虻追い

 「中央は我々が、右翼はナユーム族、左翼はキンネク族でいく。隊列を組め!」

 ハーラントが鬼角族のことばで復唱する。鬼角族は隊列を組んで突撃するということはほとんどないから、ここで並んでも、すぐにてんでバラバラになるだろうが、問題はない。

 「抜刀!」

 私が指示をする前から、ほとんどの鬼角族は抜刀しているのだが気分の問題だ。

 「ときの声を上げろ!」

 きょとんとしたハーラントが、こちらの顔をじっと見る。ああ、鬨の声という意味がわからないのか。ここで細かく説明するわけにはいかない。

 「ウォオオオオオオオオオオオオオオォ!」

 とりあえず大声で叫んで見せると、ハーラントは笑顔を見せ、吠えた。

 屈強な男たちが一斉に吠え、音の圧力で体がビリビリと震える。これで威圧はできたはずだ。

 シルヴィオに手で鏑矢かぶらやを射るように合図を送る。イングの操る荷馬車に乗ったシルヴィオは、天に向けて鏑矢を射る。高い笛の音が響き渡るとともに、右翼のナユーム族と左翼のキンネク族が駆けだした。隊列などすぐに崩れ、我先にと敵へ向かって突進する。

 「突撃!」

 遅ればせながら、私たちの部隊も敵の方へ進みはじめた。

 敵の側から見れば、中央の私たちの部隊が一番弱く見えるはずだ。しかい、中央突破をおこなおうとすると、左右の鬼角族に挟撃されることになる。

 そうだ、逃げることが最善の策だ。逃げてくれ、逃げるんだ。大声で敵に突撃しながら、私は心の中で敵が逃げ出すのを待っていた。

 敵が向かってくるのであれば、シルヴィオの弓で敵の数を減らしてもらう必要がある。振り返ると、シルヴィオが荷馬車の上でなにかをつぶやいているのが見える。風魔術を詠唱しはじめているのだ。安心して正面に向き直ると、敵の騎兵が隊列を崩し、馬首を南にむけて潰走かいそうしはじめるのが見えた。その選択は正しい。生き延びる可能性が一番高いのは逃げることだ、お互いに。

 距離は十分離れているから、そう簡単には追いつけないだろう。あまり深追いすると鏑矢の音が届かなくなるから、どこで撤退を伝えるかが問題になる。

 「シルヴィオ君、街道を南に越えたあたりで鏑矢を射てくれ。二連続で撤退の合図だ。二連続を二回、頼んだぞ」

 私の怒鳴り声が届いたのか、シルヴィオはつぶやくような詠唱を止め、えびらに矢を戻して鏑矢を手に取った。

 緊張が一度にとけるが、まだ敵の出方を見なければならない。逃げるだけであれば、部隊を複数に分けるという選択もある。反撃を考えるのであれば、一団となって撤退するだろう。

 「隊長、敵は部隊を二つに分けました。どうしますか」

 敵の騎兵は、おおよそ半分に分かれ、南西と南東に散らばっていく。南西に逃げた部隊には左翼のキンネク族が、南東に逃げた部隊には右翼のナユーム族がそれぞれ追撃をはじめる。

 いくら馬術が巧みでも、お互いが馬に乗っているわけなので、そう簡単には追いつけない様が見て取れる。出遅れていた私たちが、やっと街道までたどり着いたところでシルヴィオが鏑矢を連続して天へ向けて放った。甲高い音が鳴り響くが、西も左も止まるそぶりがみえない。

 すぐにシルヴィオが、鏑矢を再度連続で放つ。

 二度目の鏑矢で、まずキンネク族が速度を落とし、しばらくするとナユーム族も馬を止めるのがみえた。

 「シルヴィオ君、もう一度撤退の鏑矢を頼む」

 シルヴィオは素早く鏑矢を連射する。

 敵の騎兵はまだ潰走を続けているが、鬼角族たちは街道の方へ戻りはじめた。獅子が山犬を追い払ったようなものだが、山犬も数がいれば獅子をも殺すことがあるのだ。

 「イングと私はここに残る。馬車や馬をこちらまで連れてきて欲しい」

 ツベヒに命じると、残りの兵士を連れて荷物の方へ向かっていく。あの五十騎は、今後もあぶのように私たちにまとわりつくだろうが、そのことは問題にならないはずだ。機動力はこちらが上で、いつでも逃げ出すことはできるのだ。

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