予定された敗北

 どこからか私を呼ぶ声がする。

 私は死んだのだろうか。

 死んだにしては、頭と腰がズキズキと痛い。

「教官、目をさましてください。教官」

 ストルコムの声のようだ。

「おお、呼吸してるぞ。教官、大丈夫ですか」

 なかなか開こうとしない瞼を、意志の力でこじ開けようとする。

 どうやっても左目は開かなかったが、右の瞼を少しづつ開くと、まばゆい光が眼球に差し込み、自分が死んでいないことを確信できた。

「教官、左目はしばらく開かないと思いますよ。これ何本に見えます?」

 三本と答えると、ストルコムたちも納得したようだった。

「戦いはどうなったんだ」

「我々の負けですよ。てっきり教官も鬼角族のボスに殺されたと思ったんですが、蹴られたはずみでうまく壕にはまり込んだので、相手もそれ以上追い打ちできなかったみたいですよ」

 興奮気味のストルコムに、あまりききたくないことを問うた。

「こちらの被害はどれくらいだった。かなりやられたか」

「こちらで死んだのは一人です。練習通り、奇数番の兵士が間隔を縮めながら戦列を維持し、偶数番の兵士が後退して陣地に戻る、次はその半分が――」

「死んだのは誰だ」倒れる瞬間に見えた、敵の隊長格の男から、私の身代わりになって大太刀に刺し貫かれた兵士の姿を思い出した。「私の身代わりになって死んだのは」

 ストルコムは残念そうな声でいった。

「マヌエレという兵士です。とっさに教官を突き飛ばしたので、鬼角族のボスも教官に切りつけることができず、馬の上から蹴りをおみまいするだけで済んだんですよ」

「黒鼻族はどうなった」

「たぶん何人かは連れ去られたと思いますが、いつものことなのであきらめてるみたいです」

 マヌエレという名前は覚えている。壕を掘るときに、あぶれていたので指揮官代理に任命した若者だった。マヌエレが、なぜ私を助けようと思ったのか今となってはわからない。

 しかし、戦闘中に敵から目を離し、いざという時に体が動かなかった私の責任であることは間違いない。

「ストルコム君、起こしてくれるか」ストルコムの手を借りて立ち上がり、こちらを見ている兵士たちに声をかける。「みんな、今日は大変な一日だったな。私もこの様だが、なんとか生き延びた。今日はゆっくり休んでくれ。この借りは必ず返す。解散」

 誰からも、なんの反応もなかった。

 自分たちの指揮官が真っ先に蹴り飛ばされ、穴の中で気を失っていたのだから、私への信頼も地に落ちたのだろう。兵士たちは疲れた足で、宿泊用の天幕へトボトボと向かっていく。

 誰もいなくなった陣地の前で、あらためて自分の顔に触れてみる。

 左目の上が腫れあがっていて、これが左瞼を開くことができない原因のようだ。腰はジンジンと痛いが、それほど大きなケガではない。

 ふと目をやると、少し離れた地面に布をかけられた遺体らしきものがあった。

 おそるおそる近づき布をめくりあげると、血の気が引いた顔のマヌエレが見えた。

「君はなんで私を助けたんだ、マヌエレ。歳の順では、私の方が先に死ぬはずじゃないか。なんで私を助けた」

 返事がないのはわかっているが、きかずにはいられなかった。自然と涙があふれてくる。

 あとでマヌエレの家族に、子息は戦場で勇敢に戦ったことを伝える手紙を書こうと思う。

 そのまま本部天幕に戻り、ストルコムに手伝ってもらって、マヌエレを墓地に埋めることにした。


 戦場に遺体をそのままにしておくと、獣に傷つけられる可能性がある。

 普通は戦友が亡骸を埋めるものだが、マヌエレの遺体を埋めるものは誰もいなかったようだ。

 半刻ほどかけて、ストルコムに手伝ってもらいながら深い穴を掘った。

 穴を掘りながら、私が意識を失っている間のことを教えてもらう。

 戦いのはじめに私が死んだと思った兵士たちは、すっかり意気消沈してしまったが、あらかじめ訓練したとおり粛々と陣地の中に撤退していったらしい。壕と土塁という単純な防御であったが、馬から降りるのを嫌った鬼角族のおかげで、マヌエレ以外には傷を負ったものすらいなかったようだ。

「まあ、俺があらかじめ、みんなに教官殿のことを吹かしたのもあるんですがね」少し恥ずかしそうにしながら、ストルコムは続けた。「少しでも士気が上がるように、教官の噂に尾びれを付けていろいろと話してたもんで、みんな期待しすぎたんでしょうね」

「英雄だと思っていた隊長がただの雑魚だったわけだから、その落胆はすごいだろうな」

 マヌエレは、自分があこがれる英雄のために命を捨てたのかもしれない。

 本当は素手の間男を、短剣で殺して追放されただけだというのに。

「まあ、今はわからないかもしれませんが、誰もケガしていないってことはなかなか凄いことなんですけどね」

「だが、マヌエレ君は死んだ」

 嫌な沈黙が続き、それから二人でマヌエレの遺体を埋めた。

 その日は天幕に戻ってなにも考えず眠った。


「全体整列! 気をつけ!」ストルコムの声に、兵士たちは隊列を整えた。「隊長からお話がある。そのままきくように」

「おはよう、諸君。まず、勇敢に戦い、私をかばって命を失ったマヌエレ君に黙とうをささげたいと思う。黙とう!」

 兵士たちが自分が無事であったことを感謝しているのか、次の食事がどういうメニューなのかを考えているのかはわからないが、みな目を閉じて神妙にしていた。

「なおれ! 昨日はさんざんだったな。私もこの様だ」

 何人かの兵士がクスクスと笑っていた。笑えるというのは、いい兆しだ。

「我々は鬼角族に手も足も出なかった、そうだな」

 今度は誰も笑わなかった。笑わないということは、負けたことに不満があるということだろう。

「もともと、二十九人で百名の鬼角族を倒すということは不可能だった」

 苦虫を噛みつぶしたような顔をするもの、うつむくもの、ニヤニヤするもの、兵士たちの表情はバラバラであった。

「勝てない戦いで、私たちは無駄に人命を失うことはできなかった。しかし、次に鬼角族が襲ってきたときには、必ずマヌエレ君の仇はとって見せる」

「どうやって、あの鬼角族をやっつけるんですか。補充兵が来ても、せいぜいこちらは六十人。百人の騎兵相手に、六十名じゃあ勝ち目はないですよ」

「ありがとうディスタン君。その質問はもっともだ。六十対百では勝ち目はない。だが、こちらにはあと二百名の兵士が味方になる」ディスタンは、私がなにをいっているかわからないようだった。「黒鼻族を兵士として徴用する。敵も味方も、なぜか黒鼻族は戦争に役に立たないと思っているようだが、そんなことはない。私が立派な兵士に鍛え上げてやる」

「あんな毛むくじゃらが、戦争で役に立つとは思えませんよ、隊長」

 誰かが声をあげた。おそらく、他の兵士もそう思っているだろう。

「一年にこの黒鼻族の村から、何人が連れ去られると思う? 少なくとも四十名だ。十年前にはここには千名の黒鼻族がいたというが、今では五百名以下になっている。あの鬼角族さえ、黒鼻族を殺しすぎると自分たちが困るのでに制限をしているんだぞ。戦えないのであれば滅亡するしかない。これは、我々の戦いであるとともに、モフモフ達が生き延びるための戦いでもある。あの黒鼻族も、自分たちが戦えるのであれば戦いたいと考えていることを、私は知っている。油断している鬼角族は、またノコノコあらわれて、黒鼻族をさらっていこうとするだろう。人間の指揮官が不甲斐ないことを知っているからな!」

 またクスクス笑う声がきこえた。

「しかし、君たちは覚悟しなければならない。一人殺しただけで、鬼角族は報復で私たちの仲間を20人以上殺した。我々が鬼角族を撃退すれば、その後は血で血を洗う殺しあいが続くことになる。その覚悟があるか?」

「やりますよ、隊長!」「俺たちは戦うためにきたんだ」「武功を立てて、兄貴の鼻を明かしてやる」

 ざっとみて三分の二以上の兵士が、口々に賛成の声をあげていた。

 残りの兵士たちの気持ちはわからないが、この雰囲気では反対できないだろう。

「諸君の気持ちはわかった。それでは、今日からまた穴掘りだ。すぐに補充兵がくるから、そのあとで密集体形での機動を訓練することになる。それでは、まずはしっかり朝飯を食べてくれ。解散!」

 興奮気味の兵士たちは、食事のために広場から離れていった。ストルコムが驚いたような顔で近づいてきた。

「教官、なかなかいい演説でしたね! あれをきいたら、男は誰でも奮い立ちますよ」

 平時であれば、兵士の士気を鼓舞できるのも、教官トレーナーの能力だ。

 私は少し照れながらいった。

「これも贈物ギフトの力だよ」

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