第16話 コメダの豆が出てきたよ

「運転しながら話しますね」


冬本さんは車のエンジンをかける。

グォォォオォンと低い轟音がコンビニの駐車場に響く。


午後3時。まだ明るい。

西日がまぶしく、冬本さんはサングラスをかけた。


ロイくんが丸尾さんの養子である――この話が続くのかと思ったら、冬本さんはそれ以上は語らなかった。たしかにマドリが聞いたのは、丸尾さんとロイくんの関係性だけで、どうしてそうなったのかは尋ねていない。


二人が本当の親子ではなく、養子の関係である――こう聞くと、もう聞く前の、ある意味「自由な」思考状態には戻れない。「本当の親子」と「養子関係の親子」とを比較してしまう。


そもそも舞鳳は養子関係にある親子というのを見たことがない。自分が知らないだけで、周りにいたのかもしれないが、マドリが出会う、初めての「養子関係の親子」だ。


聞いたのは自分だけど……


考えたこともなかった評価軸を抱かされ、苦しくなってしまった。そしてこれを「苦しいと感じること」自体が、倫理的にというか「なんとなく」いけないことのような気がして、マドリはさらに苦しくなった。


ダメだ。

ここで苦しくなっちゃいけない!


それでも脳内に、丸尾さんが無言でインスタに上げていた「ロイくんのかわいい笑顔の写真」が浮かぶ。笑顔をキープしてグラウンドを駆け回っていた、ロイくんの子どもらしい表情がリアルに浮かぶ。


さっきまで自分でしつこく聞いていたくせに――マドリは、自分の弱さというか、思慮の浅さというか、度胸のなさというか、情けなさみたいなもの全部に対し、いきなり涙が出た。


マドリがこそこそと泣いていることに気づいた丸尾さんは、ハンカチをジャケットのポケットから出そうとする。


「あはは!」


いきなり丸尾さんは、明るい声で笑った。


「え?」


何があったの?!


「豆が」


冬本さんは舞鳳の手に小さな包みをそっと握らせる。



「コメダの豆が出てきたよ」


* * *


舞鳳がひとしきり泣いたところで、冬本さんは優しいトーンで提案してくれた。

元気と自信が復活するいい方法があるって。


「マドリさん、もし今日予定ないなら、まだ時間早いですし、ボクのスタイリストさんのところへ寄ってから、ロイくんのところへ行っていいですか? 泣いちゃった後は、ちーさんのアトリエ! ちーさんに会えば元気になれます」


ちーさん!


『マドリの冒険』に、またまた新キャラクター登場だ。

体験したことのないほど賑やかな土曜日。

今日あったことを日記に書いたら……いったい何万字になるんだろう。


「確認しておきますが、マドリさんの取材って、サッカーに限らないんですよね」

「はい! というかむしろ、サッカー以外の取材の方が気楽です」

「ボクから、また一つアドバイスいいですか?」

「もちろんです。それが冬本さんのお仕事なんですもんね」


『冬本アドベンチャー』と『マドリの冒険』をさらし合った後だから、二人の距離はぐっと縮まっている。男女の距離が近づいた、という意味ではもちろんない。なんだか懐かしい感覚。クラス替えをして、席が近くなったら、今まで話さなかった子なのに急に仲良くなったというか。クラスメイトが冷やかすから表立っては離さないけれど、二人だけのときにちょっと話すような、そんな感覚――と書くと、ますます男女の距離が近づいたみたいな感じに思われるかもしれないけれど。


「取材対象を有名人に限定しないというのは、新人記者の取る、第一歩の戦略としてすごくいいと思います」


新人記者……一瞬なんの話をしているか把握できなかったが、自分のことだった。


「さらに、デイビッドくんみたいに、取材対象の年齢も広げていくと、世の中、取材したい人だらけになりませんか?」

「なります、なります!」


舞鳳は心の中でさらに補足する。

たった今も、冬本さんのことを、もっともっと取材したいです!


「ちーさんも取材したくなりますよ。ただ――注意した方がいいのは、取材したいという漠然とした感情、無防備な好奇心が動機だと、背負い過ぎちゃうんです。これはボクの分析ですが、マドリさん、きっとこの先も、何度も泣くと思います。ボクもさっき、うっかり泣きそうになっちゃいましたけど」

「はい。明日のことは予想できないですけど……自分がメソメソ泣いてるシーンは余裕で想像できます!」


舞鳳は意味不明に元気よく胸を張る。


「ボクも自分の仕事では、きちんとしたお金を頂いている手前、相手のパフォーマンスがふるわないと、ついそれを自分のせいにしたくなります。でもそれは間違いだと理解しています。特にNGなのが、ぜんぶオレが悪いんだろ! みたいな自暴自棄。それは思考も工夫も要らない、一番ラクな方法ですから」


冬本さんは信号待ちになると、アスリートらしい時計のボタンを何度か押して、何かを調整した。


「もちろん普通に考えると、クライアントのパフォーマンスが高まらないのは、自分のせいでもあるのですが、厳密に考えると自分のせいじゃないんです。責任逃れするんじゃなくて。もう少し言えば、自分と言う人格のせいじゃなくて、すべては自分の外の、テクニカルな問題と考えるべきです。そうすれば、泣くことも少なくなるし、次のパフォーマンス向上につながることが多いです」

「えっと……」


舞鳳は、冬本さんに対しては、わからないときはハッキリ問い返すことに決めた。


「すみません。ちょっとわからないです」

「具体例を挙げますね。たとえば、マドリさんは、今日、この後、ロイくんと会います。それは一人のマドリさんとして会っているのと同時に、記者マドリとしても会っています。その境界は、きっとあいまいです」


その境界は、きっとあいまい――


「たしかに! 今さっき、ちょっと冬本さんのこと、記事に書きたいって思いました。そしたら仕事モードになりかけて。冬本さんの言葉を覚えておこう、こっそりメモでもしよっかなって思ってました。でもそれじゃあ、冬本さんとの楽しい時間が、なんていうか仕事モードのせいで台無しになりそうな気がして」


冬本さんは「ありがとう」と受けてから、それほど間を置かずに「それでね」と話を続けた。「おお、楽しい時間っていうところを喜ばれ足りていないよ!」という謎な甘えた心がマドリの中で生じたが、甘えている場合じゃないのは当然なので、がんばって集中して耳を傾ける。


「マドリさんはきっと、ロイくんのことを――いつか記事にすると思います。その記事を書く際、ロイくんが放つたくさんの情報を、そのまま全部受け、表現しようとすると……一瞬でパンクすると思います」

「パンク?」

「オーバーフローと言った方がいいかな」


余計わかりません!


「ロイくんって……そんなにすごい子なんですか」

「すごいじゃ済まないです」


冬本さんはハンドルから手を離し、イタリア人みたいな大げさなゼスチャーをしてから、映画のセリフの一つみたいに、ちょっと声色を変えて言った。


「もはや名探偵コナンです」

「コナンくん!」


「体はかわいい子ども、頭脳は超絶大人。それこそ、誰もできないスーパープレーで人を魅了するタイプです。まあ、丸尾さんと何年も暮らしているから、当然といえば当然なのですが、生き様自体が、名探偵コナンのように、もはやまったく小学生じゃないですし、なんて言ったらいいんだろう……」


冬本さんは少し考えてから、ふさわしい言葉を見つけた。


「彼は……常軌を逸してます」

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