9. 閑話(前編)
スマホの着信音で目を覚ました。静岡に来てから、目覚まし時計は不要ではないかと思い始めている。
布団をめくって、上体を起こす。昨晩のことがあったので見るのをためらったが、ディスプレイには会社の番号が表示されていた。
私は通話ボタンを押し、もしもしと話しかけた。
「ジャードの東雲です」
電話をかけてきたのは社長だった。挨拶もそこそこに、彼は本題を切り出した。
「また事件です」
頭が真っ白になった。三島重工に、駿河電工、既に一週間の間に凄惨な事件が二件も発生している。社長の言っているのが新しい事件だとすると、これで三件目ということになる。
「またですか。今週で三件目ですよ」
電話の向こうが社長であることを知りながら、今回ばかりは苛立ちを隠せなかった。
「どうやら今までと様子は違うようですが、念のため現場に向かって下さい。場所は、愛鷹テクニカの富士工場です」
分かりましたと答えると、電話は切れた。
解決できないまま、次々に事件が起きる。私が石島や生駒の信頼に応えて、しっかり参考人をできていれば、立て続けに事件が起きることはなく、ここまで長引くことは無かったのではないだろうか。憂鬱な気持ちになる。
とはいえ、社長も会社に残っている社員達も、不安を抱えながら仕事をしているはずだ。私も自分の仕事をきっちりこなそうと思った。
三島駅のホームで電車を待つ。土曜日の朝ということもあり、駅は旅行支度をした人達で混雑していた。こんなに人がいても、殺人現場に向かおうとしているのは私くらいのものだろう。
「ナカさんじゃん」
声の聞こえた方向を見る。人ごみにもまれ、ドラムバックを周りにぶつけながら生駒が歩いてきた。訂正、殺人現場に向かう人間は私以外にもいた。
「イコさんがいるってことは、やっぱり事件があったんですね」
「愛鷹テクニカのこと? まだマスコミも知らないはずだけど、情報が早いね」
電車が来たので乗り込む。席は埋まっていたので、ドアの傍に並んで立った。
「今回は、どんな事件だったんですか」
同じ過ちを繰り返さないように、今回は時間に余裕を持って尋ねた。
「分かんない」
生駒が首を振ったので、私は騙されているのではないかと疑い、よくよく顔を見た。
「いつもみたいに県警から正式に呼ばれたわけじゃなくて、イシさんから電話をもらって向かってるところなの。だから今回はほんとに、あたしも状況が分からないんだ」
彼女も知らない現場と聞き、私の不安は質問前よりも増していた。
富士駅で身延線に乗り換えて内陸に向かう。入山瀬駅から十分ほど歩いたところに、愛鷹テクニカの富士工場はあった。色合いの統一された低階層の施設は、落ち着いた景観の住宅に溶け込んでいた。
生駒についていき、まずは工場の受付に向かう。彼女が身分証明を見せながら説明をすると、工場内で立ち上げ作業を行う業者と同じように、数字の書かれたバッジを渡された。社内にいる間は、これを付けろということらしい。受付をしている間、私達の後ろでは普通に従業員が出社しており、事件が本当にあったのか疑わしく思った。
「事件があったのは、第二工場ですね。突き当たりを右に行ったところにある建物です」
受付の人から建物の場所の説明を受け、礼を言った。不思議そうに視線を投げかける従業員と一緒に敷地内に入る。
平屋の建物が立ち並んでいて広いので、車がないと移動が大変そうだと思った。教えてもらった通り、右に曲がると壁面に第二工場と書かれた建物があった。屋根や扉は錆びていて、年季の入っていそうな工場だった。入れ違いに出るところだった従業員に扉を開けてもらい、工場の中に入る。
天井が低く、鉄骨の骨組みの向こうに、トタン屋根が見えた。壁の高い位置に日光を取り込むための窓が設けられており、電灯の数は少ないがそれなりに明るい。緑色の床には、機械を固定していたアンカーボルトの穴の跡が目立つ。
旋盤で加工する金属音が聞こえており、今も従業員が作業をしているようだった。切削液のミストが漂っているようで、若干息のしづらさを感じる。私のよく知るザ・工場と言うべき建物だった。
辺りを見渡すと鑑識の作業着が見えたので、そちらの方に向かった。立入禁止のテープは張られていたが、前の事件の現場に比べて、警官の数は少なかった。
生駒はドラムバッグに手を差し込み、手袋とデジカメを取り出して、鑑識を始めようとしていた。てっきりゴミ袋が差し出されると思っていたので、私は拍子抜けしてしまった。
「いつものグッドラックは?」
振り向いた生駒の顔は、眉間に皺が寄り、機嫌が悪そうだった。
「グッドラック」
投げやりに突き立てられた、親指の先を見る。
そこは、加工したワークの精度を計測する工程の作業場だった。壁を除いた三面に、コの字に安全柵が配置されていた。フレームと網はまだ艶が残る銀色の金属製で、目は針金が直交した角型なので粗い。壁にはシャッターとコンベアが設けられており、隣の部屋からワークが運ばれてくるようだった。
開いていた安全柵のドアを通り、中へと足を踏み入れる。
安全柵の中には、二本の柱と水平のレールから構成された、大きなブリッジ型の三次元測定機が置かれていた。レールにはモーターで駆動するプローブがついており、テーブルの上に置かれたワークをプローブで触れて、目標とする形状からの誤差を計測することができる。
三次元測定機の隣には、可搬重量五百キログラムの比較的大型の産業用ロボット、ガイアが置かれていた。コンベアの上に置かれているプラント設備用の圧力容器を、三次元測定機のテーブル上に取り付けていたようだ。計測が終わったら、再びコンベアの上に戻していたと思われる。
圧力容器は、組み付けた際に密閉する必要があり、極めて高い精度が必要である。誤差が規定値よりも小さければ組立作業に移り、大きければ再加工や廃棄を行っているのだろう。
「あれ」
思わず声を漏らして、安全柵の中をもう一度見渡した。飛び散った血も無ければ、ロボットのハンドやテーブルの上に死体もない。システムが非常停止状態で止まっていることを除けば、いたって正常だった。
「ご遺体は?」
「死人はなし、負傷者一名です。そう何度も現場に凄惨な死体があっては、たまったものではないですよ」
私の疑問に答えてくれたのは、いつの間にか背後に立っていた石島だった。
「それならよかったですけど、ここで何があったんですか」
「被害者の横田誠也が安全柵の中に入って三次元測定機の保守作業を行っていたところ、突如ロボットが動き始め、頭を殴打されたそうです。隣の作業者が気づき、非常停止ボタンを押しました」
言われてみれば、ロボットは初期位置ではなく、人の頭の高さにアームを曲げた姿勢で止まっている。三次元測定機の近くには、保守作業用と書かれたシールの貼られた工具箱が置かれており、隣に黄色いヘルメットもあった。
「横田さんは軽く頭を打っていたので、念のため会社の中の診療所で検査を受けています」
「ロボットが動き始めたってことは、安全柵を閉めて作業をしていたんですか」
「いえ、開いていたそうです。この工場では安全柵に鍵がつけられていて、作業をする人は鍵を身につけて中に入ることになっているとか。横田さんが持っていた鍵は、今鑑識が調べているところです」
誤って安全柵を閉じて作業をしていたなら手落ちの可能性が高いが、安全柵を開いた状態でロボットが動いたとすると、悪意が見え隠れする。
「目撃者を待たせています。話を聞こうと思いますが、お二人はどうしますか」
二人と言われたので、不思議に思って振り向くと生駒が立っていた。
「ご一緒させてください」
「あたしも行く。鑑識は済んでるみたいだし」
ティーチングペンダントの清掃が無いからか、珍しく生駒も手を挙げた。
石島に案内してもらい、第二工場に隣接した休憩室へと向かった。喫煙所も兼ねているようで、中はタバコ臭かった。円形の机とパイプ椅子が位置も数もばらばらに置かれており、その一つに長身の男が腰掛けていた。
「お、イケメン」
生駒が呟き、石島から睨まれた。
「静岡県警の石島です。ショックを受けられているかと思いますが、少しお話を聞かせて下さい。彼は参考人の中川、これは科警研の生駒です」
「小川です」
頭を下げた小川は男らしい顔立ちをした、真面目そうな青年だった。長髪は肩まで届いているが不潔感は無い。もし女性雑誌に工場の特集があれば、作業着姿の全身写真が載っていてもおかしくない。
「事件が起きたときのことを教えて下さい」
私達が席に座ると、小川は頷いて事件のことを話し始めた。
「私と横田さんは、測定システムでオペレーターをしています。といっても、自動化されているので大体は見ているだけですが」
小川が苦笑いを浮かべると、口の端から白い歯があらわになった。
「仕事が始まってすぐだったので、八時頃だったと思います。自席でパソコンを見ていたのですが、横田さんの悲鳴が聞こえたので、急いで駆けつけました。そしたら、横田さんがロボットに押し倒されていたので、慌てて非常停止ボタンを押しました」
「ほう。横田さんはどんな様子でしたか」
「地面に倒れて、頭を押さえていました」
小川は当時の真似をして左手で側頭部を押さえた。
「ロボットはどうでしたか。どんなふうに動いていたか分かりますか」
すかさず私も質問を挟む。
「ロボットは、どうでしょう。横田さんしか見ていなかったので……」
小川はなぜか首を傾げた。ロボットの様子が分からないのに、彼はどうしてロボットに押し倒されていると思ったのだろうか。あるいは小川も同じ疑問を抱いていたのかもしれない。
「その後は、どうされましたか」
石島が質問を再開する。
「私は横田さんのところに駆けつけて、すぐに携帯電話で診療所に電話をしました。スタッフが駆けつけるまで、ずっと傍で介抱していました」
「スタッフが来るまで、どれくらい時間がかかりましたか」
「五分か十分くらいだと思います」
小川が少し考えてから答える。
「小川さんが駆けつけたとき、安全柵のドアは開いていましたか」
「開いていたはずです」
半開きになっていたドアを開け、横田の傍に駆け寄ったとのことだった。
「私からは以上です。お二人からは何かありますか?」
石島が私達の方を振り向いた。
「システムが自動化されたのは最近ですか」
生駒は口を結んで聞くつもりが無いようだったので、私から尋ねた。最近だと思ったのには理由がある。今回のような全自動化されているシステムには、本来オペレーターは必要ないはずである。おそらく自動化されたのが最近なので、動作確認を兼ねて配置しているのではないだろうか。
「はい、つい三ヶ月くらい前です。それまで六人いたオペレーターも、二人に減りました。あと三ヶ月したら、オペレーター自体必要なくなると聞きました」
思った通りだった。一日一回の保守作業と、障害発生時の復旧作業さえすれば、誰も見ていなくても一日中運転することができる。
「オペレーターを辞めた、その後のことは決まっているんですか」
「私は工場資材の発注業務をする予定です。横田さんは加工工場のオペレーターをすると話していました」
私は石島に質問が終わったことを伝えた。
「お聞きするのは以上です。ありがとうございました」
「横田さんの容態はどうなんでしょう」
頭を下げた石島に対して、小川が聞きにくそうに尋ねた。
「軽く頭を打っているだけで、軽傷だと聞いていますよ」
返答を聞いてほっと息を漏らしたのを見届け、私達は休憩室を後にした。
第二工場に戻った私達は、小川が作業をしていた計測システムを調べていた。事件があったシステムと隣り合っており、まったく同じ構成になっていた。
「ナカさんって、そこそこ背が高いよね。ここに座ってみて」
生駒に促されて、小川が座っていたと思われる椅子に腰掛ける。机の上に置かれたモニタには、圧力容器が立体的に表示されたCADデータと、各計測点での誤差が表示されている。小川が証言していた自席のパソコンは、これのことらしい。卓上カレンダーには生産予定や達成状況が几帳面な字で書き込まれている。
「そこから隣のシステムは見える?」
隣のシステムがあるはずの方向を見る。建物の柱や三次元測定機によって視界が遮られており、安全柵の中の様子は確認できなかった。
「機械が邪魔で、横田さんのところは見えないですね」
生駒は顎を指で撫でながら、やっぱりと言った。
「じゃあ、実際に横田さんがロボットに襲われているところは、見てないんだね」
小川がロボットの様子を知らなかったのも当然だ、駆けつけるまで見えていなかったのだから。
鑑識官と話をしていた石島が、こちらを振り向いた。
「鑑識は終わっていますので、ティーチングペンダントを触れますよ」
私は分かりましたと答えて、横田が作業していた計測システムの前に向かった。念のため石島から手袋と足カバーを借りてはめ、後ろから撮影されていることを横目で見て、ティーチングペンダントを手に取る。
まずプログラムを確認する。行数が少なく、移動する指令しか無く、明らかにシステムで使用されているものではなかった。システムで使用しているプログラムなら、ハンドの開閉や、ワークを設置する位置の補正を行っているはずである。プログラム中に実数で記載された座標を現実の空間に置き換えて、頭の中で経路を辿る。
「人の頭の高さに、フルスイングするように作られていますね」
腕をロボットに見立て、ジェスチャーをしながら説明した。二人の合点がいっていないようだったので、実際に動かしてみようと思った。
「動かしてみてもいいですか。安全柵の鍵はありますか」
「鑑識は終わったそうですので、ご自由にお使い下さい」
石島の手から鍵を受け取った。側面の形が歪になった、普通のシリンダー錠用の鍵だ。
「危ないので、安全柵の外に出て下さい」
石島と生駒を誘導し、私もティーチングペンダントを持ったまま外に出た。
ティーチングペンダント上にある非常停止ボタンはネジのような構造になっていて、一度押すと押されっぱなしになる。時計方向に回して解除した。
安全柵の内側に取り付けられていた南京錠を借りた鍵で外し、ドアを閉じる。内側と外側に鍵をかける穴が開いており、内側に南京錠を取り付けるとドアが閉まらなくなり、外側に取り付けるとドアを閉じた状態で固定できるようになっていた。さらに、どちらにも鍵をかけておかないと、ドアが勝手に開いてしまう。外側の穴に南京錠を移し、再度鍵をかけた。
ロボットの非常停止状態が解除され、柵の上に設置された赤色のランプが消灯した。
「安全柵が壊れているということもなさそうですね」
安全柵の中に誰も入っていないことを確認し、システムを起動するボタンを押してロボットを動かしてみる。ギュウンとモーターの音を鳴らして、プログラムの通り、人の頭の位置に最高スピードで旋回した。短時間で移動と停止を繰り返したので、抑えきれなかった衝撃でアームが揺れている。安全柵越しに見ていた石島や生駒、鑑識官達の間から驚きの声が上がった。
「こいつに当たって軽傷で済んだのは、ラッキーでしたね」
石島が呟いた。私も同意見だった。
暴走はしないと信じているが、念のためロボットの非常停止ボタンを押しておき、ドアを開いて再び安全柵の中に入った。
三次元測定機の周りを歩き、構造を確認する。自動化された三ヶ月前に新調したのか、表面は綺麗で新しいもののようだ。地面に伏せて、機械の下を覗き込んだ。地面に接する足が四本あり、それぞれの高さを調整できるようになっている。
青く塗装された金属製の工具箱の中を見る。保守に使用するドライバーと六角レンチ、水準器、オイルストーンが入っていた。
工具箱の横にはヘルメットが置かれている。落とした時にできるような小さな擦り傷はいくつかあるが、ロボットがぶつかったような跡は無かった。
これまで見たり聞いた事件の様子から、私の頭にはある仮説が浮かんでいた。立ちあがって二人の方を振り向いた。
「横田さんとお話できますか。できるだけ早い方がいいです」
「今は診療所にいるので難しいです。落ち着いてからでは駄目ですか」
石島は渋り、首を縦に振らなかった。彼の言うことも最もなのだが、時間が開くほど証拠を消されてしまう可能性が高くなる。かといって確証は無いので強く言い出すこともできず、もどかしい気持ちになった。
「あたしからもお願いするよ」
予想外にも、生駒が私の肩を持った。石島も驚いたようだった。
「多分、あたし達は同じことを考えてる。サポートはしてあげるから、やってみな」
文字通り彼女に背中を押され、私はよろめいた。
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