第4話 キラキラネームにもほどがある!

輝人――


「あの子の名前、輝くに人って書くんだけど、読めます?」


七海さんは、どこか誇らしげに質問してきた。舞鳳は漢字を思い浮かべる。


「うーん……」


輝人くんは「背番号23」だった。

金髪に近いあの髪は地毛だという。


「てるひと」はもちろんハズレ。

「キジン」でもないし「ひかる」でもない。


「すみません、わかりません」

「だよね。いままで正解した人ゼロ人だから」

「キラキラしすぎで当たらないよ、ゼッタイ。わたしも最初びびった」


アッキィさんは笑った。ゼッタイと言われると当てたくなるがムリ。

舞鳳は降参した。


「正解はね――デイビッド」



デ イ ビ ッ ド ! ! 



輝に「デイ」という読みがあるわけではない。人を『ビッド』と読むのはセーフというかノーマル。キラキラネームの心得としてはまず「遠慮しない」。漢字よりも読み方を決めるのが先。次に自分にとってのお気に入りの漢字を選び、そこに「大胆に」当てる。法律上は名前の読み方と漢字の間に、関連性がある必要はないらしい。


それにしても――


キラキラネームにもほどがある!


十分にキラキラかと思った「舞鳳」は、漢字と音の関連性がとても高い方だ。輝人に比べると「シワシワネーム」にすら思える。デイビッドの「輝」と「デイ」にはまったく関連性がない。それはすがすがしいくらいで、微塵もこじつけようとしていない。たとえるなら「五月」を「さつき」と読むけど、「五」は「さ」ではないのと同じようなものだ。


「マドリちゃん、ベッカムってサッカー選手、知ってる?」

「ベッカム? うーん、聞いたことないです」

「やっぱ知らないか。わたしら世代は誰でも知ってるけどね。2002年のワールドカップに日本に来たときはすごかったから。ベッカムフィーバー。ね、アッキィ」

「ん? わたし生まれてないからわからない」


アッキィさんは七海さんより年上っぽいのに、ベッカムのことを知らないふりをした。ネットでサッカーのことを調べるのは丸尾編集長から禁止されているので、以下、七海さん情報。



デイヴィッド・ベッカム。引退したサッカー選手。1974年生まれ。イギリスでは貴公子と呼ばれ、ハリウッドの映画俳優のような顔立ち。奥さんも子どもたちも有名人。プレーも一流でとくにフリーキックが得意。


フリーキックって何?


「あ、あれ! 今、敵チームがやるやつ」


何かがあってプレーが中断している。

ボールが置かれ、輝人の相手チームがそれをこれから蹴ろうという状況。ゴールを狙うみたいだ。これがフリーキック。輝人のチームは横一列に並んで守っている。輝人自体は、ボールとはぜんぜん違う場所でひとりポツンと立っている。


「デイビッドくんは何であんなところにいるんですか?」


舞鳳のレベルの低いクエスチョンに対して、輝人の母・七海さんはバカにせず、ていねいに答えてくれる。


「ああ、あれね。あれはカウンターに備えているの」

「カウンター?」

「逆襲のこと。こっちのボールになったらすぐに攻められるように、あの子、離れた場所にいるんだ」

「すごい! 七海さん、サッカーくわしいですね」

「くわしくないよ! でも毎週土日にサッカー観てると、ママさんたち、みんなそこそこくわしくなるから」

「え?! 毎週応援に来ているんですか?」

「当番もあるしね。それにほら、観に来ないといろいろ文句を言う人がいるでしょ。それで」

「あ、イヤイヤ来てるんですね!」


舞鳳がストレートに言うと、七海さんとアッキィさんは顔を見合わせ、声がちょっと大きいよ、というような仕草をした。


「マドリちゃんは、何歳?」

「23で、もうすぐ24です」

「結婚はまだ……だよね?」

「はい」


アッキィさんは「24とか若っ! ぴちぴちだね」と舞鳳の腕に触れてきた。「うぉ、すべすべー!」


アッキィさんの息子さんは「ゴールキーパー」ということだった。さっきから大きな声を出してみんなに指示を出している、帽子をかぶっているあの背の高い子のママさんだ。


「小学生のママになると完全にわかるから。マドリちゃんもわたしたちの気持ちが」

「そうそう。イヤイヤ来てるわけじゃないんだよ。子どもたちが頑張るのを観るのは楽しいし。でも土日がほぼほぼ全部つぶれちゃうのはね……雨だと超うれしいもん」


アッキィさんはまぶしそうに空を見上げる。

舞鳳もつられて視線を伸ばす。遠くに鉄橋が見える。その上をおもちゃみたいに小さく見える電車が通過する。4月の日曜日。風はすごく強いけれど、風さえなければ暑過ぎない気持ちいい天気だ。


そういえば丸尾編集長は言ってた。仕事をするのは土・日・祝日。あとその次の日だっけ。


あ! 今日のレポート書かなくちゃいけないんだ!


舞鳳があわててグラウンドへ目を向けると「フリーキック」の場面だった。


「今度はこっちのフリーキックですね」


習ったばかりの専門用語をさっそく使ってみる。


「結構いい距離だね。もしかしたら入るかも。あ、審判、さっきから時計見てたから……これがラストプレーかな。入れれば同点」と七海さん。

「誰が蹴るのかな?」とアッキィさん。


これはこの試合の「最大の見せ場」というやつかもしれない。スコアは1-2らしい。きっと最後のプレー。これを入れれば同点。通りすがりに観た試合だけど、これはいい感じの記事が出来そうな予感がする。ミラクルな予感。舞鳳はちょっと興奮してきた。


「もしかしてデイビッドくんがシュートを打つんですか?」

「うーん……」


七海さんは息子の気持を代弁した。


「たぶんだけど、あの子はめっちゃ蹴りたい。オレに蹴らせろ! って思ってるはず。でも彼のカースト低いから」

「カースト?」

「ヘタっぴだからたぶん、蹴らせてもらえないよ。今日も学校公開日で人数が足りてないから出てるだけだし。ほら、やっぱ蹴らないみたい」


舞鳳は双眼鏡「コスモス」を取り出した。

どうして双眼鏡を持っているかって?

舞鳳はよくロックバンドのライヴを観に行く。そのときに必ず持っていくのが、この40000円もした双眼鏡だ。4000円じゃないです。40000円! 武道館の最後列からもヴォーカルの微妙な表情、ギタリストのユニークな指使い、ベーシストが必死にキープしている笑顔、ドラマーの振り乱す髪の毛まで見える。


この愛機を「コスモス」と呼んでいるのは、これで一番最初に見たのがコスモスの花だったから。Amazonからこの高級品が届いた日、すぐに覗きこみたい気持ちをぐっと我慢して公園に行った。そして覗いてみたら……ずーーーっと向こうにあったコスモスの花の、透明感のある赤紫の花びらが、すぐ目の前にあるように見えた。


そんな「コスモス」でデイビッドくんの表情を捉える。

ものすごい汗。

頬がホコリで黒い。

クールな髪型だけど、その表情はぜんぜんクールじゃない。

キラキラネームにもほどがある名前を背負った少年は、明らかに悔しそうだ。歯で下唇を噛んでいた。リアルにキラキラできるチャンスがすぐそこにあるのに、ボールを蹴ることができるのはたった一人。


そして別の少年がフリーキックを蹴り、そのシュートは残念ながら外れて、試合はそのまま終了してしまった。

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