第3話 『紙対応』

「なんでわかったんですか!」


ついこの前まで本屋で店員として働いていたときは、レジに立つよりもバックヤードで仕事をしていることの方が多かった。補足しておくと、舞鳳自身は人と話すのが苦手だったわけではぜんぜんない。むしろ大好きだ。


ただ客と顔を合わせるレジの仕事は、アルバイトが担当することが多い。責任は重いのに薄給の正社員であった舞鳳は、毎日飛び込みで売り込みに来る多種多様な営業さんの相手をしたり、書籍の注文をしたり、雑誌の定期購読を管理をしたり、マンガに1冊1冊ビニール袋をかけたり、予約の品の入荷をいちいち電話でお知らせしたり、ものすごい量の返品処理をしたり(限られたスペースに新しく出た書籍が並んでいるのはほんのちょっとの間で、すぐに膨大な量の書籍が返品されるのです!)さまざまな種類のクレームに対応したり、アルバイトのシフトを組んだり、面接をしたりと忙しい毎日だった。ホームページの管理や店のTwitterアカウントでの発信の仕事(※特に毎日報告することもない)もあった。窃盗対応という残念な仕事もあった。ああ、思い出しただけでちょっと疲れてくる……


職人のように手の込んだかわいい「販促ポップ」を書いて、好きな本を手渡しで売って、暇なときは本を読んで、ときどき開かれる作家のサイン会につきそってお近づきになれたりして……少女だったころは、書店で働くってことを美化して憧れていたが、配属された吉祥寺の駅ビルの店は、そんなのんびりした場所では全然なかった。


「覚えていない? 去年のサンジョルディの日に、プレゼントの包装してもらったんだけど。金色の紙がいいってお願いして。あ、でもあれはもう、一年前か」

「あ!」


思い出した。サンジョルディの日というのは4月23日のことで、「本をプレゼントする日」、つまりバレンタインデーの本バージョンの日なのだが、認知度はとても低いし、サンジョルディの名前をまず覚えてもらえていない。知ってます?


それでもポイント10倍アップの効果もあってか、去年の4月23日は混んでいて、休憩をとる時間もないほどだった。そんなさなかに、書店で用意していた包装紙は赤と緑と青の三色だったにも関わらず、「金色がいい」というリクエストが入ったのだ。ふつうなら「申し訳ございません。こちらの中からお選びいただけますか」と言い張るの一択なのに、客は「どうしても金がいいの!」の一点張りだった。


アルバイトの子からのヘルプで対応した舞鳳は、同じ駅ビルにある文房具店で、包装紙に使える金色の大きな紙を買って来て、それをカットして代用した……あのときのお客様?! 


あら?!


舞鳳はいきなり一つのことに思い当たる――大丈夫だったかな、自分……忙しい中のムチャぶりに、あのとき不機嫌で失礼な対応をしなかったかな?!


「逆にすごく優しくしてもらったから」


舞鳳の顔を覚えていたお母さん――「ナナミさん」って名前だと判明したけど――は笑顔だった。


「金色の紙を用意してくれただけじゃなくて、ほら、花まで……ほんとうの花をつけてくれたじゃないですか」

「ああ!」


クリアに思い出した。すぐそこの文具店で包装紙を買って帰る途中、せっかくここまでやるんだったらと思って、書店に用意されていたペタリと貼るだけの「PRESENT FOR YOU」のシールではなく、同じく駅ビルにあるお花屋さんでミニバラを1輪分けてもらい、それを金色の紙に包んだ書籍に貼り付けたのだった。


「すごいね、神対応じゃん!」


七海さんのお友達のアッキィさんが褒めてくれた。たしかに「紙」で対応したからある意味「かみ対応」なんだけれど、そんなに大げさなことではないように思える。それにもう辞めてしまった職場だし――


「辞めちゃったの?! ええ! それは残念」

「いや、いいんです。今はスッキリしてます」

「ブラック書店だったんだね」


ぜんぜんブラックじゃないと思う。楽しいことも多かった。ただ仕事の種類と量がさらに多かっただけ……という気もするけど、大きな町の書店はこのくらいの忙しさは普通かもしれない。忙しいのはそんなに問題じゃなくて、考えすぎて自爆っていうか――


「今度はどこで働くの?」


いきなりの踏み込んだ質問にびっくりした。お母さんたちってこんなにガンガン攻めてくるもの?!


「あ、えっと……」

「今度はブラックじゃないとこ探さないとね」


取材ということは明かしたけど、ここで「プロの記者になりました」と宣言するのも恥ずかしい。そして、今の今まで考えたことがなかったけれど、丸尾編集長のところは「ホワイト」なのか? 


面接なしで入った。ネットで口説かれたみたいなものだ。しかも口座を聞き出され、働く前からいきなり70万円を振り込まれた。冷静に考えてみると――この状況を誰かに相談すれば、「あやしすぎる!」「会ったこともないんでしょ?」「それは危険」「30歳の男の人? 大丈夫なの?」「事件のにおいしかしない!」と心配されるに違いない。


ただ、舞鳳自身は心配していない。

うーん。なんで?

なんで自分は怪しい仕事を引き受けて、こんな場違いなところにいる?


「マドリちゃん、取材って言ってたよね?」


七海さんは思い切りオープンだった。舞鳳の名前を知ると即座に「マドリちゃん」と呼び始め、自分のことは年上とか関係なく「ナナミちゃん」と呼んで欲しい、友達のアキさんのことも「アッキィ」と呼んでくれと訴えた。その後、結局10歳以上先輩たちに、そんな親し気な呼び方はできなかったのだけど。


「はい、取材です」

「さっき言ってた何とかってチームの取材?」

「ええと――」


丸尾編集長は何でもいい的なことを言っていた。「トリックスターズ」というチーム名は聞いていたけれど、取材対象はこのサッカー大会に関係していれば自由で良いのかもしれない。というか――


自分が吉祥寺で苦し紛れにとった小さな行動が、一年後に砂ぼこりのひどい河川敷でいきなり「神対応」と評価される不思議さ。名もなき店員として働いていたつもりが、別の人の「記憶」の中にちゃんととどまっていたという事実。そして包装紙を買ったり、花を添えたりという柔軟な対応をしていた店員が、今の自分とつながっているとは少しも思えない断絶感――


舞鳳は少しだけ答えが見えた。

ヘンなスタンプを送る丸尾編集長の「怪しいオファー」を受けた理由だ。


それはたぶん、あの「紙対応」の気分に似ているんだ。

そこに「ムチャぶり」があって、それに「応えたい気持ち」が突然生まれる。

「ムチャぶり」に含まれる、すごく個人的で、切実な理由。そこに自分が関わることで生まれるかもしれない可能性。自分にしか見えない、他の人には説明できない、危ういけれど向かっていきたいビジョン――ううう。どう考えても「カッコつけてる」と丸尾編集長に怒られそうな言い回しだ。


「取材対象は……今のところフリーです」

「じゃあさ、うちの子を取材したら? きっとウケるから」

「あは! いいね! ぜったい取材した方がいい」


アッキィさんも同意する。


「あそこ、金色のスパイク!」


七海さんは全力でダッシュしている一人の少年を指さした。それはさっき見た子――髪が金色でサラサラで、芸能事務所に所属してそうな顔立ちのあの少年だった。

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