第17話

「遅いです」

 待ち合わせ場所に着いた私達を迎えたのは、カーキ色の簡素な上着を羽織ったエリンだった。

 つばが広めの帽子をかぶり、それなりに「その辺の子供」で通じる格好で待合用のベンチに座っている。

 とはいえ、表情を見る限りそこまで大きな遅刻ではなさそうだった。

「ごめん。行こっか」

 寄り道で多少時間をオーバーしていたのは確かなので素直に謝る。

 ゼルはエリンの姿をじっと見て何かを吟味しているようだった。

「はい。採血器はこの辺りじゃ見つからなかったので、トナジルに急ぎましょう。ナイフでいいならまた昨日と同じ感じでお願いしたいんですけど」

「なるべくやりたくないね」

 ゼルは気怠けに返事をして、辺りを見回す。

「で、ここ馬車待ちの広場に見えるけど。走って向かうんだよね?」

 距離にもよるが、馬車で数日以内の道のりなら私達は全力で走ったほうが早い。

 呪術で身体を強化して、戦闘を想定しないペース配分で行けば、という条件でだが。

 エリンは呆れた顔でため息をついた。

「・・・・・・そう言うかもなぁとは思ってましたけど。私のこと計算に入れてくれてます?」

「レナが背負ってく」

 私かい。

 声には出さず突っ込みを入れた私に、エリンがゆっくりと不安そうな顔を向けてきた。

「いえ、レナさんがそれでいいならいいんですけど」

「まあ、悔しいけどそれが一番早いだろうから。ゼルは水とか重いもの持ってね」

「はーい」

 別に私は、根っからの怪力というわけではない。

 私が得意としている呪術が身体強化に特化しているため、結果的に力押しの仕事が向いているというだけである。

 今までの付き合いを見ていると、呪術を一切交えない力比べならゼルの方が強いのではないかという疑念すら持っているのだけど、そうでなかった場合無駄に傷つきそうなので確認はしていない。

「検問のところまでは自分で走ってね」

「分かってますよう」

 ここからトナジルまでは馬車を使った場合二日程度だ。

 元よりあまり距離のない区間なので、エリンを背負うことを考慮しても一日かからず着けることだろう。


 検問に向けて移動を開始しつつ、ふと気になったことをエリンに問いかけた。

「そういえば、行きはどうやってここまで来たの?」

「なけなしの手持ちを使って普通の馬車を使いましたよ。本当なら、そもそもトナジルを出ず中で助けを探したかったんですが・・・・・・ちゃんとした当てがあるわけではなかったので。下手な潜伏じゃコルベ家の情報網にすぐ引っかかるだろうから、とにかく一度街の外に出て安全を確保してくれというのが両親の希望でしたし」

 ふうん、と生返事をしながら考える。

 更に聞けば、エリンが私達に出会ったのはリスニルに入ってから丸一日は経ってからのことだそうで、そうなるとエリンが家を出てから今まででおおよそ四日は経過している計算だった。

「突入は既にされているとして、制圧もそんなにかからないだろうからなぁ。後はヴァール社がどれくらいの勢いでその話を拡散しているか、だけど」

 ゼルも似たようなことを考えていたらしい。

 事態の収拾は不可能と考えたほうがいい、というのが正直なところだ。

 おそらくは、エリンの家族を問題なく救えるかどうかというところに焦点が当たるだろう。それをエリン自身分かってはいるのか、エリンの表情は硬い。

「今推測しても疲れるだけです。図々しいのは承知の上でお願いします――急いでください」

 三人で走る先に、検問が見えてくる。幸い空いているようだった。

「いいよ。こっちの事情に巻き込んだ詫びと、礼だ」

 エリンは何か聞きたそうな顔をしたが、結局口を開かなかった。

 検問のすぐ近くでスピードを落とし、いつもの通りのいい加減なやりとりで通過する。

 門番たちの視線が切れたところで、私は屈んでエリンに背中を差し出した。

「行こう」

「はい」

 おそるおそる私の肩につかまったエリンの太ももを持ち上げ、ゼルと視線を交わす。

 とにかく、全ては向こうについてからだ。

 私達は、飛び出すようにして走り出した。


 ******


 道中は特に何事もなく、その日の夕暮れ時に私達はトナジルに到着した。

 すれ違う人に軒並み驚いた顔をされたり、エリンが血に飢えたり(まだ我慢できそうだったので黙らせた)、街道から外れたところでこちらを眺めていた小型のモンスターをゼルが殺気だけで追い払ったりしていたが、せいぜいがその程度だった。

 流石に人一人背負って100km超の持久走はかなり疲れた。

 ゼルに「よく体力持つなぁ」と感心されたが、やらせておいてその言い草はないと思う。


 トナジルの街の印象を一言で表すと、雑然としているという表現がしっくりくる。

 ただそれは洗練されていないとか汚いということではなく、純粋に人と建物の密度が高いのだ。霊人と魔人が入り交じるこの場所は、独自の文化も多い。

 近年では、芸術方面での交流の場としても中心的な地位を築いているらしい。

 人工密度でいえば両国の首都に軍配が上がるだろうが、賑やかさでいえば互角以上。それが、この大陸最大の中立都市、トナジルというところだった。


 そんな賑やかな街の通りを、私とゼルは疾走の余韻でふらつきながら歩く。

 そして、私達の前を歩くエリンの周囲を警戒していた。

 情報収集は手分けして行ってもよかったのだが、エリンの正体がバレたり、コルベ家の手の者が何か仕掛けてきた場合にエリンを守る必要があったこと。また、取り敢えず人に顔を見せるのに私達が代わりになった方がいいことなどの理由で、私達は固まって行動していた。

「と、あれですね。すみませんが、あそこで新聞を買ってきてください」

 ふと足を止めて、エリンが一角の商店を指差す。

「おっけー。ツケとく」

「・・・・・・」

 狡いことを言いつつ、ゼルが新聞屋のところへ歩いていった。

 エリンは帽子を深めにかぶり直し、一つため息をつく。

「街の様子を見る限り、現在進行系で騒動が起きている様子はありませんが・・・・・・」

 実際、街を歩く人々に違和感はない。

 小さな揉め事やトラブル程度なら喧騒に紛れて分からないような場所なので、或いは気づけないだけかもしれないが、この時間だし流石に大丈夫だろう。

 通行の邪魔にならないように通りの端に寄ると、ゼルが新聞紙を片手に戻ってくる。

「概ね予想通りではあるけど、急いだ甲斐はありそうだよ」

「む」

 エリンがそれを受け取り、見出しに目を通す。私もエリンの肩越しに新聞を覗き込んだ。


 ヴァール社発行の新聞に書いてあった内容は、要点を抜き出すとこんな感じだった。


 コルベ家が「勇者を匿う恐ろしいバイエル家」を武力制圧し、今後トナジルを治めると宣言。

 勇者は制圧の際に死亡。バイエル家の人間に死者はないが、拘束している。

 バイエル家に下す罰は刑務部に問い合わせていて、検討中である。

 明日、民衆を集めた公開の場でコルベ家が一連の事態について会見を行う。


 刑務部というのは、特定の貴族に与しない司法組織で、霊魔両国にも似たような組織がある。古くは「特定の貴族に与しない」というのが完全に建前で、どうしようもなく腐敗していた時代もあったが最近ではそれなりに機能していたと思う。

 ひとまず、ここから何ができるかは分からないが最悪の事態には至っていないようだ。私が勝手に殺されたことになっているのもまあ、今はとやかく言うまい。

「これは・・・・・・」

 エリンは食い入るように記事を見つめている。

 暫く反応しそうになかったので、顔を上げてゼルに話しかけた。

「もう暗くなってきたし、今日の宿探しておく?」

「そうだね。今からでも色々できることはあるだろうけど、街中で作戦会議するわけにもいかないし。いずれにせよ本番は――」

 そこまでゼルが言ったところで、エリンは力のある眼差しをゼルに向けた。

「明日、ですね」

 エリンは新聞をグシャリと握って、口元を歪めた。


「民衆を味方にして完遂の予定だったんでしょうけど。目立ちたがりの代償を支払わせてやります」

 そう言い切るエリンの目に、不安でこわばっていた面影はなくなっていた。

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