第14話『マドリの冒険』は超つまらなそう
「ちょ、ちょっと待ってください!」
舞鳳が慌てるのも当然だ。
世の中にこの状況で慌てない人がいるなら会ってみたい。
「わたしが、ママになるんですか? ロイくんの?」
「それはロイくん次第だと思います」
写真では知っているし、さっき動画を撮影したけれど……直接は会ったことも話したこともない少年のママになるとか! しかも選択権は自分ではなく、すでにロイくんの方にあるという、いきなりのぶっとんだ設定!!
「あはは……」
展開がわけわからな過ぎて、舞鳳は逆に面白くなってきた。
「え、なんだろう、この展開。怖いんですけど!」
「マドリさん、アスリート・アナライザーとして一つアドバイスさせてください。ちょっと、あそこのコンビニに停めますね」
冬本さんは黄色の車をコンビニに停める。珍しい車なのか、若い男の子がこちらをじろじろ眺めていた。
「こんな感じで、耳たぶを、引っ張ってみてください」
冬本さんは自分の左右の耳たぶをつまんで下に軽く引っ張り下げた。
「こうすると、かなり力が抜けて、楽になります。状況を怖いと思ったときはまずこうしてみましょう。ボクも大きな試合のときによくやってました。はい、どうぞ」
「あ、はい」
舞鳳は言われたようにやってみた。
「あ!」
たしかに……ちょっと力が抜けた気がする。
「いきなり話の間を……飛ばしすぎました。ごめんなさい」
「超びっくりしました」
「ママの件はいったん忘れてください」
「ママ!」
再び力が入ってしまう。
冬本さんは肩の脱力方法と、効果的な深呼吸の方法を教えてくれた。
「大丈夫ですか?」
「はい」
「ええと……どこから話そうかな。あ、うん。ええと、丸尾さんの世界を理解するには、一つコツがあります」
「丸尾さんの世界?!」
な、なんだ。
いきなり宗教チックな臭い!
七海さんも丸尾さんを評価していたし、もしかして丸尾さんは、一部の人たちの間で「教祖さま」みたいな扱いなの?! そういうのは、なんていうか、すごく苦手……
「あ、ほらほら、もう身構えないでください」
「はっ! ごめんなさい」
「耳たぶ、耳たぶ!」
本当だ。すぐに身構えるぞ、自分。
舞鳳は再び耳たぶを引っ張って体を強制的にリラックスさせる。
強制的にリラックスって変な言い方だけど――。
「マドリさんは頭で想像するの得意そうですよね」
「はい、大得意です」
これは即答。
胸を張れるのはそれくらいしかないです。
「では目を閉じて、想像の中で昨日のマドリさんに報告してみてください」
「昨日のマドリさん?」
「あ、じゃあ、やっぱりボクが報告します。マドリさんは目を閉じて、ボクの言うことを聞いていてください」
「はい」といって舞鳳は目を閉ざす。
「マドリさん、マドリさん、昨日のマドリさん。あなたは明日、冬本という元陸上のオリンピック選手の、まぁまぁイケメンの男性といっしょに車でドライブします。そしてふたりっきりの車の中で――」
「車の中で?」
「――自分の耳たぶを引っ張ります」
「あはは!」
まさに、今置かれている状況を、冬本さんはユーモラスに表現した。
「というか、冬本さん、オリンピックに出たんですか?!」
「マドリさん、素でボクのことなんてぜんぜん知らないって顔してましたよね、会ったとき」
「ごめんなさい、スポーツぜんぜん興味がないので……」
「でも、このような展開になるなんて、昨日の自分にとっては想像つかないですよね。ボクの側からしてもそうです。明日、クライアントの少年が仕事場に記者を連れてくる。その記者を連れ出し、キミは車の中で耳たぶの引っ張り方をレクチャーする、なんて言われても、は?!としか思えない」
「あ!」
「では質問です。たった今のこの状況、ボクが主人公なんですか? それともマドリさんが主人公?」
冬本さんは現実世界では用いられない「主人公」という言葉を使った。
「え? それは、どうでしょう……」
いきなりの質問。これが――かわいがりという名のトレーニング?!
「ちょっと、コーヒー買ってきますんで、主人公ということについて、2分くらい考えてみてください。できるだけ真剣に。ちゃんとタイム測りますね」
冬本さんは、元オリンピック選手らしい、見るからに多機能なスポーツウォッチのボタンをチッチッチと数回押し、車外へまぁまぁカッコよく去って行った。
わたしの世界から見たら主人公はわたしだ。
物語のタイトルには「マドリ」という名前が入るかもしれない。
『マドリの冒険』――あは! つまらなそう!
でも冬本さんのストーリーだと、わたしは何者?! どんな役割を果たしているんだろう。深呼吸や耳の引っ張り方をレクチャーすることで、冬本さんはどんな得をするわけ?! あ、丸尾さんからお金がもらえるのかな。耳の引っ張り方を教えて1万円もらえるって……ヘンな仕事。
思考がまとまらない。
舞鳳はすぐそこにあるシフトレバーを眺めた。これはいったい何をするための道具だろう。スピードを変えるための道具なのかな。
あ!
もしかして、今さっきの人がこっちを見ていたのは、車じゃなくて冬本さんが有名人だからかも! わたし、冬本さんの隣に乗っていていいのかな? 冬本さんって奥さんいるのかな? いるとするとわたしがまさかの不倫疑惑に巻き込まれちゃう?! 雑誌の記者とかに狙われていないかな?!
「どうですか? 答え出ました?」
残念ながら、後半は雑念だらけで答えが出てない。
冬本さんは自分自身にはカップのコーヒーを、舞鳳には小さいサイズのペットボトルのお茶を買って来た。
「これ、ホットですからね。しかも想像以上に熱いですよ。あ、とっくに2分過ぎてました」
冬本さんは笑った。
舞鳳はリラックスしてちょっとふざけて答える。
「わたしが今、分かったのは……自分が主人公の『マドリの冒険』は超つまらなそうだということです」
「あはは! 『マドリの冒険』、楽しそうじゃないですか。『冬本アドベンチャー』よりもずっと」
「冬本アドベンチャー?」
「あ、ボクの方も考えていたんです。自分が主人公の物語を。人生っていつも自分が主人公であろうとすると――ちょっとツライものがありませんか?」
小学校からの帰り道、仲の良い友だちと、空想の話をしながら帰ったっけ。
そんなことをなんとなく想い出しながら、『マドリの冒険』と『冬本アドベンチャー』のどちらがつまらないか、どちらの主人公がダメダメで情けないかを対決し合った。
カッコイイ黄色の派手な車のそばを通りかかった人から見たら、車内で笑顔で盛り上がる、仲のいいラブラブのカップルに見えたかもしれない。
完全にあり得ない妄想だけど……この瞬間を週刊誌に撮られてもいい。そんなのどうでもいい。今思うと、このときはそれほど、舞鳳にとっては大事で幸せな時間だった。
どんな対決だったかは具体的に書かないし、そんなもの開陳されてもあのとき自分たちが面白かっただけで、第三者にはちっとも面白くないかもしれないけど、二人はそれぞれのダメさ加減を、物語の主人公に託して競い合った。長年抱えてきた短所ややらかしばかりをさらけ出す。これまで、どっちが情けない主人公だったかということを比べ合う。
世界でもっとも不毛な、そして本人たちしか浄化されない時間だった。
「あはは……もう、ボクの負けでいいです」と降参する冬本さん。
「やった! 勝った!」と喜ぶ舞鳳。
すっきりした。
そしてすがすがしい。ちょっとした無敵感がある。
もう世界からどう思われようとかまわない――
そう思っても人の視線が気になる。社会の反応が気になる。
でも何度も何度もそう思っていれば、だんだん平気になっていくかもしれない。
『マドリの冒険』は超つまらないのがウリだ。
だから誰も期待していない。自分すら期待していない。
主人公はせっかく成長したのに、しおしおと萎える。
3歩進んで5歩下がる。
そしてときどき10歩くらい進む。
残念な設定からの、ときどきぶっ飛んだ冒険。
いきなり記者になったり。
もしかしてママになるかもしれなかったり。
物語のパターンが分かっていれば自爆しないですむ。
期待はしないけど、落胆もしない。
基本、平凡な物語。
だけど、お隣の物語の主人公たちがもたらしてくれる。
ちょっとした夢だったり、小さな希望だったり。
あふれる哀しみだったり、分け合うべき悩みだったり。
昨日の自分には、今日のことは予想できない。
今日の自分には、明日のことは予想できない。
わかるのは今だけ。シンプルに今の連続を楽しもう。
主人公マドリは、忘れてしまうかもだけど、そう誓うのだった。
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