寸鉄帯びず

 新月に近いとはいえ、遮蔽物のない平原を進むのだから、歩哨に見つかる可能性は少なくなかった。底にびょうを打った軍靴ではなく、鬼角族に作ってもらった、柔らかい羊の皮でできた靴が歩く音を消してくれるとしても、姿勢を低くしないと星空に影が浮かび上がってしまう。

 できるだけ姿勢を低くし、右手と右足、左手と左足を同時に前に出して進んでいく。珍妙な歩き方なので、誰かに見られていれば笑われるかもしれないが、以前、体術を教わった時に習った忍び歩きの方法だ。軍の書庫にあったいかなる書物にも、このような歩き方を紹介するものはなかったが、静かに歩けているのだから問題はないだろう。この忍び足の方法を教えてくれた教官は誰だったか。顔は思い出すのだが名前がでてこない。どうでもいいことを考えているうちに、篝火かがりびまで五十歩くらいところまで近づいていた。

 ここからは地面に体を伏せ、這いながら進む。接地面積が増えることで、草に体が擦れる音が鳴らないようにさらに注意しながら街に近づいていく。

 歩哨の足音、咳払い、つぶやき声。まるで透明になったかのように、暗闇の中からすぐそばを歩く兵士を見つめる。

 年の頃なら、十七、八くらいか。知らない顔だ。

 もし知っていても、敵か味方かはわからないだろうが。

 その時、突然ヒュルヒュルという風の音がきこえ、篝火が一気に燃え上がると、そのまま篝籠かがりかごごと後ろに倒れこんだ。

「くそっ、なんだよこれ」

 歩哨は、あわてて倒れた篝火のほうへ向かう。

 私は立ち上がり、姿勢を低くして歩哨の警戒線を突破した。

 振り返ると、兵士が地面に撒き散らされた火のついた木片を、足で篝籠のなかに蹴りこんでいるのが見える。歩哨にとっては、とんだ災難だが、もし戦時下なら殺されている可能性もあることを考えれば、我慢してもらうしかないだろう。


 フェイルの町にきた目的は、草原の民の店を訪問することだ。私がチュナム集落の羊たちを助けたことは、主人のニビも知っている。多少の頼みなら、きいてもらえるのではないかという目論見を持って、町に侵入したのだ。住民の夜間外出禁止令が出ている可能性もあるので、できるだけ人目につかないない道を選んで、草原の民の店に向かう。

 町の中では、特に兵士による巡回などおこなわれていないようだった。それとも運がよかっただけかもしれない。小さな町なので、すぐに目的の雑貨店を見つけるが、すでに灯りはなく、主人のニビは眠りについているようだ。以前訪問した時には、店の外に農具や陶器が並べられていたが、いまは店内にあるのか見当たらない。店は平屋建て、表は店舗であるなら店主の羊は奥の部屋で眠っているだろう。通りを横切る危険はあるが、このままではどうしようもない。

 外出禁止令が出されている可能性もあるが、そういったものがないことを祈るだけだ。

 背筋を伸ばし、できるだけゆっくり、町の目抜き通りを渡る。誰何すいかの声はない。

 草原の民の店の反対側にまわり、裏口をノックする。

 一回、二回、三回。

 反応はない。

 四回、五回、六回。

 建物の中から、ゴソゴソ動く音がきこえる。

 七回、八回、九回。

 なにかが裏口の近くまで歩いてくる音がきこえた。

「ニビさん、夜分申し訳ありません。大切な用事があるんです。私はチュナム集落守備隊の隊長ローハン・ザロフといいます。何度かこの店で買い物をしたことを覚えていませんか。飴を壺二つ買ったローハンです」

「こんな夜更けに、なんの用ぢでしゅか」

 くぐもった声で、中から返事があった。

「鬼角族を討伐して、戻ってみると本隊がいなくなっていたんです。ワビ大隊長からの指示では、なにかあればニビさんに伝言するということでした。いま、戦いがどうなっているか教えてもらえませんか」

 しばらくためらった後、ドアが少しだけ開いた。

「武器をもっているのであれば、しょこに置いてくだしゃい」

 私は両手を広げ、何も持っていないことをモフモフ羊に示した。

「武器どころか、釘の一本も持ってないですよ」

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