第7話 18歳の時の子ども
舞鳳は高性能な双眼鏡「コスモス」のレンズを少年に向ける。
「あの子……知ってる!」と舞鳳。
「やっぱ7番つけてますね。朝練の子」とデイビッドくん。
遠目から識別できるほど何度も朝の公園で顔を合わせているのに、最初に名前を聞かなかったせいで、今さら聞きにくくなってしまったそうだ。それはともかく――
「スゴっ! やっぱうまいな、あの子。ドリブルはやっ!」
デイビッドくんは感嘆の声を上げるが、舞鳳は試合展開そっちのけで「背番号7」の表情だけを追い続けている。「コスモス」を持つ手と、それをのぞく眼に力が入る。
「絶対あの子! 写真に映ってる子だ!」
興奮した舞鳳のセリフは、図鑑でしか見たことのない珍しい野鳥を発見したときのそれみたいだった。
「写真? 有名人なんですか?!」
いつでもそう。いつもあのスマイル。
満面の笑み、という感じではない。ちょっとだけはにかんだ、控えめで上品で、でも幸せが溢れている表情。見ているこっちが癒される、素敵なスマイル。
丸尾編集長の「カギをかけたインスタ」に、ごくたまに登場する子だ。
ファンキーという言葉がふさわしい丸尾さん――鋲のついた革ジャン・ドラゴンが描いていあるスカジャン・不気味な柄のアロハシャツといったファッションが似合い過ぎる編集長――とは180度ちがう。私立のおぼっちゃま学校の、さらに生徒会長みたいな、穏やかで育ちがよさそうな雰囲気。一番最近の写真では、シックなフランネルシャツのボタンを一番上までちゃんとかけていた。
ただ……不自然な点がある。インスタには「彼だけのワンショット」がないのだ。映るときはいつも編集長と一緒。怪し過ぎるくらい注意深く写真をチェックしているけど、他の人と映っている画像を見たことがない。ということは、自撮りかタイマー撮影みたいなものじゃない限り、誰かがその場所に居合わせて写真を撮っていることになる。もしかしたら――その誰かの息子さん、という可能性も一応残されている。
うーん、謎だ。
たとえば丸尾さんは、スキー場で撮った写真については「一歩間違ったら死にそうな崖の間近を滑ってまーす」系の、おちゃらけた一言を添えるくせに、「スマイルボーイ」が映り込んでいる写真については、まったく説明を与えない。
以前、フォロワーの一人が「息子くん? かわいいですねー」とコメントしていたときも、丸尾編集長は答えなかった。編集長がコメントをスルーすることは、めったにないし、答えにくい存在ならわざわざインスタに上げなければいいのに。しかも承認した人しか見ない、カギをかけているアカウントなのに、わざわざ答えに窮する写真をアップする理由がまったく不明。まさか画像加工を駆使した、フォロワーをからかう手の込んだイタズラ?!
なわけない。
もちろん、フツーに「息子」と考えるのがいちばん自然だけど、丸尾編集長はようやく30歳。あの子は……何歳だろう。デイビッドくんと同じ6年生だとしたら12歳?! ってことは……丸尾さんが18歳の時の子ども?!
若いパパ! 破天荒な編集長のことだから、その可能性もなくはない。なくはないけど、ぜんぜん似ていない。それに息子さんだとすると、じゃあ奥さんは?! という問題が派生する。奥さんらしき人は……というか女性はほぼまったく丸尾さんのインスタやSNSには登場しない(※ワンちゃんやにゃんこのメスは除く)。
そっか男性の丸尾さんが子供を産むわけじゃないから、いろいろな可能性が考えられるね……若干ワケアリ、微妙に不穏な予感。なのにあの謎の少年は、たった今も、試合中なのに屈託なく、じつに幸せそうだ。
ん?!
というか……そもそもサッカーの試合中ってどんな気分だろう?
マラソンは予想がつく。たぶん最初から最後までずっと大変。野球もなんとなく想像つく。高校野球くらいしか見たいことないけど、動いていないときに、すごく緊張したり、次にやることをいろいろ予想しているんだろうね。
なら、サッカーは?! マラソンのようにずっと走っているわけでもなく、野球のように止まっている場面が多いわけでもない。試合の最中、選手は何を考えてるのかな? 舞鳳にはさっぱり想像がつかな……くない!
ラッキーなことにすぐとなりに「プロサッカー選手」がいる! 舞鳳はさっそくデイビッドくんに生じ立ての疑問をぶつけてみた。
「ねぇ、デイビッドくん、サッカーって試合中に笑うってことある?」
「え?」
「あの子、さっきからずっと――」
一人だけ、とっても楽しそうなんだけど!
「うーん」
グラウンドでプレーは続く。敵チームの監督は立ち上がって怒鳴りっぱなしだけど、「朝練くん」のチームのベンチはとても静かだ。
「言われてみれば、笑うことってあまりないかも。ゴールしたときは笑うけど、試合中はたぶん……」
「あ、そっか、ゴールは嬉しいもんね」
「それ以外で笑っていたらたぶん、怒られますね」
「怒られるの?」
「みんなにキレられます。ちゃんとやれって」
「でも、あの子――」
舞鳳はデイビッドくんへ双眼鏡を渡す。
「ほんとだ。めっちゃ笑ってる!」
「ね!」
「初めてじゃないけど……なんかオレ、マドリさんとは逆に、あの子の笑ってるとこ、あんま見たことないです。公園の練習だとメッチャ必死。あの子が本気で練習しているときに、マジで声なんてかけられないです」
「ホント?」
「迫力っていうかオーラ、ヤバいですよ。最初に見た日、あの子、ボール持ってなかったんですけど、ずっとダッシュしてました。超荒い息を立てて。もう、死にそうな感じで。全力で何本も走ってて。走ったあとジャンプトレーニングしたりしてて。体力尽きたときのジャンプはキツイって。自主練であんなに追い込んでるヤツ見たことないです。普通、みんなサッカーの練習するって言っても、ちょっと友だちとボール蹴ってわいわいやるくらいですから」
舞鳳は想像した。
学校やみんなの前では生徒会長みたいな真面目くんが、じつは一人公園で必死の朝練をしてる。その代わり、みんながテンパって、余裕なく必死にやっている試合では、逆に笑顔で試合を支配する――
ギ ャ ッ プ 萌 え
「朝練くん」のチームは何点も取っている。圧倒的な実力差だ。
朝練くんも点を取るし、その他の子も喜んでいる。他の子も、瞬間的には楽しそうだが、すぐに真顔に戻る。それに対し「背番号7」は、走っているときも攻めてるときも守っているときも、まるで子どもがマンガを読んでいるか、ゲームをしているみたいにリラックスした表情で、サッカーを心から存分に楽しんでいる様子――
あら?!
舞鳳はここで、いきなり一つの事実に思い当たった。
「ねぇデイビッドくん!」
高い声に驚いたデイビッドくんは、双眼鏡から目を離し、テンションの上がった舞鳳を見つめる。
「もしかしてサッカーの試合って……『ゲーム』って言う?」
「え? あ、はい」
「あの7番の子、まるでゲームをやってるみたいって思ったけど、そもそもゲームなんだね、サッカーって」
「ん?!……え……お、おおっ!」
デイビッドくんは大きなゼスチャーとともに声を上げた。
「たしかに!」
「そもそもゲームだから、じつは笑顔が当たり前じゃない?」
「そっかそっか、サッカーは……ゲームなのかっ!」
「ここに来た時から、何かヘンな感じがするなぁって思ってたんだけど、何がヘンかよくわからなくて……でもわかった。応援している人とか歌ってる子たちはけっこう楽しそうなんだけど、試合やってる子があんまり楽しそうじゃないのって、ヘンじゃない? みんな好きでサッカーやってるんでしょ。それなのに、ずっと苦しそうっていうか大変そうっていうか」
「基本、走るのは苦しいですからね。体ぶつかるのも痛いし。特にディフェンスは超ツライ。あとミスすると落ち込むし、抜かれると悔しいし、シュート外すとイライラするし」
「でも――あの子は」
「背番号7」
は、ぜんぜん平気そうだ。
「きっとテクニックの次元が違うから、超絶余裕があるのかもしれないですね」
「デイビッドくんからみて、あの子、上手い?」
「マドリさん……さっきオレのプレー見てたでしょ?!」
今のオレから見ると、みんな上手いです――デイビッドくんは、自虐的というわけでもなく、クールにそう付け加えた。
「あ、ごめん、ヘンな意味じゃなくて」
「それよりマドリさん、あの子の知り合いですか?」
「え?」
「もし知り合いなら――」
いきなり話を振られた舞鳳は慌てて、考えを整理しないままわけのわからないことを口にした。
「えっと、ごめん。知り合いっていうか……わたしの知り合いの息子っていうか、知り合いの友だちの息子かもみたいな……あるいは謎の奥さんの息子さんか……加工画像みたいな」
「え?!」
「ごめん。わたしにもよくわからない関係で。今はまだ、知り合いじゃないかな」
「そうなんですか。どうしよう。もし知り合いだったら」
「友だちになりたい、かな?」
「いや、そうじゃなくて、アイツを――」
デイビッドくんはヘンテコインタビューモードに豹変、ニヤリと笑った。
「オレのアシスタントにしてやろうと思って」
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