バウセン山

 近づいてくるバウセン山は思ったより標高が低く、山麓の広がりも慎ましいものだ。

 ただ、秋から冬に向かうこの時期、バウセン山にだけ青々と緑が生い茂る様は、枯草の海に浮かぶ緑色の鯨のようであった。

「ユリアンカさん、鍛冶屋たちは君たちのことばを話すことができるということだったが、普段はどんなことばを使っているのだろうか」

 ふと思いついたことをきいてみるが、返事はない。昨晩のスープに、香草セージ肉荳蔲ニクズクを入れろというのを拒否したことを怒っているのだろう。別にケチったわけではなく、スープに入れてもおいしくなるわけではないということを何度も説明したが、最後まで理解してもらえなかった。

 ハーラントによれば、鍛冶屋たちは鬼角族のことばを話すことができるらしい。ハーラントもユリアンカも、鍛冶屋たちのところへは行ったことがないらしいが、私たちと鬼角族の通訳ができるということで今回の旅にユリアンカを同伴することになったのだ。ご機嫌ななめなユリアンカだが、いざという時は通訳の仕事くらいしてくれるだろうと信じ、バウセン山に馬をすすめた。


 豊かな緑は大木ではなく、細いが人の背丈ほどもある草のように見えた。風になびく背の高い草は、バウセン山への侵入を防ぐ自然の壁のようだ。

 ユリアンカは無言で、馬首を北にめぐらせた。緑の浮島の周囲を回るつもりのようだ。

 どこにいくつもりなのかと思ったが、すぐに緑の壁に切れ目がみえ、馬が一頭通れるかどうかの山頂へと続きそうな獣道があらわれる。ユリアンカは馬を降り、顎をしゃくってついてくるようにうながした。

 私たちも下馬し、馬の手綱を取ってユリアンカに続く。道の左右には、背の高い草が茂っており、あまり人が行き来していないことがうかがえた。

「教官、この草はなんなんですか。いま軽く触ったら手のひらが切れました」

 大声に驚き、後ろを振り返ると、ジンベジが手のひらをこちらに向けていた。

 出血の量は大したことがないが、この未知の植物には毒があるかもしれない。

「ユリアンカさん、ジンベジが手のひらを草で切ったんだ。毒があるかどうか知らないか」

 毒ならば処置が必要だ。バウセン山の周りを囲むように植えられている草が、毒を持つ可能性は低くない。

「ユリアンカ! この草に毒はないのか」

 返事をしないユリアンカに、つい乱暴な口をきいてしまう。

 私の慌てた声に、振り返ったユリアンカはニヤリと笑った。

「あわてんなよ、ドケチ爺。この草には毒なんてねーよ」

 ホッとした顔をしたジンベジと、大人げなく怒鳴った私の顔を見ながら、ニヤニヤするユリアンカに素直に礼を述べることにする。

「ありがとう、ユリアンカさん。あなたには大したことでなくとも、私たちにとっては命にかかわることもあります。頼りにしてるんですから、お願いしますよ」

 まんざらでもない顔をしたユリアンカは、ふんと鼻を鳴らした。

 獣道をしばらく進むと、どこかから水の流れる音と、金属を打ち合わせるような音がきこえてくる。

 外からみた緑の山の大きさからすると、地下に洞窟でもないかぎり、そろそろ頂上近くまで登ってきているはずだ。金属の音が、だんだん大きくなる。うす暗い草の壁の先に、日の光がみえる。

 草の壁を抜けると、そこには開けた小さな村があった。

 なんの変哲もない、田舎の村。

 これが、鍛冶屋たちの村なのか。

 ユリアンカが大きな声で、なにかを叫ぶ。鬼角族のことばなので、私たちに意味はわからない。

 すぐに、数人の子どもたちが私たちのところに集まってきた。

 いや、子どもではない。皺や髭が、子どもではないことを表している。

 私たちより頭一つくらいは背が低いが、大人であることは表情からすぐにわかった。

「ユリアンカさん、鍛冶屋さんたちに私たちを紹介してくれないか」

 ユリアンカがなにかを話そうとしたとき、思いもしなかったことがおこった。

「なんだ、お前ら人間のことばが話せるのか」

 鍛冶屋の一人がはっきりといったのだ。

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