奇跡は人のうちにあり

 大好きな祖母が体調を崩し、いよいと具合が悪くなったとき、私はヴィーネ神に祈った。

 私の命をおばあちゃんに分けてあげてください。自分は早く死んでもかまわないので、と。

 だが、奇跡はおきなかった。

 神は存在する。贈物ギフトがその証拠だ。

 ヴィーネ神が人の願いの全てに答えることはできないし、しないだろうとは思う。

 しかし、奇跡でも起きない限りユリアンカを助けることはできない。

「おい、ローハン。妹を助けろよ!」

 ハーラントの声で、我にかえる。

「なにボーっとしてるんだ、ローハン、なんとかしろよ」

 ハーラントは、私の胸倉をつかんだ。

 化膿――奇跡――治療――。

 分厚いてのひらが、私の左頬を張り飛ばす。その衝撃に膝から崩れ落ち、情けなく這いつくばる。

 贈物ギフト――奇跡――神官――。

「ローハン、何とかいえよ」

 床に倒れ込んだ私を、ハーラントが蹴り飛ばす。

 神殿はギュッヒン侯の味方か――虎の子の重騎兵をおもりにつける――医者――軍医――それとも神官――。

「おい、ローハン!」

 覆いかぶさってきたハーラントは、右の拳を振り下ろそうとする。

 イングと比べると、そのパンチは大振りで遅かった。

 左手で少し軌道をそらしてやると拳は空を切り、ハーラントは体勢を崩した。

 すかさず、左膝で背中から肝臓に蹴りを入れる。

 鬼角族にも肝臓はあるのだろうか。だが、不意をついた今の一撃に効果があったことは、表情からも見てとれる。

 イングかツベヒなら、敵の本隊に神官がいたかどうか見ているのではないか。

 外道げどうの軍医は当然いるだろうが、不慣れな西方にかわいい末っ子を派遣するのだ。治癒の贈物ギフトを持つ神官を従軍させていてもおかしくない。

「ハーラント、じゃれつくのもいい加減にしろ。まだ私は諦めていないぞ」

 馬乗りになったまま、族長が私の目をじっと見つめる。嘘や慰めでないことを確かめるように。

「熱が出たのはいつ頃かきいてくれ。あと、おしっこは出るのか、出ないならいつ頃からか教えてほしい」

 年頃の妹が排尿するかどうかという恥ずかしい質問も、こちらの表情が真剣であることを確認しているハーラントは、ためらいなく老婆へきいたようだ。

「熱がでたのは六日ほど前から。今でもおしっこは出るそうだ」

 尿がでるということは、まだ望みがある。膿の毒が内臓に回ると、尿がでなくなるという軍医のはなしを思い出す。

「わかった。だったら望みがある。ユリアンカを助ける方法はたった一つしかない。とても厳しい作戦だが頼めるか」

「妹は我にとってのたった一人の家族だ。どんなことでもやってやる」

 そういう返答があることはわかっていた。敵の軽騎兵を壊滅させられなかったことで、当初の私の計画は破綻はたんしている。その一方で、敵の重騎兵二十騎を打ち倒したという予想外の成功もあった。これはユリアンカを助けるための計画ではあるが、西方での戦いを終わらせるための作戦でもあるのだ。

「そういうと思っていた。これから私たちは、すべての兵力を使って敵の陣地を包囲する。羊が逃げないように見張る、最小限の人数だけをここに残してほしい。馬に乗れるのであれば、子どもでもいいから馬にのせてくれ。女も同じだ。馬に乗れるなら誰でもいい」

 怪訝そうな顔をしたハーラントだが、すぐにうなずいた。

「キンネク族の冬営地から、敵がいる秋営地まで黒鼻族の羊たちの足で、急がせて三日。明日の昼までにはここを出発させてくれ。私はすぐに冬営地に戻り、明日の朝には羊たちを敵の本隊へ向かわせる」

「ローハン、女と子どもまでも動員して戦うのか。敵を皆殺しにするんだな」

 敵を皆殺しにしても、ユリアンカは助からない。

「残念ながら違う。私たちは全戦力を動員して、ギュッヒン侯の末っ子に降伏しにいくんだ」

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