あら?! マドリ ~舞鳳の長い長い初日~

藍澤 誠

第1話 キラキラネームでごめんなさい

舞鳳――キラキラネームでごめんなさい。

読めます?

読めないですよね。「舞う」の「ま」に「鳳凰」の「ほう」を「どり」って読んで「マドリ」。


舞鳳が生まれたのはスペインの首都マドリード。

マドリード生まれだから「舞鳳」。

たったそれだけの理由で父親が安易につけたらしい。

舞鳳の友だちで、カナダ生まれだから「香奈」という名前の子がいるけど、香奈ちゃんはまだいい。誰でも読めるし、ふつうにかわいい名前だから。


でもこっちは舞鳳。基本、読んでももらえないし、画数多っ! 日本には習字というものがあるのに。「かきぞめ」の半紙は大きかったけど、小筆で「舞鳳」を書けとかまずムリだから――


あら?


こんな「自己紹介情報」を記事に書いちゃうと、丸尾さんからは間違いなく「不機嫌ヴォイス」が帰って来る。


「何度も言うけどオレらの世代はマンガだから。字とかありえないくらい読まないから、最低限の文字数で超わかりやすく頼むよ。難しい言葉が書かれてるとその時点で読むのやめちゃうからね」


帰国子女で習字や国語に苦い思い出しかない舞鳳の書いた平易な文章ですら、編集長は「もしかしてカッコつけようとしてる? これムズいから」と却下する――「却下」という言葉も使っていいのか怪しい。あ、「平易」もアウトかも。


編集長である丸尾さんは自身のことを


「オレみたいに頭悪いヤツ」


とすぐに卑下……じゃなかった、ええと、自分のことを悪く言うけど、頭がキレていない人が「タウン誌の編集長」をやれるはずがない。他にもたくさんのビジネスを手掛けている。しかも相当びっくりする売上。商才があるってこういうことだと思う。「今年はさらに倍にするから」と張り切っているところに、雇われたのが、舞鳳だった。



大学を卒業して2年経過。23歳でもうすぐ24歳だ。

2年前に書店に正社員として就職できたものの、職場でいろいろあって自己都合扱いで退職。最後は予想はしてたけど、有給の消化すらさせてもらえなかった。


舞鳳は、自分が承認した人だけ見られるクローズドなSNSに、特定されないように配慮しながら愚痴めいたことを少しだけ書くと、フォローしてくれている会ったことのない30~50代の先輩たちが予想以上に励ましてくれた。


「落ち込まないで。正しい選択だったと思うよ、きっと」

「自分も昔、似たような感じで辞めたけど、今思うと大正解だった。しばらく休むのが一番だと思うよ」

「とにかくメンタルがやられると回復するのに時間かかるから! 他の人も書いてるけど、今はゆっくり休むと良いと思います!」


SNSには感謝しかない。

優しい。みんな本当に優しかった。

一人の男の人を除いては――


「え? マドリって本名なの?」

「あ、はい」

「本当に本名?」


2人だけのダイレクトメールのやりとりに、ちょっと不安になったことを覚えている。身バレして困るようなことは書いていないけれど、「マドリ」という名前は、日本にいったい何人いるんだろう。珍しいこの名前を逆に利用して、本名をハンドルネームに見せかけ、カタカナで使っていたけれど……


「都内に住んでるんだよね?」

「そうです」

「おお! じゃあ、いっしょに働こう」


即断即決にもほどがある! みんながみんな「休んだら?」ってアドバイスしてくれているにも関わらず「いっしょに働こう」って! 


「本気ですか? 会ってもいないのに……」

「ネットで何年も文章見てたから十分わかるって。マドリには才能がある」



さ い の う が あ る



誰かにこんなに直接的にほめられたことは初めてだった。言われてみればSNS上でのやりとりは現実より濃かったりする。正直に言うと、ネット上でつながっている人たちと会ってみたい気もあった。ほぼ100パーセントの人が「マドリさん・マドリちゃん」と「さん」か「ちゃん」をつけるのに、この人だけコメントを寄せてくるときは「マドリ」と呼び捨て。それがみんなに許されちゃうようなミステリアスなキャラクターだった。


丸尾編集長はプロフィールに顔写真を上げていた。「地域密着のマッチングビジネス」と「コミュニティーリーダー育成ビジネス」をたった一人で手掛けているという話だ。仕事が楽しくて仕方がないが、超忙しくて困っている。30歳になったら誰かを雇おうというようなことを書いていた気がする。


気がする、じゃないね。確実にそう書いていた。よく覚えている。そして丸尾さんは30歳になり、舞鳳は仕事を辞めてフリーだった。タイミング的にはぴったり過ぎるほどぴったりだ。


舞鳳はSNSを「他の人がひくくらい」読んでいる。「SNS中毒」と指摘されても返す言葉がない。小学生のころ、日本語を学ばなくちゃいけなくなったとき、ネット上の文章を見まくったのがきっかけだ。その頃の習慣で、文字を読むのが好きになり、特にその人の生活が垣間見れる日記をのぞくのが大好きだった。


いないことはなかったけれど、周りには友達が少なかったので、勝手にリアルの友達のような気持でいろいろな人の暮らしぶりをつぶさに観察していた。丸尾編集長のことも、たぶんSNS上にいる他の人よりもよく知っている自信はあった。


こんなことを書くと「内輪ネタはいらないから」と不機嫌になられちゃうだろうけれど。そして――丸尾さんが不機嫌になったとしても、ちっとも怖くはないし、言葉とは裏腹にたまに喜んでいるということを、仕事を一緒にするようになった今となっては知っているんだけれど。


一番最初は、いっしょに働こうなんて冗談かと思った。


「ちょっと待っててね」


というメッセージのあと、具体的な給料の金額と仕事内容が書かれたメッセージが、10分も開けずに送られてきた。以下に引用したメッセージは、舞鳳が読みやすいように誤字脱字を訂正したものだけど、原文はもっともっと雑なテキストだった。雑だけど丸尾さんの文章にはいつも「勢いと熱意」がある。


これもあとから判明したことだけど、編集長はメールもLINEもほぼ「音声入力」しかしない。気づいていないわけじゃないだろうけど、誤字についてもあまり修正しない。聞いたことはないが、全体の20パーセントくらい意味不明でもまあいいや、と考えているっぽい。


「給与は月70万円スタートでいいかな? 契約は10か月単位。4月から来年の1月まで。仕事内容は街に住む人の取材とレポート。まとめたものは紙媒体だったりネットにいろいろな形で上げたり。仕事は基本、土日と祝日とその翌日。OKだったら細かい場所と時間を連絡するから。じゃあ、次の土曜日からよろしく。また細かいことは直前に連絡するね」


これだけ? ていうか・・・



な な じ ゅ う ま ん !

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