2. 参考人
生駒が出て行ったのをよくよく見届けてから、石島が話し始めた。
「ロボット同士がぶつからないようにしているとは、どういうことなんです」
「ロボットはいくつかのモーターとアームから構成されていて、構造の許す限りほぼ全方向に動くことができます。ですけど、誤った操作を行うと接触する危険があるので、多くのお客さんでは干渉防止機能というものを使って、稼動する範囲を制限しているんです。例えば、第一軸と呼ばれるロボットの土台は三百六十度の可動範囲を持ちますが、干渉防止機能で百八十度しか動かないように制限すれば、後ろを向くことはできなくなります」
ペンをロボットに見立てて説明を試みた。
「その干渉防止機能が無効にされていた可能性があるんですね。事件発生時にどうなっていたか、調べることはできますか」
「ロボットのティーチングペンダントを触らせてもらえれば、ある程度は分かると思います。ペンダントというのは、ディスプレイが付いた操作盤のことなんですけど」
予想に反して、石島は首をすぐ縦に振らなかった。その理由が、血と肉のこびりついた現場であることに思い当たり、私は自分の発言を後悔した。
「いや、警察以外の人間が触るとなるといろいろ手続きもあると思いますし、難しければ結構です」
「任せてください。そこはなんとかしましょう」
石島は立ち上がると、厚い胸板を叩いた。私は愛想笑いを浮かべ、内心凄惨な現場を訪ねることを思い不安と戦っていた。
「ロボットの鑑識は終わったか」
ドアを開けるや否や、大きな声で現場の警官達に指示を出し始めた。一時間はかかると、作業着姿の鑑識官から、か細い声が上がる。
「三十分で終わらせろ。そこで暇そうにしている女も使っていい。それから、参考人に操作盤を確認してもらうから、血をふき取っておいてくれ」
石島の一声で、警官や鑑識官が慌てて移動を開始した。こうなっては私も腹をくくるしかない。
「石島さん、被害者の同僚の方々が集まりました。それから、目撃者にも警備室で待ってもらっています」
駆け寄ってきた警官が、状況を伝えた。
「分かった、先に聞き込みをしてくる。中川さんも同席して頂いてよろしいですか」
事件の情報を集めるには、またとない機会である。私は頷いて席を立った。
階段を上がり、私達は工場の二階へと向かった。そこは吹き抜けになっており、壁沿いに廊下がコの字に設けられ、内側は簡素な柵を通して工場内が見渡せる構造になっていた。一階が高いので、民家と比べるなら三階の高さに相当するだろうか、天井クレーンを見下ろしている。
大きな自動倉庫は、工場を横断するように中央に置かれている。黒い金網で囲まれた側面から中を見ると、荷物を出し入れするリフトの両側に棚板があり、かなりの数の資材を格納できるようだった。パレットに並べられた未加工の同じ形状のワークがずらりと並んでいるのは壮観である。
ワークはいくつかの工程を経て部品に仕上げられるが、自動倉庫に近い側に加工システム、離れた側に組立システムが設置されており、下流に向かうにつれて製品の形に近づいていく。組立システム側の壁に設けられた大きなシャッターから、おそらくトラックが積み出しを行うのだろう。
自動倉庫に隣接した位置に、事件のあった作業場があるはずだが、いつの間にか現場にはブルーシートが張られ、二階から中の様子を伺うことはできなかった。
到着したのは小さな会議室だった。休憩室よりも高級感がある造りになっており、中央に低い机と茶色の革のソファーが置かれている。壁際にほとんど物はない。
二人がけのソファーには、作業着に身を包んだ、年齢は高めに見える男女が、腰掛けていた。緊張した様子で、私達の身なりを見ていた。
「お時間を頂きまして、誠にありがとうございます。静岡県警の石島と、彼は参考人の中川です」
石島は慣れた様子で、てきぱきと二人に名刺を配る。彼らが物珍しそうに眺めている間に、私達は向かい側のソファーに腰を下ろした。
「この度は、身近な人の不幸で驚かれているかと思いますが、ご協力をお願いします」
二人が頷く。石島がスーツのポケットからメモ用の手帳とペンを取り出した。
「まず、お名前を教えてください」
「木村です」
まず、男が名前を答えた。緩めの作業着の上からでも分かるくらい、下腹が突き出して中年らしい体型をしている。常に口元に笑みをたたえており、親しみやすそうな印象を受ける。
「渡辺です」
続いて、しばらく間をおいて誰も喋らないのを確認してから女が答えた。背筋の伸びたたたずまいのせいか、作業着姿にもかかわらず、上品そうな印象を受ける。同僚の死にショックを受けていたのであろう、目元の化粧が崩れていた。
「被害者の加藤さんは、どんな方でしたか」
深く沈むソファーだったこともあり、私の位置からは石島の手元がよく見える。二人から目を離さずに、手帳に名前や特徴をメモしながら尋ねていた。木村の「フレンドリー」と渡辺の「慎重」は、私の第一印象とも一致している。
「まじめでよく働くヤツだったよ。契約社員とは思えないくらい、工場のことに詳しかった」
木村が答えると、渡辺も同意するように何度も頷いた。
「そうですか。まじめが過ぎて、夜中に工場に入り込んで作業を行うようなことは?」
「分からないけど、そこまではしていなかったんじゃないかな」
突然出てきた具体的な例に対して驚いたのかもしれない。頭を掻きながら答えていた。
「彼が事件に巻き込まれたことに、心当たりはありますか」
「いや、突然のことでびっくりしてる」
「私もです。人の恨みを買うような人ではなかったから」
石島は回答に対して深追いをせず、次々に質問を繰り返していた。まだ事故か殺人かも分かっていないが、両方を視野に入れた聞き込みを行っているようだった。
「皆さんは、同じ作業を行っているんですか」
「そうだよ、荒加工のオペレーターを交代でね。倉庫を動かしたり、加工の確認をするくらいの簡単な作業だけど」
「荒加工というのは、どのような加工のことをを指すのでしょう」
石島の視線が二人を通過して、私の方に向いた。用語の意味まで聞くのは避けたいのだろう。
「一般的に金属加工では、高速で削ると表面は粗くなり、低速で削ると綺麗になります。なので、効率的に加工するために、荒加工と呼ばれる工程でだいたいの形を削り出してから、仕上加工と呼ばれる工程で綺麗にするんです」
代わりに答えると、同僚の二人が頷いた。
「なるほど。それで同じような機械がいくつも並んでいるんですね」
「だよね。俺も未だに区別がつかないんだよ」
木村がおちゃらけると、場が明るくなった。それまでは聞き込みの雰囲気にのまれて喋れていなかったようで、渡辺が自ら口を開いた。
「加藤さんは、事故に遭われたのですか、それとも誰かに殺されたのでしょうか」
「まだ調べている最中です。ただ、加藤さんの遺体は、安全柵の中で見つかりました。安全柵の中で作業を行うのは保守作業者だけだと聞いていますが、加藤さんは普段から中に入るようなことをしていたんですか?」
木村と渡辺は顔を見合わせた。思い当たる節があるようだった。
「あのう、ここでの話は、リーダーや工場長にも報告されるんでしょうか」
「ご安心ください。守秘義務に誓って、この場でお聞きしたことは、捜査以外の目的で話しません」
渡辺は石島の言葉に安心したようで、大きく深呼吸をしてから話を始めた。
「それならお話しますけど、事件のあったシステムは、ワークの着座アラームがよく出ていたんです」
「ワークノチャクザアラームですか」
石島が妙なイントネーションでオウム返しをしながら、こちらを振り向いた。
「ロボットがワークを取り付ける時、原因はいろいろありますけど、稀にきっちりはまらないことがあるんです。このまま加工を行うと加工不良や工具が折れる原因になるので、治具にスイッチを付けておいて、はまっていないことを検出したら、アラームという警告を出して工作機械を止めるようにしているんです」
間違っていなかったようで、渡辺が大きく頷いた。
「ルールではリーダーに報告しないといけないのですが、リーダーが忙しいときはこっそり加藤さんが中に入って、ワークを付け直していました」
「そうでしたか。加藤さんが安全柵の中にいても、不思議は無いということですね」
有力な情報が得られた。手帳に書き込む石島の目が、鋭く光ったように見えた。
「お二人は、昨晩はいつ頃お帰りになりましたか」
「早々に目標数を達成できたので、定時の五時に帰りました」
この工場では生産が計画通りに進んでおり、毎日目標数を設定して、その数だけ部品を作っていたようだ。納期に追われていたら、自動化されたシステムを活用して一日中動かしているはずである。月初めであることも関係しているかもしれない。
「俺、加藤さんと一緒に駅まで帰ったよ」
木村が思い出したように発言すると、皆が振り向いた。終業から事件までの間の行動が分かるかもしれないと、期待が高まる。
「加藤さんは一度帰ったんですね。駅での行動を詳しくお聞きしてよろしいですか」
木村は眉間にしわを寄せて俯いた。
「まさか、こんなことになると思ってなかったから、あんまり意識してなかったんだけど。いつも通り電車に乗って、いつも通り俺が途中で降りて別れたけど」
「いえ、大変貴重な情報です」
石島の手帳には、聞いた加藤の行動と共に防犯カメラの文字が書き込まれた。電車を使用していれば、必ず改札の防犯カメラに姿が映っているはずである。木村と別れた後の行動を追うことができる。
「別れた際、加藤さんの様子はどうでしたか」
「普通だったな。着座アラームの件を一向に直してくれないって、愚痴を言っていたけど、いつものことだし」
「分かりました。その後、お二人はどう過ごされましたか」
石島は話の流れで自然に聞いたが、昨今の推理ドラマを見たことのある世代なら、アリバイを聞かれているのは誰にでも分かる。二人の背筋が伸びた。
「俺は母ちゃんの作った飯を食べて、子供とテレビを見て、十時には寝たよ」
「私は車で通勤していますので、二人と別れた後はスーパーに寄ってから帰りました。少し頭が痛かったので、家事を済ませてからすぐに横になりました。夫に聞いてもらえれば、確認頂けると思います」
「大変参考になりました、ありがとうございました」
石島が手帳を閉じて、頭を下げた。
「俺達、このまま帰っていいのかな」
木村が頭を掻きながら尋ねる。仕事場がブルーシートで覆われているので、できる作業がないのだろう。周囲に付着した血の清掃はもちろんのこと、大きな衝撃を受けたロボットの調整も必要になるはずだ。あの様子では、今日中に作業を開始するのは難しいと思う。
「すみませんが、工場の代表者に従って頂くことになると思います」
「そうだよね、ども」
今後の方針について話し始めた二人を置いて、私達は会議室を後にした。腕時計を確認すると、話していた時間はほんの十数分だった。石島の聞き込みは、ずいぶんあっさりしていた。
建物を一旦出て、工場内の道路を歩いて次の聞き込みに向かう。警備室は受付に隣接していた。閉ざされた鉄の柵の向こうには、カメラやマイクを構えたマスコミがひしめいており、工場を背景にして中継を行っているようだった。
なるべく彼らの目に入らないように、遠回りをして警備室の入り口へと向かった。
「失礼します」
ノックしてドアを開けた石島に続いて中に入る。壁には警備室らしく、懐中電灯や警棒がぶら下がっていたり、監視カメラのモニタが三台並んでいた。奥は一段高い仮眠スペースになっていて、畳が敷かれている。その隅には、ビールの缶やウィスキーの瓶が並べられている。
部屋の中央には簡素な机とパイプ椅子が置かれており、男が疲れた様子で腰掛けていた。ノックの音には気づいていなかったのか、私達の姿を見て、慌てて腰を上げようとした。
「掛けたままで結構です。体調は大丈夫ですか、お話を聞くことはできますか」
「えぇ、大丈夫です」
男が伸ばしかけていた膝を曲げて、腰を下ろす。パイプ椅子がぎしっと音を立てた。
「静岡県警の石島と、彼は参考人の中川です」
警備室には椅子が一つしか無かったので、私達は立ったままで話を始めた。
「ご苦労様です。警備室の鎌田です」
鎌田の顔は長い白い眉毛が特徴的だった。細い首には筋が浮き出ており、高齢のように見える。
「遺体発見時のことですが、見回り中に発見されたそうですね。詳しく前後の状況をお聞きできますか」
「はい。警備員は毎朝七時に見回りをすることになっています。今日もいつものように、警備室を出て、まず近くの第一工場に向かいました。中に入ったところ、アラーム音が聞こえておりましたので、一応機械の状態を確認しようと思って近づきました」
記憶が蘇っているのだろう、鎌田の目が見開かれる。膝がぷるぷると震え始めた。
「そしたら、あんな恐ろしい……」
「現場を見てしまったというわけですね」
現場の様子を深く聞くのは酷というものだろう。石島は意識の方向を変えさせるために、質問を変えた。
「ご自身で機械を確認されたそうですが、アラーム音が聞こえるというのは、よくあることなんですか」
「滅多にありません。ただ工場の方が、音が鳴っていたら教えてほしいと言っておりましたので」
「なるほど。見回りを始めてから遺体を見つけるまで、どれくらいの時間がかかりましたか」
「すぐです。真っ先に向かったので、ほんの数分ではないでしょうか」
答えのとおり、先程歩いた感覚だと、警備室から現場まで最短距離で歩けば二分もあれば到着できると思う。
「鎌田さんが通報をされたのは、七時五分と伺っていますので、遺体を見つけた直後に連絡を下さったということですね」
石島が手帳の違うページを見ながら尋ねる。
「はぁ。以前も通報したことがありますし、あまり抵抗はありませんでしたから」
「それは、ここの警備員として働いているときですか」
「はい。敷地内で不審者を見つけましてね。もう一年近く前のことですよ」
一年も前の話なら、今回の件とは関係ないだろう。石島も詳しくは聞かなかった。
「現場近くの吐瀉物は、鎌田さんのものですね」
「お恥ずかしながら、警備室で食べたばかりのおにぎりを戻してしまいました」
「お気になさらないで下さい、よくあることです」
同情する素振りを見せながら、手帳には朝食がおにぎりであることをを付け足している。現場の吐瀉物と照らし合わせるのだろう。
「吐瀉物は安全柵の内側にありました。中に入りましたね」
「はい。胸騒ぎがして、空いていたドアを通って中の様子を見に行きました」
「では鎌田さんが来たとき、安全柵は開いていたんですね」
「開いていたと思います」
鎌田は、ショックを受けていたので多分だと付け加えた。
「昨晩は夜勤ですか」
石島の視線の先には、部屋の隅に置かれたゴミ箱があった。中には、空になったコンビニ弁当の容器を覆い隠すように、おにぎりのフィルムが捨てられている。鎌田の朝食はおにぎりだと聞いているので、年齢的に両方を食べていたとは考えづらく、昨晩この建物でコンビニ弁当を食べていた可能性が高い。
「はい。訪問者がいたら受付に向かったり、この部屋で監視カメラを見たりしていました」
指差された三台のモニタには、工場の敷地内の様子がそれぞれ一ヶ所ずつ映っている。大勢のマスコミが映り込んだ受付。敷地内のどこにあるかは分からないが管理施設の前の道路。第一工場へと繋がる道路。映像は切り替わらず、ずっと同じ場所が表示されている。
「ひょっとして、監視カメラは三ヶ所だけですか」
私は思わず訪ねた。
「大きな会社でもないですから。それにほら、盗めるようなものも無いでしょう」
鎌田は自虐するように苦笑いを浮かべた。
「昨晩、不審者は映っていませんでしたか」
「いや、誰も見ていないですね」
「ありがとうございました。後で監視カメラの記録を見せてもらうかもしれません」
再び立ち上がろうとする鎌田を制して、私達は警備室を後にした。
私は有益な情報を得られたように感じていたが、石島は難しい顔をしていた。
「どうされたんですか」
「言い方が悪くなってしまいますが、鎌田さんの証言は、あまり参考にしないことにしているんです」
石島が小声で聞かせてくれた。
「実は、既に吐瀉物の鑑識は済んでいるんですが、ほとんど消化されていない米に加えて、アルコールの検出がありました」
「そういえば、警備室の中に酒が置かれてましたね」
「えぇ。夜はあれを飲みながら過ごしているのでしょう。被害者が工場に入る所も見ていないようですし、仕事をしていたのか怪しいものです。幸い監視カメラの映像は記録されているようでしたので、改めてうちの人間に確認させます」
私達は第一工場に戻ってきた。石島が近づくと、警官が挨拶を交わしながら、通りやすいようにテープを持ち上げてくれた。生駒のときとはまるで対応が違う。そんなことを考えていたら、現場の前にいた当人がこちらに気づき、おもしろおかしく敬礼をしてみせた。手には赤く染まったタオルが握られている。
「警部補殿、清掃は終わっています。御指示を受けましたので、主にあたしがやりました」
「そうか。ご苦労なことだ、主任研究員」
石島はぽんぽんと彼女の肩を叩き、横を通り過ぎた。
「え、生駒さんって、あの歳で主任研究員なんですか」
「はい。なんでも博士号を持っていて、研究所を掛け持ちしているとか。やっぱり普通の人間じゃないんだなと私は納得しましたが」
石島が眉間にしわを寄せ、苦々しい顔をして笑った。
再び大きく脈打ち始めた心臓の音を聴きながら、ブルーシートをくぐって現場に入る。ロボットの間にぶら下がっていた遺体はいなくなっていて、二台の血まみれのロボットだけが残されていた。代わりに厚みのある鈍い銀色の袋が地面に横たわっていた。
「検視の結果は出たか」
石島が、遺体の近くにいた検視官に声をかける。
「自動倉庫の稼動履歴から割り出した死亡時刻は、間違いなさそう。直腸温と死後硬直の状態から推定した死亡時刻と一致したよ」
検視官が声を発する前に、クリップボード上の紙をめくりながら、生駒が答えた。
「血痕の形状から判断して、地面や機械に付着した血は、ロボットに挟まれた頭から飛び散った血だというのは、所轄の鑑識と共通見解。殺害後に血を撒いたという偽装の可能性は低いと思う。死因は解剖してみないとなんとも言えないけど、心臓が動いていないと、ここまで飛び散ることはないだろうから、頭蓋骨骨折じゃないかな。周囲の指紋と足跡は取ったけど、環境が悪いからあてにならないかも。それから、解剖はあたしがやることになったから。場所はこの辺りで手配中」
石島が検視官に視線を送るが、彼は付け加えることは無いとでも言うように、首を振っていた。生駒は人間性はともかくとして、実力はあるようだった。
石島に案内されて、ロボットの操作盤の前に向かった。べったりついていた血や肉片は綺麗に拭き取られていた。
ロボットの操作盤はティーチングペンダントと呼ばれる。縦長い本体は、上半分のディスプレイと下半分のキーボードから構成されており、右端に赤く大きな非常停止のボタンがついている。下部からはケーブルが伸びていて、電気的な制御を行うコントローラを介して、ロボットに接続されている。
「では、お願いします。鑑識写真の一環で後ろから動画を撮影していますが、気になさらないでください」
私は石島から受け取ったゴム手袋をはめた。肌触りの良い素材のもののようだが、指先から染み出した汗で肌に張り付いた。
「そう言われると、少し緊張しますね。何に使う動画なんですか?」
「証拠資料だよ。実は中川さんが共犯者で、決定的な証拠を消されたりすると困るじゃない」
軽い気持ちで質問したが、生駒から返ってきたのは気の滅入る回答だった。深くは聞き返さずに、作業を始めることにした。石島に怒られたのか、後ろで生駒の小さな悲鳴が上がった。
真っ暗な画面が表示されているティーチングペンダントを手に取る。キーを押すとスクリーンセーバーが解除され、ディスプレイにロボットの状態が表示された。電源は入っている。いくつかのアラームで停止していたようだった。操作してアラームの履歴画面を表示する。
「モーターが過大な負荷を検知して、アラームを発生したことで停止したようです。ぶつかったときの衝撃で止まったんじゃないでしょうか。発生したのは、二十三時七分ですね」
「死亡推定時刻と一致しますね」
石島はティーチングペンダントの画面を覗き込みながらそう言うと、手帳に書き加えた。
その前の時刻のアラームは、業務が終わった十七時頃に発生したものであり、他に事件に関係しそうなアラームは見つからなかった。ロボットの動作に関する設定がまとまっている、設定画面に切り替える。変な設定がないか確認しながら、ページをめくっていく。干渉防止機能は案の定、働いていなかった。そのせいで、ロボット同士がぶつかるような危険な動作をしてしまったようだ。
「干渉防止機能は無効になっています」
「ほう。いつ無効にされたか分かりますか」
ティーチングペンダントを操作して無効にしたなら、その操作を行った履歴が残っているはずである。死亡推定時刻周辺での操作履歴を確認する。操作履歴では、何時何分にどんなキーを押していたのか、どんなプログラムが動いていたのかを確認することができる。この機能はオペレーターが使うというよりも、私のようなロボットのメーカーが不具合の調査などの保守のために使用することが多い。
結果は、干渉防止機能を無効にした形跡は見つからなかった。それどころか、二十三時頃にプログラムが動いていた形跡も無かった。しかし、素直に結果を受け入れる訳にはいかない。ロボットに詳しい人間によって消されている可能性もある。
「すみません。いつ無効にされたのか、もともと無効だったのかまでは、履歴が残っていなかったので分かりませんでした」
「それが分かっただけでも、十分です」
石島の言葉に、救われた気持ちになった。
「ロボットのプログラムは? どんな動きになってるか分かる?」
生駒に促され、選択されていたプログラムを確認した。
プログラムはいたって普通のものだった。ロボットのプログラムは基本的に、外部機器と通信するための信号の入出力と、ロボット自身の動作から構成される。作業を開始するための信号が入力されたら、加工済みのワークをパレットチェンジャから取り外し、自動倉庫から出てきた未加工のワークと付け替え、パレットチェンジャにそのワークを取り付け、作業が完了した信号を出力する。ロボットの動きも最短の経路を通るように作られており、決して人を殺すような動作は作りこまれていない。
「普通です。このプログラムで、そんな姿勢にはならないはずです」
私は、三角を形作る二台のロボットを指差した。
プログラムに問題がないとすると、ティーチングペンダントを片手に手動で動かしたのだろうか。いや、人を傷つけるほどのスピードで、きっちりした位置に移動することは極めて難しい。ましてやロボット二台を動かすのは不可能だ。選択されていたのとは別のプログラムが実行されていたとしか考えられない。何気なくティーチングペンダントの操作を続けていたところ、ネットワークの設定画面が表示された。IPアドレスやポート番号が入力されており、これらのロボットは工場のLANに繋がれているようだった。
「ロボットがネットワークに繋がっているみたいですね。となると、外部からパソコンを使ってプログラムを動かした可能性もあるかもしれません」
「えっ、操作盤を使わなくても、パソコンから動かすこともできるんですか。家庭のプリンターみたいに? 外部から動かしたかどうか分かりますか」
さも当然のように日常的に使っているので、石島が驚いたのを意外に思った。確かにプリンタと比較されてしまうと、ギャップがあるかもしれない。パソコンの周辺装置よりかは、少しは専門的で難しい。
「調べるのは難しいと思います」
外部からプログラムを実行していたとすると、プログラムはパソコンの中にあるということになる。また、操作履歴には運転に関する情報が残っていなかったので、これ以上ティーチングペンダントから調べることはできない。
「一応、データを取っておいてもいいですか」
「えぇ。我々にも同じものを提供して下さい」
コントローラと呼ばれるボックスにUSBメモリを差し込み、プログラムや設定を出力した。専用のソフトウェアを使えば、さらに詳しい解析をできるはずだ。幸い出張用のノートパソコンがあるので、会社に戻らなくても調べられる。
「ネットワークを使用した高度なシステムが組まれているようなので、全体像までは分かりませんでした。システムアップメーカーからも話を聞いた方がいいと思います」
バックアップを取り、片方のUSBメモリを石島に渡した。
「システムアップメーカーですか」
「ジャードはロボットを販売していますが、使い方はお客さんによって全然違います。システムアップメーカーは、その使用目的に合わせて工作機械やロボットを組み合わせて、システムを構築して売る企業です」
「分かりました、確認しておきます」
ふと振り向いた石島の視線の先を追う。紺色の作業着姿の男達が、銀色の袋を担架に乗せて立ち上がった。盛り上がった部分は人の形をしており、やはり加藤の遺体が中に入っているようだった。
「あたしは場所が見つかったから、ささっと解剖してくるよ。中川さんも連れてっていいよね」
急に生駒から名前を呼ばれ、危険を察知した方の意味でどきりとした。ごく自然を装って連れ去られようとしている。
「馬鹿言ってるんじゃない。とっとと一人で行け」
石島が追い払うように手をひらひらさせると、生駒は大人しく背中を向けた。私はほっと胸をなでおろした。現場を見た上に、司法解剖まで見せられることになっては堪らない。
生駒は担架を持った男達を引き連れて、工場を出て行った。
「では本日はこれで。明日は残りの工場関係者への聞き込みを予定しています。引き続き、ご協力をお願いします」
「分かりました。よろしくお願いします」
私は頭を下げながら、頼りにされたことを嬉しく感じていた。今日一日、必死に自分ができることをやったつもりだったが、なんとか力になれたようだった。
石島に続いて工場を出ると、外は薄暗くなっていた。受付の方が騒がしい。マスコミの数は警備室に聞き込みに行ったときよりも、さらに増えていた。
「今回の事件は、どんな風に報道されているんですか」
前を歩く石島に尋ねる。
「こちらからは捜査中とだけ伝えているんですけどね。殺人事件だとか、中川さんには言い辛いですがロボットの暴走だとか、好き放題言っていますよ」
ロボットの暴走――ロボットの技術者として、その言葉は胸に刺さる。加藤の死に、私も関与しているロボットの不具合が関係しているとしたら。想像するだけでも耐えがたい恐怖を感じる。
「こうして警官と一緒にいるところを見られていますし、この後、中川さんにも取材があると思います。対応はあなたの会社の方針にお任せしますが、私個人としては、無視することをお勧めしますが」
「お気遣いありがとうございます。でも、うちの製品を使って下さっているお客さんを心配させないように、誠実にお答えしたいと思います」
社長でも広報でも、無言で立ち去る無責任な社員の姿をテレビで見せるのは望んでいないと思う。ロボットの暴走などと報道されているようなら、なおさらだ。
「分かりました。あの中を歩くのは酷でしょう。駅まで送りますから、終わったら車に乗り込んでください」
「ありがとうございます」
石島と別れ、受付の横の出入口から外に出る。こうこうと照明がこちらに向けられ、フラッシュがたかれている。思わず手をかざした。
「一言お願いします」
「ジャード製のロボットが暴走したという噂がありますが」
矢継ぎ早に質問が浴びせかけられる。深く息を吸って、あらかじめ考えていた言葉を口にした。
「調査中のため、詳しく申し上げられませんが、ロボットの暴走は確認できておりません。できるだけ早く事実関係を確認し、判明次第お伝えしますので、ご容赦願います」
謝罪会見でしか見たことがないくらい腰を曲げて、頭を下げる。シャッターの音が一層激しくなった。
「現場はご覧になったんですか」
「ロボットの不具合の場合、賠償はありますか」
「被害者の遺族に対して一言」
質問が止むことはないが、これ以上伝えられることはない。インタビュアーの間を通って道路へと向かい、石島の運転するセダンの後部座席へと滑り込んだ。
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