まやかしの万能感

 夜通し馬に乗り、日の登る前に鬼角族の冬営地に到着した。

 見張りの誰何すいかの声に、ローハンと自分の名前を大声で答える。かなり一緒に時を過ごしているのだ、名前くらいは覚えてもらっているだろう。

「ツベヒとイングはいるか。ツベヒ! イング!」

 外套にくるまって眠っている戦士たちが目を覚ますことなどおこまいなく、大声で二人を探す。

「ツベヒ! イング!」

 二人はどこだ。

「ツベヒ! イン――」

「なんだよ親父。こんな夜中に大声で怒鳴るなよ」

 月明かりしかない闇の中で、立ち上がる人影が見える。

「イングか。お前にききたいことがある」

 ズカズカと人影の方に向かう。

「どうしたんだ、そんなに血相を変えて」

 イングの肩を両手でつかみ、真正面からその瞳を見つめる。

「思い出してほしい。敵の本隊に神官はいたか。医者じゃない神官だ。神官がいたかどうか教えろ」

 私の表情から、ただ事ではないと察したイングは、少し考えると視線をはずして申し訳なさそうにいった。

「すまない、俺は補給部隊の下っ端だから、本隊の偉いさんは見ていないんだ。どうせ俺とは関係ないと思っていたしな。神官なら、遠くからでも姿を見れば忘れないと思うんだが、神官を見た覚えはねえ」

 絶望のあまり左目がピクピクと痙攣する。計画の前提が間違っていたとなると、すべて意味がなくなるのだ。

「隊長、私は見ましたよ。神官がいるのを」

 後ろから、ツベヒの声がした。それは天使の声だった。

「本当か、ツベヒ。本当に神官がいたんだな」

 振り返って声のする方を見るが、ツベヒはまだ寝そべっているのか、どこにいるのかよくわからなかった。

「ええ、チュナム集落を通過するとき、金ぴかの重騎兵といっしょにオステオ・ギュッヒンの近くにいるのを見ました。間違いないですよ」

 うれしさのあまり、飛び上がりたくなる衝動を抑える。自分の手が、まだイングの肩を掴んでいるのを思い出し、その手を放そうとした時、うつむいたイングの顔に影が差すのが見えた。

 もともと暗いのだから影が差すというのはおかしいのだが、表情が曇ったことがはっきりわかった。

 誰からも期待されない男。

 神から与えられた贈物ギフトを使いこなせずに、ただの乱暴者と思われている男。

 役に立たない男。

 私が訓練トレーナーという贈物ギフトをいかすことができたのは、貴族の子弟としての教育があったことも大きい。運命はイングにそれを与えなかった。殴り合いに強い無法者というのが、誰もがイングへ持つ印象だった。

 教官は兵士にとっての教師でもある。教え子に疎外感を与えてどうするのだ。

 イングは間違いなく、いままで誰からも認められてこなかった。

「神官がいる! よかった!」

 そういうと、私はイングを思いっきり抱きしめた。

 神官を見つけることができなかった無能な兵士としてではなく、一緒に幸運を喜ぶ相手として。

「これで作戦は成功する、いや成功させて見せる。よかった」

 抱きしめたイングの肩を、何度もパンパンと叩く。その喜びは心の底からのものだ。

「親父、なにが嬉しいんだよ。神官がどうかしたのか」

 戸惑ったイングの声がきこえるが、無視して強く抱きしめる。

「なんだよ、親父。なにがあったんだよ」

 いつのまにか、イングの声に照れくささが混じるようになっていた。この男に必要なのは、頼られること、認められることだ。私のことを親父というなら、親父らしくこの男を成長させてやらなければならない。

「神官がいないと、すべて台無しだったんだ。イング、お前にも働いてもらうぞ。これから敵の本隊を攻撃する」

 後ろのツベヒから、驚いたような声がする。

「隊長、敵は二千以上いますよ。鬼角族だけでは絶対に勝てませんよ」

 まやかしの万能感が、私を包み込む。

「ツベヒ君、いまから本当の戦争というのを見せてやるよ。戦うばかりではない、本当の戦争というものをね」

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