第2話 使いどころが難しいスタンプ

てっきり会社で顔を合わせて打ち合わせをすると思っていたが、採用されてすぐ、LINEで入金の口座を聞かれ、伝えると4月分として70万円が振り込まれていた。履歴書も出していないし、ハンコもついていないし、契約書にサインもしていないのに!


そして口約束というかLINE約束で雇用されててから数日後の金曜日の朝、まるでゲームのようにいきなり、LINEでミッションを言い渡された。 


「今回の仕事内容。少年サッカーチームの大会を土日で取材して、そのレポートを書いてくれないかな? 締め切りは月曜日で頼むね」

「少年サッカー?!」


そんなの観たこと一度もない!


舞鳳が9歳まで住んでいたスペインはサッカーが盛んだったが、舞鳳自身は興味がなかったので一度もグラウンドやスタジアムに足を運んだことはなかった。丸尾さんはときおりヘンなスタンプを混ぜながら、LINEでの会話を進める。


「河川敷にグラウンドがあるんだけどね。駐車場はすぐにいっぱいになっちゃうから、行くときは電車か自転車がいいと思うよ」


そして気持ち悪い顔の、使いどころが難しいスタンプ(笑)。


「あ、すみません。何を書けばいいか見当もつきません! わたしじゃなくてもっとちゃんとしたライターさんに依頼した方がいいと思います」

「サッカーの記事については、素人の視点が欲しいんだ」


そして別の作家が作ったと思われる、またまた使いどころが難しそうな変なスタンプ。めっちゃグッドマークを出してる。


「気づいたことや思ったことを、ネットに書いているときみたいに自由に書けばいいから。あ! 生真面目にサッカーの記事の書き方とか調べたりしなくていいからね」

「記事なんて書ける自信ないです」

「記事を書こうと思わなくていいから。気づいたことや思ったことを正直に書いてくれればいい。SNSの文章と同じだよ。マドリの文章ならちゃんと伝わるから」


わたしの文章が、伝わる?


「マドリが仕事を辞めるって書いたあと、みんなコメントしてたじゃん。元気出してって。毎回まじめに、規則正しく正直に、めちゃくちゃ迷いながらがんばって書いた文章の熱が、みんなの心に届いているんだ。オレ自身もマドリの文章から、才能だとかユニークさだとかユーモアだとか、いろいろ感じて仕事をお願いしたわけだし。そこは自信を持っていい」


自分の文章のどこに価値があるのかさっぱりわからないけれど、それでお金が、しかもあんなにたくさんもらえるなら全く文句はないし、お金がもらえなくても別に構わない。一度ネット上の人と会うという「小さな夢」が叶えられたのだから。あ、この時点ではまだ会っていないんだけれど。


観たものをSNSに投稿するようなつもりで書くというのなら、それこそ10年くらいやっていることだから、まったく難しいことではないかも。まったく知らないジャンルということで怯んだけど、丸尾編集長の言葉で一気に気楽になった。そして――安心し、油断したタイミングで「See Ya!!」というセリフが書いてある、誰かわからないサッカー選手の、気持ち悪いとしか表現しようがないスタンプ。


* * *


四月の強い風は河川敷のグラウンドのほこりを巻き上げて、舞鳳に目つぶしの洗礼を浴びせた。こんなことになるとは予想もしていなかった。その証拠に、舞鳳はまるでカフェでおしゃれな写真を撮るインスタグラマーのように、麦わら帽子に白のワンピース、可愛いブローチ、そして新しい白のスニーカーという恰好だった。帽子はすでに二度飛ばされ、スニーカーは泣きたくなるほど汚れている。いきなり完全なアウェー感。こういうスポーツ観戦自体、もしかしたら初めてかもしれない。


チーム名は教えてくれたが、ユニフォームの色を聞くのを忘れた。というか、こんなにたくさんのチームが集まっているとは想像もしていなかった。右を見ても左を見てもカラフルなユニフォームを着た少年たちだらけ。お祭りか運動会に紛れ込んだような気分。マドリは何年もの間、子どもと接する機会が無縁の生活を送ってきたので、いきなり小学校時代にタイムスリップをしたような懐かしいような気分になった。応援歌を歌ったりするんだ! すぐそばのチームは、アルプス一万尺のメロディに合わせて合唱している。


♪ これからはじまる ホニャララ攻撃、何点入るかわからない!


♪ へい!


♪ 1点、2点、3点、4点、5点、6点、7点


みんな、とにかく元気でテンションが高い!

プレーについては上手いのか下手なのかはぜんぜんわからないけれど、ホコリとか風なんて眼中になく、エネルギッシュに走り回っている。舞鳳がいた職場は大きな書店ということもあって、来る子どもたちはどちらかと言うと大人しい系が多くて、こんなに騒々しくない。


ボールが舞鳳の近くに転がってきて、それを手で頭の上からグラウンドへ投げ入れた少年。芸能事務所にでも所属してそうな、ヘアバンドをしたサラサラヘアーのイケメンくんだ。いたいた、こういう顔の子。人気があるけど、性格が悪かったりするんだよね……ってそんなこと言っちゃダメですね。うわ、デカっ! この子、本当に小学生?! へぇ、女の子もけっこういるんだ。


コーチらしき人も様々だ。見るからに鬼コーチっぽい、おなかが力士になってる貫禄あるコーチもいれば、自分とそんなに歳が変わらない、大学生みたいな青年コーチもいる。


ああ、自分、いつの間にかコーチの歳に近くなっていたんだ……。


とりあえず話しかけやすそうなお母さんらしき人に聞いてみた。


「すみません、トリックスターズってチーム、ご存知ですか?」

「トリックスターズ? 知ってる?」


その女性は別の女性に尋ねた。


「え、聞いたことない。何ブロックですか?」

「ブロック?」


聞き返すとすごく驚いたような顔をされた。うう、ブロックって誰でも知ってる重要情報だったか?!


「わたし、少年サッカーの取材で来てるんです」

「え?! 記者さん?」

「あ……ええと…」


まだ帽子を吹き飛ばされる以外の仕事をひとつもしていないから……取材に来ているものの、自ら「記者です!」と名乗るなんてとても恥ずかしくてできない。舞鳳は思わず、丸尾編集長の用いた「使いどころが難しいスタンプ」みたいな、気持ち悪い表情になった。


「ん?! もしかしてわたし……知ってるかも?」

「知ってるって?」

「記者さんのこと。前に吉祥寺の本屋さんで働いていませんでした?」

「え?!」



大 当 た り !

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