放たれた矢

 まったくひどいものだ。

 火酒を置いてあった天幕こそ盛大に燃え上がっているが、私たちは馬を一頭失い、ろくに物資の破壊に成功していない。鬼角族たちに渡した松明も、明かりとして以上には使われていないようで、私たちの背後の天幕以外に火の手は上がっていなかった。

 「隊長、あそこに天幕が見えます。形状からすると、兵士の宿泊用天幕のようですね」

 ツベヒが前方を指さす。兵士たちは武器を持って出動しているはずだから、今はほとんど空になっているはずだ。この天幕を焼いても、兵士たちが困るだけで、戦況に影響を及ぼすことはないはずだ。

 「ここを燃やしても意味はない。先に進もう」そこまでいうと、思い直して天幕に向け怒鳴った。「天幕の中にいる兵士諸君! そこにそのまま留まっていれば安全だ。変な気を起こして、出てくるようなことはやめろ! 鬼角族にはことばが通じない。表に出れば、そのまま殺されるぞ」

 天幕の中に兵士がいたのかどうかはわからないが、戦わないですむということは、兵士たちには甘い誘惑になるのではないか。

 「なんで親父は、いつも戦わないように戦わないようにしようとするんだ。これは戦争だぜ」

 私の馬の横に立つイングが、不思議そうにいった。

 「もし、あの天幕の中に兵士がいるとする。そこに、松明を持った兵士が近づいてきたらどうする。どうせ死ぬなら、槍でひと突きしてやろうと思わないか。自暴自棄の兵士のために、私たちは兵士を失うか怪我人を抱えることになり、敵兵は無駄に死ぬことになる。だったら、お互いになにもしないのが正解だろう」

 わざと周囲にきこえるような大声で答えると、イングは肩をすくめた。天幕の中にいる兵士に、今のことばが届けばいいのだが。

 どれくらい時間がたっただろう。おおよそ半刻というところか。そろそろ潮時だ。シルヴィオに鏑矢かぶらやを射るよう命令を下そうとしたとき、積み上げられた大袋の向こう側に天幕らしきものが目に入る。

 「おい、ジンベジ君。あそこに天幕があるぞ。あの天幕は、いかにも士官が使いそうなものだ。あの天幕を片付けてから撤退しよう」

 末端の兵士たちは自分の命の安全を一番に願うが、士官となればそうはいかない。責任と自分の将来がかかっているのだ。

 「イングとジンベジ、ジンベジの部下は下馬しろ。ツベヒは周囲を警戒」

 そこまで命じると、シルヴィオに小声で火矢を射るよう伝える。私の持つ松明から、ぼろきれを巻き付けた矢に火が移され、弓鳴りとともに天幕に突き立てられる。

 雨に耐えるため、天幕用の厚手の布には油が引いてあるが、そう簡単に燃え上がるものではない。

 ジリジリ、ジリジリと布が焦げる音だけが響く。遠くで誰かの叫び声がきこえるが、天幕にすべての神経を向けている私たちには、別世界の出来事にすぎない。

 ボッという音とともに天幕が燃え上がりはじめるが、誰も出てこなかった。

 目でイングとジンベジに合図を送り、天幕の中を指さす。

 槍を構えたジンベジが、天幕の入り口を穂先で突いた瞬間、天幕の中から弓鳴りがして、入り口から矢が飛び出してくる。

 中に何人の兵士がいるのかはわからないが、暗闇の中で弓を持って待ち構えられるとかなり厄介だ。

 「シルヴィオ、四方から火矢を射っていぶり出してくれ。どこから出てくるかわからないぞ。下馬したものは天幕を包囲しろ」

 敵の反応を待つが、動きはない。

 「降伏するなら安全は約束する。出てこい!」

 返事はなかった。その間にも、シルヴィオが天幕の残り三方に火矢を突き立てていた。降伏を求めてはいるが、ゆっくりと待つ時間はない。

 後ろの方で何かがはじける大きな音がして、皆の意識がそちらに向いた瞬間、天幕の入り口から男が飛び出し、構えた弓から矢が放たれた。

 馬上で凍り付いている私へ。

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