交渉成立

 ハーラントは私から視線を外し、少し何か考えているようだった。

「もう一つ条件がある。君がキンネクの族長になった場合、今後この黒鼻族の村を襲うことを永久にやめてもらいたい」

「ここの羊は我らにとって大変重要だ。羊なしではいろいろと困ったことになる」

 鬼角族の集落には、五百人が暮らすという。黒鼻族を三十日に三匹さらっていたっとして、食料を賄うことはできないはずだ。そもそも、鬼角族はなにを食べているのだろうか。

「これは個人的な関心なのだが、君たちキンネクは普段なにを食べているんだ」

「羊だ」私の納得できない顔をみて、ハーラントがことばをつぐ。「羊といっても、お前たちも食う四本足の羊のことだぞ。我らは、羊と馬を育てて生活しておる」

 鬼角族の生活習慣のことはあまりわかっていなかったが、いわゆる遊牧生活をしているのだろう。

「だったら別に、この村を襲わなくてもいいんじゃないか」

「そうはいかん。まず、ここの羊は脂がのってうまい」

 ふと人間も食べるのかという考えが頭をよぎったが、ハーラントの母が人間であることからも、人間は食べないのだろう。

「だったら我慢してもらうしかない。黒鼻族は知性を持った君たちと同じ生き物だ。君もヤビツと話せばわかると思うよ」

「百歩譲って肉は我慢しよう。しかし、我らにとって、ここの羊の皮はなくてはならんものだ。お前の座っているその敷物も、あいつらの皮だぞ」

 触り心地がいいので、さきほどから指先で感触を楽しんでいた右手を止める。どんなに柔らかい手触りであっても、会話ができる知的生物の生皮の上では落ち着けない。

「この天幕も、敷物としては固くなったあいつらの皮を、なめし直して使っている。我らの生活には、ここの羊の皮はなくてはならないものなのだ」

「こればっかりは譲れない。君が族長となれば、この集落を襲わないという約束ができなければ、この話はすべてご破算だ。我々はここを撤退する。君がついてくるなら、軍の補助部隊として雇ってもらえるよう上司に頼んでもいい」

 ハーラントは再び、寝そべったまま遠くを見るような目をした。運が良くて傭兵、場合によってはひどい扱いを受けるかもしれない未来と、族長としてキンネクを率いる未来。どちらを選ぶかは明白だ。最後に一押しする。

「それに、これからは簡単に黒鼻族を狩ることはできないと思うぞ。本当のことをいえば、君の父親を殺したのは黒鼻族だった。私が羊たちに戦う方法を教えた。君の弟と戦う時も、私たちの中核は黒鼻族になる」

 ハーラントが私をにらみつける。口元が引きつったようにピクピクと痙攣しており、かなり気分を害したように見えた。

「すまない、戦闘中のことだとはいえ、あなたの父君のことは本当に残念だったと思っている」

 自分の軽率な発言について、素直に謝罪する。ハーラントは驚いたような顔でいった。

「いや、前にもいったと思うが、ルネラントの野郎が死んだことは別になんとも思ってないぞ。あいつの母への仕打ちを、我は絶対に忘れない」

 どのようなことがあったのか、いつか私に話してくれる時がくるかもしれないが、今は触れないでおこう。

「我が腹立たしいのは、羊ごときがキンネクの戦士より強いというお前のことばだ」

「前にもいったが、人間は弱い。黒鼻族もだ。だからこそ強くなるために努力する。私はそれを手伝っただけだ」

 鬼角族は、少し考えた後に自分を納得させるようにうなずいた。

「わかった、約束しよう。そのかわり、ここの羊の皮にかわるものを用意してくれ」

 私は了解した。牛の皮なら、大きさ的に代用品となるだろう。黒鼻族と交易ができればいいのだが、なにか特産品のようなものがあるのだろうか。

「それに、血の盟約だ。血のつながりがあれば、お前はキンネクを裏切れまい」

 またその話か。兄はそう思っても、妹は骨皮筋右衛門と結婚したくないだろうに。

 二度と裏切られるのはごめんだ。

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