第15話 専属のスタイリストさんと契約
ダメダメ対決の勝敗が決したところで、冬本さんは、話を丸尾さんに戻した。
「たしか、マドリさん、丸尾さんのことをずっとネットで見てきたんですよね」
ストーカーみたいだが、事実だからしょうがない。
「はい。もちろん、丸尾さんだけを見てきたわけではないですけど」
「それなら……今から話す丸尾さんの職業観は理解できると思います。賛同するかどうかは別として」
「職業観?」
「丸尾さんは、「職業=洋服」説をとってます」
「職業が洋服?」
冬本さんはコーヒーを一口飲む。
舞鳳もそれに合わせてホットのお茶を飲む。さっきからちょっと飲みたかったけれど、一人でぐびぐび飲むのは図々しいと思えたから我慢していた。冬本さんがホットを選んだのは、体は急激に冷やさない方がいい、という考え方からだと思う。
「今、マドリさん、すごくかわいい洋服を着てますよね。ブローチも似合っています。初対面でこんなこと言うのは厚かましいですけど、マドリさんの自然体がファッションによく現れていると思います」
うわ! いきなり、褒められた。
「ありがとうございます! 嬉しいです!」
「でもそれって、ボクに褒められるために着てるわけではないですよね。自分が好きだから着ているわけですよね」
「はい。あ、靴は見ないでください! 汚れちゃってるから」
信じてもらえるかわからないけれど、舞鳳は洋服に関しては人に褒められたいと思っている部分は少しもない。こうやって褒められると嬉しいわけだから、もしかしたら少しはその気もあるのかもしれないけれど、自分にとってかわいいかどうかが大事であって、人にどう思われるかは、ほぼまったくと言っていいほど考えていない。
「丸尾さんにとって職業は、服みたいにそのときに、好きだから着ているものという感じだと思います。だから職業は脱ぎ捨てることもできるし、着替えることもできるし、人に着させられることもある。買うこともできるし、売ることもできるし、一日に何度でも取り換えられる。いや着替えない人の方が珍しい」
「職業が洋服ですか……」
ピンとくる部分もあるし、そんな軽いものじゃないような気もする。
「ボクが元オリンピック選手という服を持っているから仕事を依頼してくるわけじゃない。丸尾さんはもっと、ちがうところを見ていると思うんです。それがどこかは、丸尾さんしかわからないけれど。マドリさんについても、マドリさんの何かを見込んで、オファーしたんだと思います」
「あ、ありがとうございます」
「え?! なんでボクにありがとうですか」
「あ、すみません。なぜか口からお礼が」
「あはははは!」
どこがおもしろかったのかわからないけれど、冬本さんは大げさなくらい笑ったので、舞鳳もそれにつられて笑った。
「一般的に人間は、自分を主人公に設定して、そして主に職業や収入を判断基準として、自分の人生を成功とか失敗と決めたがる傾向にあると思います。人を評価するときも、判断基準は職業や収入の場合が多い。丸尾さんからするとそれはぜんぜん論外だそうです。だって自分自身じゃなくて、服を誇っているみたいなものだから。でも世の中の人の多くが、そう考えているのを知っているから、それに合わせて、折り合いをつけながら商売をしているんです」
商売――宗教に負けないくらい苦手なフレーズが出てきたけれど、舞鳳は頭があらぬ方向に働いていかないように、がんばって冬本さんの話に耳を傾け、ついていこうとする。
「デイビッドくんのプロデュースの件もそうです。ボクの予想ですが、デイビッドくんがプロ選手になれるかどうかは、プロジェクトのトップにいる丸尾さんにとっては些細なことのはず。ボクら大人が頑張って彼を一流アスリートにしようとして、その見返りを得ようとしている図に見えるかもしれないけど、実際、ある面だけ見るとそうなのかもしれないけれど、丸尾さんとしては、そうした人からの見られ方は、意識はするけれどまったく重要視していない」
冬本さんは『冬本アドベンチャー』を語っていたときとは別人のような、真剣な顔になった。きっとオリンピックという舞台では、こんな顔をしていたんだろうな、と舞鳳は想像し、わずかに緊張度を高めた。
「丸尾さんにとって重要なのは、デイビッドくんが夢中になっている姿が美しく、人をひきつけるという事実です。そして美しい人を見ていると、自分もそうなりたいと思えること。そのプロセスに携わっている人がみんな幸せになるということ。デイビッド・ベッカムのリラックスしたトークが、遠く離れた日本の少年を励ましているように」
たしかに――今日いっしょに過ごしてみて、デイビッドくんのあのプロ意識は、舞鳳を感動させたし、応援したい気持にさせた。そこには大人も子どももなかった。「嫌いなタイプかも」という舞鳳のかたくなな分類も、軽々突破してきた。そしてサッカーとは直接関係ない、記者という慣れない仕事を頑張ろうと舞鳳に思わせてくれた。デイビッドくんは試合ではフリーキックを蹴らせてもらえない実力だけれど、舞鳳はもうデイビッドくんのファンだ。
「人を幸せにするのは、誰も真似できないスーパープレーだけじゃないんです。どこにでもある、子どもの送り迎えをするという日常を、思いっきりエンジョイしている姿が、人を幸せにすることもあるんです。だから丸尾さんは、職業を重視していないんです。職業なんて見ないで人を注意深く見ようとする。自分の目で、しっかりと」
「なるほど! わかりました。職業は……たいして大事じゃないんですね」
「いや、ごめんなさい。職業は大事なのかな」
あら?!
「職業は大事みたいなことも言ってました。職業は引き出してくれるんです。判断基準としての職業はそんなに大事ではないけれど、能力を引き出すツールというかデバイスとしては、職業はとても有効ということですね」
ツールとデバイス。
舞鳳は「鶴とかめ」を想像したけれど、話の腰と育まれ始めた二人の友情を真っ二つに折りかねないので黙っていた。
「職業はその人の持つ、未知の側面を拓いて、新たな可能性をもたらしてくれる。そういう意味で、いろいろな職業を経験するのは、多面的な能力を引き出してくれる可能性がある。だからボクは、マドリさん自身が記者という新しい職業を通じて、自分のポテンシャルを……」
「あ、なんとなく――」
誤解です!
冬本さんの語りが長くなりそうだから遮ったわけではないです。
ただ――思い出したときに言葉にしないと、忘れてしまいそうだったから。
冬本さんがオリンピックレベルの真剣さで語る「職業=服」説を聞いて、舞鳳は和服を着た、あの日の新鮮さを思い出したのだ。
「わたし、友だちと卒業旅行で……京都で和服をレンタルして、それを着て街を歩いたんです。あのとき、えっと、すごく新しい自分を発見した気がしました! 自分がぜんぜんちがう人になった気がして、すごく楽しかったです」
「おお!」
「東京にまったく不満ないのに、いきなり京都に住みたい!って思ったくらいです。あ、これって、ぜんぜんちがいますかね……」
「そうそう、そんな感じです! だから――「職業=服」説を丸尾さんに聞いたあと、ボク、専属のスタイリストさんと契約することに決めたんです。その日のうちに」
「専属のスタイリスト!」
何それ! 超カッコイイんですけど!
「まんまと丸尾さんのマッチングビジネスにはめられたような気もしますけどね。けっこうなお金を使っていますし。でも、マドリさんも知ってるかもしれないですけど、ファッションの最先端にいる人たちの情熱はすごいですし、最先端ではなくて、それこそ、デイビッドくんのお母さんの七海さんみたいな、ママさんクリエイターたちの物づくりへの情熱もものすごい。たくさんの人が、ファッションを大切にして、クリエイティブに生きようとしているその、なんていうんだろう、そこここにあふれる心強さみたいなものに気づけたんです。専属のスタイリストをつけようと決意した瞬間に。それからボクの世界を見る目が、大きく変わりました。あ、すみません……」
冬本さんはなぜか、軽く目をこすり、震える声を整えた。
「ごめんなさい。なぜかあの瞬間のことを思い出すと、涙ぐんじゃうんですよ。自分でもなぜかわからないけど」
冬本さんは言葉に詰まる。舞鳳は、さっきから何度も、冬本さんがそうしてくれたように、自分に向けられた言葉を丁寧に受けて、そっと返してみた。
「すごい……大きな体験だったんですね」
これは、舞鳳にとっては、今までできなかった種類の行為であった。
舞鳳はSNSでは、心底共感できていない表現に「いいね」ボタンは押せない。
だから舞鳳はほぼまったくといっていいほど「いいね」ができない。
でも――冬本さんの感覚に、心底共感できているのか、自分でもよく分かっていないけれど、100パーセント共感でなくても、心の中で「いいね」を押した。そして「大きな体験だったんですね」と言葉にした。
あなたの言葉をちゃんと受けとりました――その思いを、自分なりの言葉できちんと表明することが正しいと舞鳳には思えた。
「ありがとうございます。あの瞬間、ボクは救われた感じがしました。ファッションに。ずっと孤独な、自分との闘いの陸上ばっかりやっていたから、世界に、こんなにたくさんの人がいて、創作への情熱を秘めているなんて、まったく気づかなかったんです。人が何を着ているかなんて見てもなかったし、ブローチをつけるなんて発想もなかったし、それが誰か手作りしたものだったり、遠く外国から輸入した古いものだとかなんて、まったく知らなかった。ボクが考えていたのは、少しでも余計なものを取り除いて、0.001秒でも速く走り、ゴールに着くことだった。それを目指していれば、みんな自分を認めてくれると思ってました」
舞鳳は第一印象で、冬本さんがおしゃれ系の人だと感じた。それは正しかった。でもここまで思い入れが強いとは思わなかった。
「それで、コーディーネイトを学んだときに、コーディネートって調和っていうことか、それってスポーツにも言えるよねって理解して、今のアスリート・アナライザーの仕事がますます加速しました。出会った人といっしょにアスリートが履く靴を開発したり、今は五本指のサッカーの靴下の開発をしているんですけど、興味がどんどん拡がって、スポーツも陸上、サッカー、野球だけじゃなくて、バスケットボール、最近では相撲まで」
「すごい! 楽しそう!」
「楽しいです、実際。で、えっと、こんなこと言う資格、ボクにあるのかわからないですけど、マドリさん……」
大事なことを言いそうな気配に、舞鳳は身構える。
冬本さん自身も緊張しているようで、その証拠に息をつき、自らの耳を引っ張った。
「マドリさんが知りたがっていた、さっきの答えを言っちゃいますね」
「さっきの答え?」
「ロイくんと、丸尾さんの関係」
「!!」
いきなりそっち?!
舞鳳は息を飲む。
「ロイくんは――丸尾さんの養子なんです」
「養子?!」
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