黒い雨

 ギュッヒン侯の決死隊は、全員伴侶と子どものいる老練な兵士達だった。戦争に勝った暁には、決死隊の家族には決して苦労はさせないし、子どもたちも軍学校にて立派な兵士とするという約束があったという。ギュッヒン侯に味方する兵士たちの中には、その決死隊の子どもや孫たちもいるだろう。恩人への絶対的忠誠心を持つ相手は、かなり手ごわいはずだ。

「教官殿、あれはこの前の岩山じゃないですか」

 ジンベジが指さした前方をみると、遠目に見ても敵の兵士が岩山の上に陣取っているのがわかる。

「ああ、敵はあの岩山を中心に防御陣地を準備しているようだ。先ほどいったように、私たちは敵の防御陣地ギリギリを通過し、弓兵の存在を確認してから真っすぐ東に進む。敵の軽騎兵が出てくるようであれば、陣地から離れた場所で攻撃する」

「あの岩山でキラキラしてるのは、例の重騎兵でしょうかね、隊長」

 シルヴィオのいうように、岩山の上では金属が反射してキラキラと光っている場所がある。

「そうだな。あれがギュッヒン侯の末っ子を守るお守役だ」

 岩山の頂では、重騎兵の突進力をいかすことはできないだろうが、指揮官の身辺警護が仕事なら仕方ない。

「教官殿、あのパタパタ振ってる旗はなんでしょうね」

 ジンベジのいうように、岩山の上で大きな旗と小さな旗が振られているのが見える。

「大きいのは西方軍団の軍団旗だな。自分たちが本来の西方軍団であることを示したいのか。小さい旗は、よくわからないな」

 ここまで来たのだ。あとは作戦を実行するしかない。

「よし、ジンベジ君。弓の射程ギリギリを通って東に抜ける。先駆けを頼むぞ」

 お調子者のジンベジは、いつになく緊張しているようで表情が硬い。

「岩山の上から弓を射るから、少しだけ距離を大きくとって欲しい。全力で駆け抜ければ、曲射で射られた弓はそうそう当たるものじゃない」

 ジンベジは無理に笑顔をつくった。

「ハーラントさん。さきほど説明したように、鏑矢かぶらやの音で敵を攻撃する。次の鏑矢で東に進む。土壇場で変更したが、みんなには伝わっているんだな」

「おう、大丈夫だ。ローハンよ」

 ハーラントがドンと胸を叩く。

吶喊とっかんの声は、ジンベジ君に任せる」

 少し考えた後、槍を高くかかげてジンベジはいきなり叫んだ。

「正義は我らにあり! ペン・ジンベジがお前らを先導する! 突撃チャージ!」

 どうせ意味など通じていない。ジンベジの声に、鬼角族たちは腹の底からあふれ出る怒声で答える。

 ジンベジの後ろを、大太刀を抜いた鬼角族全員が追う。

 馬術が特別にうまいわけではないので、鬼角族たちが本気になればジンベジを追い抜くこともできるだろうが、ハーラントの命令は徹底されているようだ。

「教官殿、これは最高に気持ちいいですよ! 騎兵が我先に敵へ突っ込んでいく気持ちがわかります!」

 ジンベジの絶叫は、少しずつ遅れはじめた戦車チャリオットの私たちにも届いた。熱くなりすぎている。

「シルヴィオ君、声を飛ばす魔術をジンベジに使えるか」シルヴィオがうなずくのを見て続ける。「熱くなりすぎて敵陣に近づきすぎると、弓の餌食になるぞと伝えてくれ」

 シルヴィオが詠唱をはじめ、何事かをつぶやく。叫んでいたジンベジが急に静かになり、こちらを振り返った。

 私が大げさな笑顔をみせると、ジンベジもニヤリと笑い返し、また叫び始めた。

 これで少し頭を冷やしたことだろう。

 いつのまにか、ほぼ最後尾になった戦車チャリオットから、敵陣の動きに変化がないかと目をこらす。ジンベジの先導は、絶妙な距離で敵陣を横切ることができる進路を選んでいた。岩山の上に弓兵がいるなら、斉射を試さないはずはない。

 敵陣までもう少し、あと少し、すぐそこ。

 次の瞬間、岩山から黒い雨が空に昇った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る