戦場の霧
鬼角族と私たちだけなら、夜に出発してもよかったが、黒鼻族、特に子羊たちには夜の行軍は難しいだろうということで、今晩はここに野営することとなった。
敵の軽騎兵はまだ百騎はいるはずなので、騎兵の数的優位も奪うこともできていない。ギュッヒン侯秘蔵の重騎兵を二十騎倒したことはうれしい誤算だが、足の遅い重騎兵を倒す必要はなかったことを考えると、喜びも半減だ。鬼角族たちは軍馬を三十頭ほど捕えており、死体から奪った小物とあわせて、みなホクホク顔をしている。鬼角族たちは壕を掘るシャベルなど扱ったことがなく、死体に土をかぶせる作業で疲れ切った私たち五人は、見張りを鬼角族にまかせて全員泥のように眠り込んでしまった。
明け方の寒さに震え、目をさます。息が白い。
寝る前に水を与え、防寒布をかぶせていた三人の敵兵を見にいくと、一人は事切れていた。二人には水を与えるが、冷たい水はあまり飲まなかった。
「出発する前に温かい飲み物を持ってくる。あとは仲間が来るのを待つんだ。いまできることはこれだけしかないが、できれば生き延びて欲しいと思っていることは信じてくれ」
返事はなく、私は息絶えた騎士の脇を抱えて、壕の方へ引きずっていく。両足を抱える方が楽なのだが、死者への敬意が足りないように思えたのだ。
ふと、騎士の右手に指輪が光るのが見えた。いったん死体をおろし、指輪を引っ張るとスルリと抜けたので、ケガをしている騎士のところへ戻る。
「あの騎士が持っていた指輪だ。遺体は土をかぶせることしかできないが、家族がいるなら渡してほしい」
指輪には、種類はわからないが大きな宝石がはめ込まれており、それなりの価値はありそうだ。
こちらへ視線を向けた騎士は、はじめて口を開いた。
「ありがとう、感謝する」
そういうと、すぐに真っすぐ天を見つめた。
西方では、宝石はあまり価値がない。金や銀も同じだ。もし、この騎士が生き残れば、私の紳士的善行は相手にも伝わるだろう。自身の打算的行為に
再び死体を抱え、壕にまで運ぶと、全身が汗でびっしょりになった。
寒さのため、それほどではないが、もともと壕であった場所には死臭が漂い始めている。
土を浅くかぶせると、他の四人が寝ているところまで戻り、火をおこしてお湯の準備をすることにした。
白湯を飲み、固い干し肉をかじる。約束したとおり、二人のケガ人にお湯を運んだ。
これで、チュナム集落ともお別れだ。
「おい、ローハン。これからどうするんだ。敵をもう一度叩くのか」
私は首を横に振った。
「北西に向かう。あなたたちキンネク族の冬営地で水を補給をして、そのままバウセン山に黒鼻族を連れていく」
「生き残った奴らに追跡されないか。羊どものために、身内を危険にさらしたくないぞ」
ハーラントの心配ももっともだが、黒鼻族五百人の水を補給できる場所がほかにないのだ。
「冬営地まで道案内できる騎兵に、黒鼻族を先導してもらう。私たちは、後方から近づいてくる可能性がある敵に警戒しながら進む。敵の騎兵が攻撃してくるようであれば、こんどこそ徹底的に打ちのめす」
ハーラントにはいわなかったが、冬営地に立ち寄るのには、もう一つ大きな理由があった。水場がなければ大部隊は駐留できないし、距離的に一番近かったのは秋営地のはずだ。敵の本隊を誘導するような動きもしておいたが、冬営地まで敵の部隊が進出している可能性もある。そうなると、キンネク族の女や子ども、羊たちが戻る場所を失っているわけだ。冬営地は、冬に羊たちへ食べさせる草がある場所だから、キンネク族のためには、なんとしてでも確保する必要がある。
けっきょく、戦場では情報を制したものが勝つのだ。
そのことは戦史から学んでいた。
だが、情報を得ることのなんと困難なことだろうか。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます