第9話 マ メ !

ひょっとして特別な場所に連れていかれるのかな、と予感していたけれど、デイビッドくんが昼食に連れて行ってくれた店は「コメダ珈琲店」で、通されたのは店内の一番奥にある、四人掛けのテーブルが二つちょっと離れて並んでいるスペースだった。


舞鳳、デイビッドくん、デイビッドくんの母である七海さん、アッキィさん、アッキィさんの息子である「ジャンボ」くん。コメダ珈琲店には舞鳳自身もときどき来る。もしかして副詞としては「ときどき」というより「けっこう」の方がふさわしいかもしれない。コメダ珈琲店では、わりと混みあっている時間帯でも「一人なのに四人掛けのテーブルに通されること」があって、そんなときは落ち着かない思いをすることもあるが、たいていは快適だ。


「えっと、待ち合わせしているんですけど」とアッキィさん。

「あ、こちらへどうぞ」と店員さん。


店員さんは、「渡辺」という名札をつけていた。待ち合わせと言うだけで通じたようだが、誰かと待ち合わせをしているなんて舞鳳は聞いていなかった。


店内につくと、冬本さんという男性が待っていた。舞鳳よりは年上だと思うがそれほど離れてはないはず。きっと三十代男性だ。


舞鳳はいつも、ネット上で目にした写真に対してそうしているように、「画像解析」を始めた。第一印象の類型としては、「シックなスタイリストさん」あるいは「トリッキーなことはしない、正統派が好みの美容師さん」。自分なりのおしゃれ感をとても大切にしていて、外見にすごく気を遣っている。なのに一般人に嫌味や派手な印象を与えない術を持っている。ベースとなるのはいつも黒とかグレー。差し色の使い方が巧みで、少ない色数できれいに見せる。あるいは素材感を統一することで、まとまりを出すタイプ。それでいて、流行をきちんと押さえている。それが冬本さんの外見から受ける印象だった。


そして――舞鳳はわずかに困惑するのであった。


たった半日なのに……このようにどんどん知り合いが「増殖」していく。

関係性がどんどん生まれていく。


冬本さん、冬本さん、冬本さん。


舞鳳は忘れないように三度と唱えた。


「ご注文をどうぞ」


舞鳳のオーダーは、「たっぷりブレンド」と「味噌カツサンドをからしマヨネーズ抜きで」だったが、ここで三度とサンドがかかったのは偶然だ。「味噌カツサンド」が一人で食べるには大き過ぎることを、三度以上食べて知っていたので、四つにカットしてもらうことを忘れずに言い添える。半分くらいの大きさでちょうどいい。余った二つは誰かにあげよう。たぶんもらってくれるのは、さっきからほとんどしゃべらない少年ジャンボくんだろう、きっと。



冬本さんは「初めまして」とあいさつした。彼にとって初めましてでないのは、七海さんとデイビッドくんだ。男の人たち3人が手前の四人掛け、ママさん2人と舞鳳が奥の四人掛けのテーブルに座っている。舞鳳は遠目でちらっと観察していたが、冬本さんが注文したのは、「普通サイズのコーヒー」と……


「あと、豆の袋、大きいのください」


マ メ !



たしかに「コメダ珈琲店」のマメはおいしい。コーヒーの付け合わせとして小さな袋の中に数粒のマメが入っているものが「お通し」みたい感じで出てくるが、その「大きな袋」の方を注文したのだ。あれはいくらか知らないが数百円だと思う。200円くらい? レジ脇のうっかり買っちゃうスペースで販売しているので、お土産として買って帰る人はいるのだろうが、テーブルでオーダーした人は初めて見た。コメダには相当通っているのに――


これが現実とネットのちがい――この半日で舞鳳は学んだ。

すぐに答え合わせができるのだ。

できるというか、強制的に答えを見せつけられてしまう。


たとえば息子に「輝人」と書いて「デイビッド」と読ませる親。

そんな感覚を持つタイプの親と自分とは、まったく接点が無い他人であるとSNS上だったら感じる。画面のモニタ越しに「デイビッドとかキラキラネームにもほどがある! いやぁ、すごい。勇気あり過ぎる!」と、心の中で、バカにするわけじゃないんだけど、他人事みたいに驚いて終了だったろう。さまざまなことを調べたり、『SNS手帳』にその人の予定を書いたりするような、深く知りたい人のカテゴリーに入る人ではなかったはず。


ところがそんな自分とは無縁のはずの七海さんとは、吉祥寺の書店ですでに接点を持っていて、しかもなんとコメダ珈琲店でいっしょに食事をしている! しかもその息子さん「デイビッドくん」は、ピンクのヘアバンドをしたり、金髪みたいな髪だったりして、キラキラな名前から連想される通り「派手」なわけで、最初は一瞬にして「たぶん嫌なヤツ」という舞鳳の脳内フォルダーに格納されてしまったわけだけど、実際の彼は想像を絶するプロ意識を持っていて、さっきからいい意味で動揺させられっぱなしだ。


この半日の、自分の気持ちの変化を、こうやって記事にすればいい。

舞鳳はそう直感する。

たぶん、わたしみたいな素人記者を雇ってくれた意味は……ですよね、編集長。


舞鳳は店内をぐるりと見渡す。チェーン店である「コメダ珈琲店」だから、店の造りはだいたい同じだ。だから舞鳳にとって新鮮さはない。しかしいつもと違うのは、


スマホやタブレットPCの「中」ではなく、「外」に人がいる


これに尽きるかも。中の人ではない。外の人。


別に舞鳳自身が引きこもって生活していたわけではない。書店で忙しく毎日何時間も、しかも2年間働いていたんだから。でも今思うと、軸足はSNSの側においていた気がする。帰って来る場所はSNSの「中」の方で、「外」の実社会はかりそめの場所――


かりそめ? 


何だそれ――編集長に突っ込まれるかもしれない。自分でもこの使い方であっているのかわからない。調べればわかるけれど、なんとなく出てきたのが「かりそめ」という言葉だった。


男子たちのテーブル。豆の袋は、普通サイズのコーヒーとともに、どのオーダーよりも早くテーブルに届いた。冬本さんはおしぼりで手を拭くと、さっそく豆の袋を開けた。そして――ひと粒ずつ、少年たちの口へと放り込む。コイにえさをやるみたいに。少年たちは笑顔になる。そしてそれぞれに手を出させて、数粒ずつその手に乗せる。少年たちはさっそくそれを食べる。デイビッドくんはひと粒ずつ。ジャンボはひと口で。冬本さんはそれを嬉しそうに眺めている。


この世界は複雑だけど、ていねいにつながっていけば大丈夫。舞鳳が観ている限り、冬本さんは最後まで自分ではマメを食べなかった。冬本さんのような優しさを読み取ることができるのは、「外の世界の情報量」がすごく多いからだろう。


舞鳳はたっぷりブレンドについてきた、数粒しか入っていない小さな豆の袋を見ながらそんなことを想った。この袋は開けないで、あとで冬本さんのあのカッコイイジャケットのポッケに入れてあげよう。そんなイタズラを実行できるのも、外の世界のいいところかもしれない。やれる勇気があるかどうかは別として――


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