第5話 プロだからね、オレは

あら?!


母親たちの前に戻ってきたデイビッドくんの表情は、スパイクの金色に負けないくらい明るかった。試合に敗れた直後で、フリーキックも蹴らせてもらえなかったのに笑顔さえある。先ほどのひどく悔しそうな表情が、完全な見間違いかと思ったほどだ。


でも――


そんなはずはない。こっちは4万円の高性能な双眼鏡だし。他の人は観てなかったかもしれないけど、自分ははっきり目撃した。あのときぜったいに悔しがっていた! デイビッドくんは明らかに本心を隠している。ん? 気持ちの切り替えが異常に速いだけか?!


不思議だ。自分が子どもの頃は、悔しい想いをしたらしばらく引きずっていたと思う。今、思い出しても頭に来ることもあるくらいだし。それに親の前では甘さみたいなものが出て、乱暴な言葉遣いになったり、素の表情をのぞかせたりするものだよね、ふつうの小学生は。


でも――この子は違う。小6なのに、やけに大人びているというか、「クールなポジティブさ」を備えていると言えばいいのかな。


それと「カーストが下の方」っていう七海さんの評価もすごく気になる。最後まで聞けなかったけれど、「デイビッド・ベッカム」とデイビッドくんの間にはどんな関係があるのかな? その辺も聞かなくちゃ。


うん。決めた! 七海さんの言った通り、わたしの初めての記事は、デイビッドくんについてだ!


「汚れちゃったよ。顔洗うとこないのかな」

デイビッドくんはママさんに尋ねていた。

「本部の方に、水道があったよ」

「どっち?」

「あっち。でもヘンな水道だよ」

「ありがとう。じゃあ、ちょっと行ってくる!」


少年はリュックを手にしてスタスタと歩き始めた。舞鳳はとっさに少年の後を追った。舞鳳の方がまだ背が高いものの、デイビッドくんは他の子に比べてけっこう大きい。


ちょっと尾行しよう。

たぶんまだ自分の顔は知られていないはず。これは大チャンス。知られていない今なら、警戒されずに彼の「素の表情」を観察できる。


***


「ヘンな水道」と呼ばれた野外の水道は、よく学校などで見かける蛇口を上に向けたり下にしたりできるタイプのもので、3つ並んでいた。七海さんは「ヘンな水道」と言っていたが、特にヘンという印象は受けなかったし、河川敷にあるものとしてはわりと新しく、しっかりしたものに思えた。デイビッドくんが3つのうち、右側の蛇口を使ったので、舞鳳は中央をひとつ飛ばして左側の蛇口を使い、水を小さめに出して、並んで飲むふりをした。


「あれ? どうしたのキミ」

「……」

「もしかして、泣いているの?」

「ちがうよ、これは汗だよ」


みんなの前では気丈に振舞っていたけど、じつは悔しくて泣いていたりして――


そんな記事になりそうなドラマチックな展開をいっしゅん想像したけど、デイビッドくんはぜんぜん泣いてなくて、なんと! 洗顔フォームを使って丁寧に顔を洗い始めた。顔を洗い終わると、今度は――



シ ャ ン プ ー タ イ ム 



河川敷で髪を洗うの?!

シャンプーの泡からはラベンダーの香りがほのかにした。

そしてエレガントに泡立てながら、デイビッドくんはクールに言った。


「お姉さん、さっきからずっと水、出しっぱなし。もったいないよ」

「あ、ごめん、ごめん」


慌てて蛇口を閉める。


そして、数分経過――


洗髪が終わったデイビッドくんは、ふわふわで気持ちよさそうな大きめのタオルで金色に近い髪を拭いながら、さらりとさわやかに言った。


「お待たせ。オレのインタビューだよね?」

「は?」

「ご覧の通り。結果がすべてだから」

「はい?」

「次は点を取れるように、チームに貢献できるようにトレーニングするだけだね」

「ぬ?」

「他に何を話せばいいかな?」



な に こ れ


い き な り


イ ン タ ビ ュ ー モ ー ド



「何でも答えるよ」


よくわからない展開だけど……そっちがそういう姿勢なら――


「デイビッドくんの名前は、デイビッド・ベッカムと関係あるの?」

「もちろん。彼のプレーについては、観られる動画は全部見たよ」


うわ、それっぽい返しをしてくる!

さすが自己主張全開の七海さんの息子だけある!

ここまでやられて、舞鳳も引くわけにはいかない。

ノリでそれっぽく続けた。


「じゃあ、ベッカムのどんなところが好き?」

「うーん」


ほどよい間を置いて、デイビッドくんは理由を明瞭に述べた。


「一言で言えば、本当はダサいのに華やかに生きようとしているところだね」

「え? ベッカムってダサいの?」

「もちろん今のオレよりはぜんぜんダサくないけど……最終形態は運動神経もいいし、ガタイもすごいし、ロングシュートもありえないけど、ベッカムの場合、そういうのは全部もともとじゃなくて。全部努力で身につけたんだ、きっと。スタート地点は、顔はカッコイイくせにサッカーは下手なヤツだったはず。もともとは絶対ガリガリで、シュートも弱弱だった。オレくらいの歳のときのベッカムは」

「そうなの?」

「オレの想像ではね。違うかもしれないけど、オレは勝手にそう思っているからいいの」



オ レ は 勝 手 に


そ う 思 っ て い る か ら い い



舞鳳はなんだか感動した。

無茶苦茶な理屈だけど、そのあまりにストレートなリスペクト。

そして首尾一貫した、小学生とはおよそ思えない自信満々な語り口。

舞鳳は本音を隠すタイプだけれど、デイビッドくんのブレなさに敬意を示すような思いで、率直に聞きにくいことを訊ねた。


「ええと、デイビッドくんさ……一応聞くけど、わたしをからかってるわけじゃないよね、そのしゃべり方」

「え?」

「ものすごくインタビュー口調っていうか。ちょっとヘンに思えるけど」

「これ、インタビューじゃないんですか? さっき母親が、お姉さんは記者だってこっそり教えてくれたけれど」


バレてたか。


「うん。でもインタビューはインタビューだけど、なんか本物っぽいっていうか、プロ選手みたいっていうか」

「プロだからね、オレは」

「え?!」

「オレはもうプロサッカー選手なんだ。だから今は超下手くそだけど、ベッカムみたいに――」


デイビッドくんは少ししゃがんで、金色のスパイクのひもを結び直しながら、ここだけはちょっと照れくさそうに、目を合わさずに言った。


「髪の毛の先からスパイクの先まで、全部パーフェクトにするつもりで生きている」


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