10. 閑話(後編)
診療所の中を案内され、私達三人は診察室へと向かった。横田はベッドに腰掛けて、血圧の測定を行っていた。頭髪には白髪が混じっており、四、五十歳くらいに見える。着替える時間は無かったようで、小川が着ていたものと同じデザインの作業着を身に着けていた。
検査の途中だったので、診療所の先生は苦言を呈していたが、石島の説得によって聞き込みをさせてもらえることになった。
「静岡県警の石島です。お体の調子は大丈夫ですか」
「あぁ。軽く打っただけなんで」
横田が血圧計から視線を外し、顔を上げて答えた。
「科警研の生駒です。痛かったですよね、ちょっと見せてもらってもいいですか」
私はぎょっとして振り向いた。生駒は甘ったるい笑顔を浮かべ、猫を被っていた。
横田が上体を屈めて、大人しく頭の左側を向けた。生駒は彼の髪をかき上げて、皮膚の状態を確認していた。
「腫れてしまっていますね。ヘルメットはしていなかったんですか」
「ロボットに襲われたときに、外れちゃってさ」
生駒が頭から手を離した。
「ありがとうございます。念のため大きな病院で検査することをお勧めしますが、大事はなさそうですね」
「診療所のおばちゃんにも同じことを言われたよ」
横田が笑う。生駒は愛想笑いを返しながら、さりげなく血圧計に視線を向けた。
「一六○の一○○ですか。ちょっと高めですね。血圧のお薬は飲まれていますか」
「いや、健康体。それだけが取り柄だから」
横田は力こぶを作るように腕を曲げて見せた。
「だとすると、事件のせいで興奮されているのかもしれませんね」
「お姉ちゃんに診てもらったせいかもね」
再び横田が笑った。私達は乾いた笑い声で返事をした。
「それでは、お話を聞かせて下さい」
石島が聞き込みを始める。横田がようやく真顔に戻った。
「三次元測定機の調子が悪かったんで、俺は安全柵の中で保守作業をしてたんだけど、急にロボットが動き出して、襲い掛かってきたんだ」
周りの反応を見て、横田は続けた。
「小川がロボットを止めてくれたから助かったけど、危ないところだったよ。ほら、最近工場の事故が多いだろ。俺も同じ目に遭うと思って死を覚悟したよ」
「ご無事でよかったです。どんな風に襲われたんですか」
「突然のことで、よく覚えていないんだ。立ち上がったら、ヘルメットが吹っ飛んでた。さらに横から殴られて、ようやく相手がロボットだと気づいたよ」
殴られた場所を示すように、横田は頭の傷の周りを手で押さえた。
「倒れこんだ俺を掴もうと、ロボットは腕を伸ばしてきた。その最中、小川が非常停止をかけて止めてくれたんだ」
「それは危機一髪でしたね。横田さんは当時鍵をお持ちだったと聞きましたが、作業中、安全柵は開いていたんですか」
「うん、開いてたよ。あのロボットは、安全柵が開いていたにも関わらず、襲い掛かってきたんだ」
横田は語気を荒くした。私はロボットの安全性について反論したい気持ちを抑え、平常を装って問いを投げかけた。
「参考人の中川です。お聞きしたいのですが、三次元測定機の保守は、どんなことをするんですか」
「大したことはしないけどね。テーブルの掃除とか、機械のレベル出しかな」
床が完全に平らであることはまず無いので、機械を設置する際は、足の長さを調節してテーブルが水平になるようにするレベル出しという作業が必要である。測定機は特に精度が重要なので、定期的にレベル出しをするのが望ましい。第二工場の三次元測定機は、工具と構造から判断すると、テーブルの上に水準器を置き、それぞれの足のナットを締めて高さを変えて調整していたようだった。
「もう一点、ロボットには、計測とはまったく異なるプログラムが選択されていました。ご存知でしたか」
「いや、知らないけど」
横田は首を振っていた。態度に変化は無く、嘘をついているようには見えなかったので、私は自分の考えが正しいのか不安になっていた。
生駒の顔を見ると、促すように頷いていた。石島は手帳を掲げて聞くことに徹していた。私は覚悟を決めて切り込んだ。
「プログラムは、人の頭の高さにフルスイングするように作られていました。その動作を行うと、丁度現場のロボットの姿勢になります。ロボットはあなたに襲い掛かっていません。プログラム通りに動いただけなんです」
横田の表情が一転して、歯をむき出しにして攻撃的な顔に変わる。
「違う。小川だって、俺が襲われるところを見たって言っただろう」
「小川さんは、横田さんが襲われたところを見ていません。小川さんの作業場からは、隣の計測システムは見えないんです」
私は辿り着いた仮説の披露を始めた。
「あなたは安全柵の中からドアを閉じました。安全柵の網は目が粗いので、手を出して外側の穴に鍵をかけることができました。その後、殴られる予定の位置に立ちました。そして、あらかじめ作っておいたプログラムを選択すると、ロボットを運転させたんです」
当然ロボットはプログラム通りに動き、人の頭の高さで止まる。
「怪我をしたあなたは、安全柵のドアを開けて内側から鍵をかけると、悲鳴を上げて地面に倒れこみました。小川さんがかけつけた時、既にロボットは停止していましたが、横田さんの演技によって襲われていると思い込んで、彼は非常停止ボタンを押したんです。その後もあなたは、介抱してもらっているときに襲われたことを小川さんに繰り返し話して、記憶に刷り込んだのでしょう」
「ほう。ということは」
石島が驚いた様子で横田の顔を覗き込む。
「今回の事件は、ロボットの暴走ではありません。横田さんの自作自演なんです」
私は言葉を止めた。診察室は静かになった。窓の向こうをトラックが走り去り、ベッドの脇に置かれている戸棚が揺れた。
やがて横田が口を開いた。人を馬鹿にするように口角を吊り上げていた。
「思い出した。あんた、テレビでインタビューを受けていたジャードの技術者だろう」
「はい。ですが、それは今回の件と関係ありません」
「いや、あるね。あんたは、ロボットの暴走を隠して、俺個人に責任を押し付けるつもりなんだろう。俺は怪我をしてるんだぞ。何の得があって、そんなことをする必要があるんだ」
横田は分からないだろうとでも言いたげに、威圧的な態度を見せていた。しかし小川からの聞き込みで、動機についても見当は付いている。
「検査場の自動化で、だいぶ作業員が減らされたと聞きました。先の事件を模倣し、ロボットが危険なことを知らしめて、自動化を阻止しようとしたんじゃないですか」
横田が唾を飲み、喉が上下に動く。図星を突いていることは明白だった。
「そこまで言うなら、証拠はあるのか。俺がやったという証拠は!」
言葉を詰まらせながら、横田は叫んだ。
彼が犯人であることは間違いないと思うのだが、これだけ指摘を繰り返しても、横田は決して首を縦に振らない。既に現場で得た証拠は尽きつつあるが、私は彼に認めさせることができるのだろうか。
「あるよ」
生駒が声を上げ、私の横に並んだ。今だけは頼りがいを感じた。
「さっき見せてもらった頭の傷、ロボットにつけられたものじゃないよね」
そう言って、横田の側頭部を指差す。
「あんたの傷は、皮膚の下に血が溜まる皮下血腫。そこそこの血が溜まっているから、結構な外力を受けたんだと思う。でも、表面が金属でできたロボットが同じ力で当たっていたとすれば、出血を伴う挫創になっているはずなの」
「そんなの――」
弁明しようとする横田を遮り、生駒は説明を続ける。
「日頃ロボットの速さを知っているあんたは、いざプログラムを動かす段階になって怖くなった。だから、自分の頭を、タオルで包んだ工具で叩いたの」
「な、なら、その工具とやらを持って来い!」
横田が赤い顔で叫ぶ。
「ありますよ。多分」
私が答えると、横田はぎょっとした顔で振り向いた。
「現場に残されていた工具箱の中には、本来入っていなければならないものがありませんでした。レベル出しの作業に必要な、レンチです。小川さんは優しい方ですね。診療所の方が来るまで、ずっと横田さんの傍に付いていてくれたと聞いています。裏を返せば、レンチを手放す機会が無かったのではないでしょうか」
私が説明し終えるや否や、石島が横田の前に立った。
「失礼ですが、身体検査をさせて下さい」
横田は固く口を結んでいたが、やがてがっくりと肩の力を抜いてうな垂れた。
「いや、その必要はないよ。そこの棚の中に入ってる」
石島は指差された診察室の棚を開けた。中にはマスクや包帯等の備品に混じって、タオルで包まれたレンチが収められていた。
「あんたの言う通りだよ。俺は自分のできる仕事がどんどん無くなっていくことが怖かったんだ。次は加工工場に行くことになったけど、どうせ結局そこも自動化されて追い出されることになるんだから」
諦めた顔をしている横田は、急に老けたように見えた。
「自動化を進める連中は、単純な仕事をロボットに任せて、人間はクリエイティブな仕事をすればいいというのが言い分だけど、俺のように不器用な人間も大勢いる。体よく人件費を削っていやがるんだろう。全く、くそったれな世の中だ」
横田は捨て台詞を吐いて、頭を垂れた。私は黙っていることができずに、猫背に向かって語りかけた。
「確かに会社にとっては、人件費を削りたいという考えもあると思います。ただ、このところ景気は悪くなる一方で、会社も苦しんでいるんです。自分のできることを見つけて支えていこうとする気持ちが必要なんじゃないでしょうか」
横田が顔を上げる。しかし何も答えずに再び背中を曲げた。
診察室には石島が残り、私と生駒は外に出た。
「どれくらいの罪になるんですか」
「自傷だからね。生産を停止させた威力業務妨害、ロボットをぶつけた器物損壊、といったところかな。ま、多分執行猶予がつくよ。自分のできることを見つけて、やり直せるといいね」
生駒はわざとらしく私の言ったフレーズを強調した。私は顔が熱くなった。
帰りは石島の車に乗せてもらい、ビジネスホテルまで送ってもらえることになった。私は生駒と後部座席に座っていた。
「スピード解決でしたね。いつから気付いていたんですか」
石島がほくほくした顔で後方に質問を投げかける。
「ティーチングペンダントを見たときでしょうか。今までの事件のような、自然さが無かったんです」
二つの事件は、未だに人の手によるものかロボットの暴走かすら分からない、巧妙な状態に戻されていた。しかし今回の事件は、明らかに人の手が加わっていることを感じさせた。
「あたしは現場を見る前から、きな臭いと思ってたけどね。ロボットの腕が丁度人間の頭に当たるなんて偶然が、そう何度も起きるはず無いでしょ」
現場を見る前から分かっていたなんて、解決後だからこそ口にできる、ずいぶんんと調子のいいことを言う。私は石島と一緒に大きな声で笑った。分かりにくい冗談だったようで、生駒も笑った。
「そのことをずっと考えていました」
車内が静かになった後で、私は口を開いた。
「今回の件で確信したんですけど、三島重工と駿河電工の事件で使われたプログラムは、人の作ったものじゃないと思うんです」
「どういうことですか」
運転席から石島が尋ねる。
「いくらロボットや工作機械に精通していても、人間の行動を予測して、ピンポイントで時刻と場所を合わせてロボットを動かすなんて無理なんです。ましてや、三島重工の事件は安全柵の中に入るという、普段と違う行動をしていたときに殺されました」
「では、ロボットの――制御が悪かったということですか」
私に気を使ってか、石島は言葉を選んでくれたようだった。
「どうでしょう。ただ、私は人工知能が関わっているのではないかと考えています」
車内から驚きの声が上がるが、私は説明を続けた。
「二つの事件があった工場では、システムにカメラやセンサが設置されていて、ルシクラージュという、人工知能を使用してロボットの動きを最適化するソフトが使用されていました」
ここまでは二人とも静かに聞いてくれている。
「では、最適化された結果が、殺人に繋がっていたとしたらどうでしょう」
予想通り、二人は首を振らず、生駒にいたっては怪訝な目を向けてきた。
「ルシクラージュは最適化の際に、機械学習という手法を使用しています。ファクトリーネットワークスで教えてもらったように、調整はニューロン同士の繋がりの強度を変えることで行いますが、強度を変えることで、同じ入力データが、まったく違う結果を生み出すんです」
強度を変えることで、例えば無数の画像の中から猫だけを検出する人工知能を、犬だけを検出する人工知能に作りかえることができてしまう。
「システムに設置されたカメラやセンサは、カメラなら映像、センサなら人の触れた負荷や、温度の上昇、振動といった形で、その中で行動している人間の動きを記録します。それらを通してルシクラージュが人間のことを学習し、ロボットの動作の最適化ではなく、最適な殺害時刻と殺し方を導き出していたとしたらどうでしょう。三島重工の加藤さんのように、イレギュラーな動きも含めて殺害計画の中に含まれてしまうんです。ルシクラージュなら、普段動作の最適化を行っているように、ネットワークを経由してロボットのプログラムを書き換えて、殺害した後で元のプログラムに戻すこともできます」
車が赤信号で止まった。
「すみません。大きなことを言いましたけど、全部想像です」
石島が疲れた目を労わるように、目頭を押さえる。生駒は目を細くして前の座席を睨んでいる。
「にわかには、信じがたいですね」
石島がぽつりと呟いた。私達は頷いた。
「まるでターミネーターだね。殺したのが人工知能だったとしたら、裁かれるのはロボットになるのかな」
生駒が誰ともなしに尋ねる。
「ロボットを作った人か、ソフトを作った人か、ロボットシステムを組んだ人か、運用していた人か。今まで事例が無いでしょうから、どんな判決が下るのか、まるで想像がつかないですね」
石島が答えた。
「機械が人殺しをする時代になったら、犯罪心理学なんてそれこそ無意味だね」
生駒が鼻で笑った。信号が青色になり、車が加速を始めた。
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