絶世の美女

 麦がゆを食べ終わると、アコスタ以外の兵士達に鬼角族の秋営地、先日までギュッヒン侯の末っ子が陣を張っていた場所に移動するように命じた。ここにいない他の逃亡兵たちには、確実に水場がある鬼角族の秋営地くらいしか向かう場所はないし、私ならそうするだろうと考えたからだ。小麦の袋をひとつ渡し、雪が積もる前に、できるだけ急いで進むことが必要であることを重ねて指示した。

 私たちは、二頭の馬で鬼角族の冬営地へ向かう。アコスタを選んだのは、この中で馬に乗れるのがアコスタだけだからだ。

 ただ、ひとつ気がかりなのは、以前チュナム集落で馬に乗れる兵士を募ったとき、アコスタが手をあげなかったことだった。馬に乗れる兵士の顔と名前は覚えている。間違いなくアコスタはその中にはいなかった。余計な仕事から逃げるために、自分ができることをあえて黙っているのは、軍隊ではよくあることだが、危急の際に私情を優先させる兵士は信用できない。私はアコスタへの評価を一段階下げることにした。

 徒歩かちの逃亡兵たちは、かなり急げば二日で目的地まで到着するだろう。私たちは、急げば明日の昼までに冬営地に到着するはずだ。


 アコスタの乗馬技術はなかなかのもので、かなりの強行軍で進んだにもかかわらず、苦もなく追いかけてきた。チラチラと舞っていた雪が、少しづつ平野を白く染めていくので、夜は風を遮るような岩棚の下で眠ることにする。火が起こせないので外套にくるまって眠りにつくが、朝方の寒さで自然に目がさめてしまった。

 目を覚ましたのはアコスタも同じだったようで、暗いうちから出発し、その日の昼前に冬営地にたどり着いた。

 すっかり白く染まった平原の先に、秋営地にはなかった冬のための家々が見えてくる。春から秋までは、鬼角族は天幕に暮らすが、冬営地には土壁つちかべでつくられた建物が用意されている。冬でも、羊たちは屋外で放し飼いにしているのだが、人は土壁の家の中で過ごす。

「あれが鬼角族の住居だ。これから君たちも、あそこで暮らすことになる」

 建物を指さすと、アコスタが少しがっかりしたような顔をしたのを、私は見逃さなかった。もし、アコスタが軍隊の生活が嫌になって逃げだしたのであれば、後々問題を起こす可能性がある。

 素朴な、悪いいい方をすれば貧相な建物ではあるが、鬼角族の住居が極めて機能的であることは間違いない。

 馬で冬営地に乗りつけると、鬼角族の面々は、みなで天幕をたたみ、冬ごもりの支度をしている真っ最中であった。男たちの姿がほとんど見えないのは、少しでも羊を太らせるために放牧をしているのであろう。

「ツベヒかジンベジはいないか! ホエテテでもかまわない。誰かいないか」

 大声で呼びかけるが、誰からも返事はなかった。男手が足りないので、羊を追っているのであろうか。

「おい、ジジイ。あいつらは羊を追いにいってるぞ」

 声の方向をみると、ゆったりとした上着を着たユリアンカが立っていた。

「もう立てるようになったのか、ユリアンカさん」

 長いあいだ床にせっていたので、肌は真っ白になり、筋肉が落ちて体は一回り小さくなったように見える。

「ああ、立ち歩くくらいはできるようになったぞ。すぐに調子を取り戻してやる。ところで、隣の男は誰だ」

 アコスタは私の顔をチラリと見た。か弱く見えるユリアンカは、私たち人間の感覚では絶世の美女なのだ。

「この人はアコスタさんだ。反乱軍から逃げ出して、私たちと共に戦ってくれるそうだ」

 戦うということばに、アコスタが一瞬、驚いたような顔を見せた。

「もちろん、戦うのは将来のことだがな。とりあえずは羊の世話をしながら、乗馬の技術を磨いてもらうことになる」

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