生徒

 できるだけ自然に、そして笑顔で。そう心がけながら後ろを振りかえる。

 よほどの暇人か、旅人を狙う護摩ごまの灰でないかぎり、旅人に声をかけるようなことはないだろう。それに、この辺境の町に、都でよく見たおのぼりさんがいるわけもない。

「はい、なんでしょう」

 振り返ると、案の定一人の兵士が怪訝そうな顔でこちらを見ていた。

 鬼角族風の外套、毛皮の帽子、髭だらけの顔、伸ばし放題の髪の毛。今の私は、どこの山から下りてきたのかと思うような風体だ。このあたりに住んでいる辺境民といいっても通用するのではないか。訛りをまねてみようかと思ったとき、兵士から思いもよらぬことばが飛び出した。

「失礼ですが、ザロフ教官ではありませんか」

 驚きが表情にでてしまったのだろう。指摘した兵士が不思議そうな顔をした。

「やはりザロフ教官ですよね。私のことを覚えていませんか」

 じっくり兵士の顔を眺めるが、まったく心当たりがない。しかし、教官というからには、新兵訓練所の生徒であったのだろう。

「君は――すまない、顔に見覚えはあるのだが、名前が出てこないんだ」

「お久しぶりです、バイロニです。三十三期卒になります」

 だいたいの場合、こういっておけば相手は自分から名乗ってくれる。三十三期といえば、いまから十年ほど前のことになる。

「まあ、十年も前のことですから、お忘れになっていても仕方ありません。教官の教えが、何度も私の命を救ってくれました。いくら感謝しても感謝しきれませんよ。それで、いまはなにをされているのですか」

 いろいろと訓練はおこなったが、なにがこのバイロニの命を救ったのだろうか。一度、自分の教えたことのなにが役に立ったのかということを調べてみるのも面白いかもしれない。

「ああ、元気そうでなによりだバイロニ君」

 変な辺境訛りのモノマネなどしなくて本当によかった。私だと気がついても、態度が変わらないところからすると、お尋ね者にはなっていないようだ。

「恥ずかしながら、上官ともめて軍はお払い箱になったんだ。いまは羊を飼って暮らしている。いつもはターボルにいくのだが、戦争で取引先が無くなったので、このイブレルの町に来たんだ」

 つまらない嘘だが、バイロニは信じてくれるだろうか。

「教官のような有能な人をクビにするとは、軍も人を見る目がありませんね。だからギュッヒン侯が立ち上がったのですよ」

 この男は、ギュッヒン侯派であることは間違いないようだ。少しだけ発言に注意することにした。

「蜂起の噂はきいている。私も、あと十年若ければな。いまはしがない羊飼いだよ」

「それは残念です。ところで、この町にはなんの御用で」

「羊毛を売りにきたんだ。冬の食料が心もとなくて、食料を買うために現金が必要でね」

 こんな理由で納得するかどうかは微妙だが、羊毛を売りたいことは事実だ。バイロニは少しなにかを考えるような表情でいたが、すぐに何かを思いついたようだった。

「羊毛なら、おそらく古着屋で買い取ってもらえると思いますよ。この少し先に古着屋がありますので、一度訪ねることをお勧めします」

 貴重な情報だった。バイロニに感謝のことばを述べ、古着屋に向かおうとして思い直して振りかえった。ひとこと釘を刺しておかなければならない。

「バイロニ君。本当に申し訳ないんだが、私に会ったことはできるだけ他の人には教えないで欲しいんだ。かつての新兵学校の教官が、尾羽打ち枯らして羊飼いになっているなんて世間体が悪いからね。どうだ、頼めるかな」

 バイロニは、私の顔と服装をもう一度じっくり見てから答えた。

「教官、たしかに以前とは違いますが、職に貴賎はありませんよ。自立した生活をしてるのであれば、なにも恥じることはないと思います」

 逆に説教をくらってしまったが、私の希望を尊重してくれることを約束してもらえたので良しとしよう。私は古着屋へ急いだ。

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