握手

「とりあえづ、中に入ってくだしゃい」

 素早く裏口から中に入ると、扉を静かに閉める。ニビは裏口にかんぬきをかけ、首を振って奥に行くよう促したように思った。思ったというのは、裏口を閉じると真っ暗になり、二足羊がどこにいるかも定かではないような暗闇になってしまったからだ。本来、羊は明るい場所での行動を好む動物で夜行性ではないはずだ。

「ニビさん、部屋が暗すぎて全く見えないのですが、灯りをつけてもらえませんか」

 返事はなく、羊が奥に入っていく音がきこえ、ぼうっと光が浮かぶ。

 光のほうに進むと、小さなテーブルの上に小さな発光体がおかれていた。

「しょちらのいしゅに、しゅわってくだしゃい」

 光に反応したニビの瞳孔は横長になり、まるで怒っているように見えた。

「ありがとう。それで、ワビ大隊長からの伝言はなにかありますか」

「なにもありましぇん」

 そっけない返事だ。

 数か月ともに暮らしたが、羊たちの感情は最後まで外見からはわからなかった。

「ここから先は、答えられる範囲でかまいません。いま町にいるのは、ギュッヒン侯の軍隊ですか。それとも国王派の軍隊ですか」

「ギュッヒンしゃまの軍隊でしゅ。鬼角どくを討伐しゅるために、ここに集結しぃているらしぃいでしゅ」

 なぜ、国王派と対峙している状況で、貴重な戦力を割いてまで鬼角族を討伐するのか。

 ギュッヒン侯の思惑が読めなかったが、いくつか思い当たることはある。

 シルヴィオとともにこちらへ送られた、二人の伝令がつかまったのだろう。同じ内容の命令書を持っていたとすれば、私が支配下の鬼角族をつかって、後方かく乱のために東方からギュッヒン侯の軍隊を攻撃すると考えたのかもしれない。ワビ大隊長の命令書も、敵にわざと誤解させるような内容で書かかれていた。しかし、仮にも軍神とよばれたギュッヒン侯が、こんな簡単な陽動作戦に騙されることがあるだろうか。

「ニビさん。この町に来た兵隊で、前に見覚えがある人間はいましたか」

 その表情からは、なにを考えているのかうかがい知れなかったが、羊は思ったより軽い口調で答えてくれた。

「正じぃき、私ぃたちに人間の区別はあまりつきましぇん。でしゅが、久しぃぶりと声をかけてくれる兵隊しゃんが何人かいたので、おしょらく、前からこの町にいた兵隊しゃんなのでしょう」

 以前この町にいた兵隊ということであれば、西方軍団の生き残りなのか。国王派として戦った部隊を再編制して、またこの町へ送り込んでいるというのであれば、別の目的があるのかもしれない。

 自分への忠誠度が低い部隊が、最後の最後で裏切ったりしないように、あえて遠隔地に隔離する策をとったのだろうか。鬼角族を討伐するという目的なら、国王を裏切っているというような心理的抵抗も少ない。鬼角族に大勝するようなことがあれば、さすが軍神だとギュッヒン侯の評価を高め、戦いを有利に運ぶことができる。もし負けても、潜在的な反対勢力をすり潰すことになる。

「貴重な情報ありがとうございます。商売人のあなたには、商売のお願いをするのが一番のお礼ということになるでしょう。ここに正銀貨が十枚ありますので、これで買えるかぎりの食料を買い込んでください。距離があるので、日持ちしないものは困ります。これは、西にあるルビアレナ村のノアルー村長から依頼された仕事です。戦争は関係ありません。私が生きていれば自分で買い付けた食料は運びますが、もし私が死んだとしても、ルビアレナ村は食料を求めているので、長く商売ができる相手だと思います。鬼角族の族長ハーラントとは話がついているので、ハーラントに運んでもらうこともできると思います」

「鬼角どくとは、商売できないでしゅ」

 強い口調でニビがいった。

「だったら、私が死ねば、食料はニビさんのものにしてもらってもかまいません」

 次の瞬間、ニビが突然右手をニュっと突き出した。

 モコモコ羊による突然の行動に呆然とするが、握手を求めていることに気がつくまで、あまり時間はかからなかった。

 右手を突き出し、強く蹄を握った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る