって。仕事のクライアントです」


クライアント――そっか、わたし、クライアントなんだ。

うーん。そっか……でも「友だち」って紹介されたかったよう……


「ねぇねぇ、手相観せて!!」


いきなり手を引かれ、アトリエの奥の広いテーブルへ連れていかれる。


「そっちに座って」

「ちーさん、占いもできるんです」


あわわわ!

超マイペース&ハイペースな展開!!

それに手相なんて……観てもらうの、生まれて初めて!!


記者って、いつもこんなカラフルな生活?!

今朝、河川敷のグラウンドに向けて家を出たときには、こんな展開、まったく想像していなかった。


「こうやって指を絡めて手を組んでみて。上になる方の手は……あ! 左だね」


手がプルって来た。

手汗がハンパないです!

占い師がよく持っている大きな虫眼鏡みたいな物を使わず(もちろん水晶玉も使わず)いきなりちーさんは手相を観はじめた。


「へぇ、すごい。数学が好きなんだ」

「え? ぜんぜん好きじゃないです」

「じゃあこれから好きになるんだね。あるいは数学が好きな人を好きになるかのどっちか。しんちゃん、数学好き?」

「ボクは数学よりは文学ですね」


超アバウト&ポジティブ!!


「で、今日は何を悩んでいるのかな?」


舞鳳は心の中でしゃべる。


えっとですね……

ただ、軽くあいさつをしにきただけで、いや、あいさつすらしようとしただけでまだできていない。とにかく、悩みを打ち明けに来たわけではないのですが……。


でもせっかくだし……恋愛運でも……と思ったけれど、冬本さんに聞かれちゃうしなぁ。何だろう、自分の悩み。あ、やっぱり新しく始めたこの仕事のことを――


「あ!あああああ!」と大声を出すちーさん。

「ど、どうしたんすか?!」焦るしんちゃん。

「ねぇねぇ、車は運転しない方がいいかも! ちょっとそういうのは危ない感じが出てる。ねぇ、今日、車?」

「車ですけど、冬本さんが運転する車です」

「ああ、良かった。しんちゃんなら大丈夫」


ちーさんは演技で無く、とても安堵した様子だった。

初対面のマドリの、危険な兆候に対して、すごく驚き、そして安堵してくれた。


なんだろう、この感覚。


すごく、すごく……



フ ル オ ー プ ン



「車の運転は危ないから、気をつけてね」

「ていうかちーさん、駐車場に停まってたけど、まだあの車乗ってるんですか?! ちーさんの方が危ないですって」

「愛車だからしょうがないじゃない。そんなことより、この子、気をつけてあげてね。日本の宝だから」

「日本の宝?!」

「子だくさんの相が出てる」

「子だくさん!」

「しかもめっちゃ出てる」

「どこですか?」


ちーさんは、「ここに、ほら」と指し示す。


「てことは、結婚が近いということだね。ふふふ。これはしんちゃん、しっかり働かなくちゃだね!」

「ちがいますって、別にフィアンセを連れてきたわけじゃないです。さっき、言ったじゃないですか、友だちだって」


――今度は友だちだって!!


「あ、ホントに彼女じゃないの? そっか、じゃあ、何を観て欲しいのかな」

「仕事運とか見てもらったらどうですかね?」と冬本さん。

「あ、はい! 仕事運をお願いします!」と舞鳳。

「ふーん……」


ちーさんのテンションがはっきりと下がる。


「あたし、仕事運を占うの苦手なんだよなぁ……」



仕 事 運 を 


占 う の が


苦 手

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