第12話 うろこポロポロ


アスリート・アナライザーである冬本さんによって、ロイくんのパフォーマンス解析がスタートした。マドリは断りを入れてからiPhoneのボイスメモの録音ボタンを押す。


冬本さん視点から見たロイくんは――


「ルックアップと首を振る回数」がシャビ(?)並み。

「走るときにつく足の位置」も体の中心線より後ろでOK

「ボールに対する1歩目」が誰よりもスピーディー

「ゴールから逆算した動き」が完璧。


まとめるとこのような分析で、デイビッドくんは自分自身の試合の動画と見比べて、反省点を必死にメモしていた。冬本さんの指摘からはどれも、ふつうのコーチが子どもを指導するときのような、上からの圧がまったく感じられない。選手と同じ目線に立ち、どう改善していくかだけにフォーカスしている。


「そうか! うわ、考えてもなかったです」

「このさ、走る前のワンテンポ体を浮かす動作。これがいらないと思う」

「たしかに、意味ないですね、これ。なんでオレ、こんなことしてるんだろう」

「でもこれの修正、Jリーガーでも難しいから。この手の動作を省略するのって、もうクセとして染み込んでいるからけっこう時間がかかるよ。でもデイビッドくんの年齢だったら、短時間での修正はたぶん可能」

「うーん。もう身についているんじゃ、意識を変えるだけじゃムリっぽいですね。このクセ直すのってどんな練習が考えられますか?」


すごくホットな議論。

マドリはちょっとうらやましくなる。


でも――


彼らはスマホのゲームのような「遊び」に熱中しているのではない。

「仕事」として分析し、「プロ」としてそれを身につけようとしている。


もし、書店員時代に上司のあの人とかあの人とかあの人が、こんな感じでわたしに接してくれたなら……。一日の反省点を、冷静に、客観的に、同じ目線で、しかも探究する楽しさと圧倒的な熱量を伴って分析してくれたなら……ぜんぜんちがう状況になっていたかもしれない。


あら?!


舞鳳はこのような「人頼みみたいな発想」を普段だったらしないのに。


「理想の上司」のようなアンケートには「こういうの意味あるのかな?」と疑問を感じるタイプだったけれど、冬本さんのように冷静な視点から分析し、アドバイスをくれる存在がすぐそばにいたら、どんなに気分が楽だったか、気持よく仕事ができただろうかと思うと……なんだか悔しい。


これはサッカーみたいなスポーツだから成立するアナライズなのか。

それとも、書店とか一般の仕事にもふつうに応用できることなのか。


「冬本さん、サッカー詳しいんですね!」


舞鳳が感心すると、冬本さんは「ありがとうございます」と舞鳳の見解を受けてから「でも、詳しいわけではないですよ」とさわやかに訂正した。


「ボク自身はサッカーやってますけど、下手ですし、専門は陸上なんです。ただ、クライアントにJリーガーが多くなってきたから、理解を深めるために自分でも定期的にサッカーをやるようになって、それで知識は前よりは増えました」

「へぇ!」


てっきり元サッカー選手だと思っていた。


「素人プレイヤーだからこそ、どうやれば上達するかわかり始めてきて。少年の指導なんて発想なかったし、こういった個別指導なんて……需要はきっとあるだろうし、やればすごく意味あることだとは思っていたんですけど、正直、経済的に多少余裕のあるプロプレイヤー相手とちがって、プロになる前の、一般の少年をターゲットにするって、回収できる費用やその後の仕事の拡がりの面から、仕事として成り立つのかと疑問に思ってました」


そのターゲットを前にして、率直に自分の感じてきたことを述べる冬本さん。

聞いている舞鳳の方がドギマギしてしまった。


「でも、そこをうまく調整してもらえて」

「うまく調整?!」

「はい。ボクのこの仕事、丸尾さんって人がメインスポンサーというかプロデューサーなんですけど」



ま る お さ ん

 


「この案件は、デイビッドくんを成長させて、そのプロセス自体を商品化するプロジェクトなんです。デイビッドくんほどプロ意識の高い少年、見たことないですし、これはすごい、ある意味足が日本で一番速いとかそういうの以上の才能なんです」


「案件」っていう舞鳳にとって聞きなれないビジネス用語が、土曜のコメダの微妙なファミリー感とマッチしてなくてちょっと面白かった。べた褒めされたデイビッドくんはちっとも照れていない。自分の走り方のムダな部分をチェックし、次の練習方法を考えているようだ。


「もし商品になった際には、ぜひ、記事をよろしくお願いします」

「え? 何でわたしが記者だって――」



ま た も や


バ レ て る



「あ、オレは何も言ってませんよ」と顔も上げずにデイビッドくん。

「じゃあ、なんで」

「丸尾さん自身が言ってました。近いうちにうちのマドリって名前の記者が取材に行くかもって。そのときはかわいがってくれって頼まれているんです」



さ き ま わ り



舞鳳は動揺したがすぐに気持ちを立て直す。


「ふふ。かわいがってだなんて、ちょっと照れますね」

「あ、マドリさん、スポーツでのかわいがりって、そういう意味じゃないです」

「え?」


舞鳳はこのとき、スポーツ界での「かわいがる」は「厳しく指導する」という意味だということを初めて知った。


「わたしを、かわいがる?」

「プロ記者としてのレベルを高める、という意味だとボクは解釈して引き受けました。この仕事を」

「この仕事?」

「マドリさんをアナライズする仕事です」



わ た し を


ア ナ ラ イ ズ



「アナライズ?」とジャンボ君。

「分析するってことだよ」と冬本さん。

「え、どういうことですか? わたしを?!」

「はい。丸尾さんからは3日分の料金を頂いています。記者さんのアナライズなんてボクにとっても初めてですけど、こうしたらいいかなというのは考えてありますし、提案もすでに用意してありますので」


たしかに、さっき羨ましがったけど‥‥…

それは心の中でだし、いきなり願望が叶うなんて!


「ちょっと待ってください。わたし、スポーツやってませんよ?!」

「はい。それは問題ないです。アスリートも仕事、記者も仕事。共通しているところはたくさんあります。ひとつのスキルを別のジャンルに適用するには、抽象化することが大事なんです。もちろん、具体的な情報も大切ですが……その点は、JリーガーやBリーガーとつき合う中で、たくさんの記者さんと出会いました。そのデータの蓄積もボクにはあります」

「Bリーガー?」

「バスケットボールリーグの選手です」


うーん。もしかして、こんなの常識?!

スポーツには興味も知識もない。絶望的に。

ああ、わたし、記者失格。

きっと直すところだらけで、冬本さんは呆れまくるだろう。

最後にはあまりのダメダメさに……怒鳴りつけられたりして――


「心配そうですね」


冬本さんは舞鳳の心を見透かした。


「めちゃくちゃ心配です」

「OKです。ただ心配がっていても……そうやって心が動いた瞬間に、手を打てばいいと思います。これがファーストステップです。心が動いた瞬間に、手を打つ」

「え?」

「彼がやっているように」


デイビッドくんは演技ではなく、必死につかもうとしている。自分のクセを直そうとしている。ジャンボくんはゴールキーパーだし、今回の解析の対象にはなっていないようだけれど、ジャンボくんにしても、そのデイビッドくんの姿勢から学ぶことも多いだろう。


「じつはボクの方も、少し心配なんです。舞鳳さんに「アスリートに記者の気持ちがわかるか」って言われるのが。しかもボク、陸上では多少いい成績を上げましたが、サッカーもバスケットもプロではない。コンプレックスではないですが、相手に低く見られる要素ばかりです。でも実際の相手というかクライアントはボクをそこまで低く見たりはしない。ですよね?! ボクのこと、低く見てますか?」

「いえいえ! ぜんぜん」

「同じです。なのに、マドリさん、心配するだけでなく、落ち込みませんでしたか? 自分が通用するかって」

「たしかに! 落ち込みました!」

「その落ち込むっていうアクションは、省ける動作だと思います。これはデイビッドくんの走り出しのときにちょっと体を浮かす動作と似てるね」

「はは! 応用できるんですね」とデイビッドくん。



落ち込むことが、省ける動作?!



ウロポロだ――舞鳳の目からうろこがポロポロ落ちた。


スポーツ界に関わる人たちなんて、縁遠いを通り越して、別の生き物くらいに思っていたけれど……そんなはずはない。人は結局、人なのだから。


冬本さんはジャケットを手に取り席を立つと、予め準備していたのか、財布からぴったりの金額を手際よく出して七海さんに渡した。


「デイビッドくん。さっき挙げたポイントについて1週間、試行錯誤してみて。来週の試合はチェックいけないけど、動画必ずとっておいてね。頼む人いなかったら――」

「マドリさんに頼めばいいんですね」


冬本さんはグッドマークを出す。

丸尾編集長のスタンプとは大違いの、かっこいいグッドマークポーズ。


「じゃあ、マドリさん、行きましょう。みなさんお先に失礼します」

「え、もう行っちゃうの?」


冬本さんとぜんぜん話していないアッキイさんが残念がる。


「え? わたしも行くんですか?」

「はい」


すべてが決定事項のように進められていく。


たぶん――


冬本さんは、舞鳳がふだん無意識で行っている何らかの「ムダなアクション」を省略しているんだろう。だからここまでスピーディなんだ、きっと。


二人は店を出て駐車場へ向かう。春風は緩んでいる。

もう、あれこれ心配しないで、委ねる部分は委ねていこう。


うん。でも‥‥…頭ではわかっているんだけど……長年のクセなんてそう簡単には抜けないから、心の準備がちょっとは必要だ。


冬本さんの車は、二人でも狭そうな見るからにすごく速そうな黄色い車だった。そして舞鳳はここでも無駄な動作。出会ったばかりの男の人と車に乗るなんてと躊躇してしまう。


誘拐されたらどうしよう。

暗くて深い森の奥に連れていかれたらどうしよう――

冬本さんがそんな人じゃなさそうなのはわかっているけれど、警戒して足がすくんでしまう。運命というか成り行きに委ねるは委ねるけど、せめて「行き先」だけでも――


「もしかして……丸尾さんのところですか?」

「おしいけど、ハズレです」

「わからないです……」

「正解は――ロイくんのところです」

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