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「うわーん! また零士に負けたぁー!!」

「ふはははは、甘いのだよ明智くん。特にコーナーの突っ込みが四駆の癖に甘いのだ」

 ……数分後。

 結果は零士の圧勝だった。零士はRX-7特有なロータリーエンジンの瞬発力を生かした走りを見せ、小雪の方はGT-Rの積んでいる特殊な四輪駆動システム・アテーサE-TSを生かし切れないままに、敢えなく敗北してしまったというわけだ。

「小雪、賭けは俺の勝ちってことだ。約束は約束、明日の昼飯は頂いたぞ」

「うえー!? だって筑波って零士のホームコースみたいなもんじゃーん! ずるいよずるーい!」

「ホームだろうが何だろうが、FC程度は軽々とぶっちぎってこそのR乗りってもんだろ? その腕じゃあ、例え免許取ったとしても本物のGT-Rを乗りこなせる日は遠いな」

「むー! 零士の馬鹿、馬鹿馬鹿っ!!」

「ふははは、叩くな叩くな」

 ムキになった小雪がぽこぽこと胸を叩くのを、零士が変に大袈裟な高笑いで見下ろす。一七五センチ前後の体格の零士と、一五〇センチ半ばほどの小雪との体格差では、大体小雪の頭が零士の胸元にくるぐらいだ。だからか、こんな風にぽこぽこと胸を叩く小雪と受ける零士とでは、大人と子供というよりも、どちらかといえばじゃれ合う恋人同士のように見えてしまう。尤も、小雪はさておき零士にその気は皆無なのだが。

「……っと?」

 そうして小雪にされるがままになっている内、零士は懐で携帯電話が震えているのに気が付いた。

 チラリと懐を弄ると、ブルブルとバイブレーションで小刻みに震えているのは私用のスマートフォンでなく、仕事用・・・の古めかしい携帯電話の方だった。カシャッと画面の部分をスライドしてキーパッドが出てくる、昔ながらの奴だ。

 そのスライド式の携帯をスッと懐から少しだけ取り出し、零士はディスプレイに視線を落とす。

 ――――Charlotte Griffith。

「……!」

 死にかけのバックライトが淡く光るディスプレイを一瞥し、着信相手が誰かを認識すると。零士は相手が誰なのか、そして大方の要件に見当を付けた。

「悪い、ちょっと電話だ」

「あ、うん」

 小雪に一言言ってから、零士は彼女から離れ。そしてゲーセンの隅の方に寄りかかり、忍ぶように携帯を取り出し、スライドさせて左耳に当てれば電話に応答する。

「俺だ」

『突然電話を掛けてしまって、悪いね。少し大丈夫かい?』

 気さくに、しかし冷静さを醸し出す声音で話しかけてくる電話の相手は、明らかに女の声だった。零士にとって誰よりも聞き慣れた、そんな女の声だ。

 そんな風な彼女の言葉に、零士は「構わない、話してくれシャーリィ」と短く返す。その零士の声音は、普段よりも明らかに低いトーンで。先程までの小雪とのやり取りには微塵も感じさせなかった、深い影を落としたような低い声だった。

『助かるよ、急用でね。

 ――――仕事だ、サイファー』

「問題ない。今は小雪に付き合わされて街のゲーセンだが。場所次第ではあるけど、即応も可能だ。話してくれ、シャーリィ」

 零士にシャーリィ、と呼ばれた彼女は『なら良かった』と口先で少しだけの安堵をし。その後で『でも』と言葉を続ければ、

『もしかしなくても、また小雪ちゃんに連れ回されてるんだね』

 と、現状を見透かしたようなことを言う。

「悪いか?」

 零士が当然のような顔で言い返せば、シャーリィは悪戯っぽい声で『別に』と返してくる。またいつものようにマールボロ・ライトの煙草を吹かしながら電話でもしているのか、声の節々に小さな吐息の気配を感じさせていた。

『でも、もしかして二人、もうデキてるのかなって。単純にそう思っただけだよ?』

「変な勘繰りは止してくれ、シャーリィ。……アイツと、そうなるつもりはないし、これからもそうなることは有り得ない。有り得ないんだ」

『ま、君ならそう言うと思ったよ』

 ほんの僅かな溜息交じりの声の向こうで、カチンとシャーリィがジッポーを鳴らす音が微かに聞こえてくる。

『……安心してくれたまえよ、場所は君の居るところからそう遠くない。仕事自体も至極簡単なものだ。それこそ、子供のおつかい程度にはね』

 ふぅ、と恐らくは紫煙混じりであろう息をついてから、少しの間を置いて。それからシャーリィは、くだんの仕事内容とやらの説明を始めた。

『三十分ほど前のことになるかな。ウチの末端構成員の一人なんだけれど、彼女の持っていたバッグ。組織の重要書類が入ったそれが、運悪く引ったくりに遭っちゃってね。発信器でバッグの居場所は特定しているから、君にはそれを取り返して欲しいってことさ』

「間抜けすぎやしないか、それ?」

 零士が至極尤もなことを呆れ気味に言うと、シャーリィもまた大きな溜息をつく。

『……何も言えないね、君の言う通りだよサイファー。間抜けを通り越して、哀れですらある。彼女には追って処分が下されるだろうね』

「で、俺はそれを取り返せば良いと」

『ついでに、中身を見られていた場合はその始末も、ね。中身にまだ手を付けていないようだったら、そのまま適当に締め上げてお灸を据える程度で構わない。始末する場合になっても、近くに処理班を待機させておくから、心配は無用だよ』

「……大体、なんで俺なんだ?」

 また小さな溜息をつきながら、零士が言う。

「わざわざ俺みたいなのを動かさなくても、他に手頃な奴が居るだろうに」

『即応できるのが君しか居ないんだ。分かってくれよ、サイファー』

「別に、文句を言うつもりはないさ。仕事なら仕事、割り切ってやる」

 肩を竦めながら零士はシャーリィに向かって言って、丁度自分の目の前、壁に打ち付けられていた少し大きめの鏡を見た。

 そこに映っているのは、自分だ。神北学園のブレザー制服を着ていなければ、十代と判別出来ない程度に――他の奴に言わせれば、二十代前半かそこら――老けて見える老け顔が、そこに映っている。

 左側を大きく垂らし、右側をザッと掻き上げた黒い前髪も、そして紐で結んだ長い襟足も。今まで小雪に向けていたモノとは明らかに違う、凄まじい深淵を湛えた双眸も。そして……垂らした前髪の下に見え隠れする、左眼にうっすらと走る縦の刀傷めいた傷跡も。

 その全てが、目の前の鏡に映っている。単なる学生・椿零士と、闇の世界に生きる彼、ゼロの意が込められた"サイファー"の名を冠する己との間で揺れる、彼のありのままを。今、彼の目の前にある鏡は映し出していた。

「……了解だ、今から現地に向かう。場所は?」

 そんな鏡の中の自分と向き合いながら、しかし視線は此処ではない何処かを向きながら。零士はポツリ、と呟くようにしてシャーリィへ告げ、そして問う。

『海沿い、工業地帯の近くにある廃倉庫。詳しい位置情報は携帯の方に送信しておくから、参照してくれたまえ』

「了解だ、仕事に取り掛かる」

『頼んだよ、サイファー』

 最後にシャーリィのそんな台詞を聞いてから、零士は通話を切った。カシャンと元のコンパクトな形にスライドさせた携帯を懐に収め、急ぎ足で小雪の方に戻っていく。

「零士ぃ、どうかした?」

 そうして戻っていけば、小雪がきょとんと首を傾げて、何となく呑気っぽい顔で問うてくる。それに零士は「悪い」と言って、

「ちょっとした野暮用が入っちまった」

「ありゃりゃ、じゃあ今日はお開き?」

「そうなるな。……悪いな小雪、一人で帰れるか?」

「へーきへーき。気にしないでよ零士っ」

 小雪だって年頃の女の子だ。零士が心配しつつ訊くと、小雪は「にゃはは」なんて笑いながらでそう言ってくる。

「もう子供じゃないんだし、私なら一人で大丈夫だから。それより、零士はさっさと用事済ませておいでって」

「……悪いな、小雪。この埋め合わせは今度、必ず」

「うむっ!」腕組みをし、胸を張り。どこぞの王様みたく偉そうな風で小雪が頷く。

「だったらー、ケーキでもご馳走して貰っちゃおうっかなー?」

「ははは、勘弁してくれ……」

「む、埋め合わせするんでしょー?」

「分かったよ、俺の負けだ。今度好きなだけケーキ奢ってやるから、それで勘弁な?」

「それでよろしいのだ、わっはっはっは」

 そんなこんなで小雪と、現地解散の形で別れて。零士は独り、小雪を残しゲームセンターを後にしていく。

 駐輪場へ急ぎ、停めていたVT250Fのエンジンに火を入れて。ヘルメットを被り跨がれば、すぐさま零士は駐輪場を飛び出していった。ヘルメットのバイザーの下に隠すその顔色を、先程までの呑気なものから一変させて。

 ――――コードネーム・サイファーのモノへと切り替えて。

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