第18話
傷が消えてなくなる、などということはありえない。
喉元を過ぎようが、全ての縁を奪われた痛みを忘れることはない。
だけど――そう。酷く、奇妙な感覚だった。
ゼルのお陰で、人の形を保っていられた。
この二ヶ月は奇跡のように穏やかな時間で、何かを得ることも失うこともなく、感傷に浸っていれば壊れずに生き延びることができた。
でもエリンと出会って、もう一度あの時のことに向き合って。
傷口が抉られると同時に、止まっていた流れが少しずつ動き出すのを感じている。
私とゼルだけで閉じていた世界に、初めて別の誰かの物語が交わった。
痛む。癒える。開く。
気づけば、前に踏み出そうとしている私がいる。
今はまだ流されるままだけれど。
それでも確かに、生きている。
******
夜になり、宿屋を選んだ私達は室内で作戦会議を始めていた。
部屋のサイズとしてはまた二人部屋だが、今回はベッド2つの他に大きめのソファーもある。昨日よりはマシな睡眠環境をエリンに提供できるだろう。
私とゼルはベッドの端に座り、エリンはもう片方のベッドに座っている。
「取り敢えず、目標からですね。最低限私の家の者の安全を確保して離脱することを考えていましたけど、少し欲張ろうと思います」
「具体的には?」
「明日の会見を滅茶苦茶にします」
私の問いに、エリンが即答する。
「乱入ってこと? そりゃ、騒ぎにはなるだろうけど」
「何をするのかはまだ決めていませんけど、ちょっかいを出せるとしたらここしかないはずです。警備は厚いかもしれませんが、お二人にどうにかしてもらおうかと」
「人任せだなぁ。お前は何をするんだよ」
「・・・・・・演説とかです」
呆れた顔で聞くゼルに、エリンの語尾がやや小さくなった。
一つ咳払いをして、エリンが姿勢を改める。
「つきましては、二人に何ができるのかを確認したいのですけど。あ、一対多の乱戦とかできます?」
何をさせるつもりなんだろう。
ただあまり小難しい仕事を振られるよりはマシだと思ったので、先に立候補をしておく。
「私は細かい芸とかはそんなに得意じゃないから、警備や傭兵を殴り飛ばす役があるならそっちをやるよ。ゼルは何でもできると思ってもらっていいけど」
「そんな便利屋みたいに思われてたの俺」
「でもできるでしょ?」
いやいや、と首を振るゼルと、私が今まで見たゼルの呪術を列挙していくのを見て、エリンはやや冷めた目でゼルの方を向く。
「私は最低限の自衛手段しかないですし、まあおそらくはお二人ともに暴れてもらうことにはなるでしょうけど。私に教えても差し支えない範囲で、使えそうな手札を教えてもらえると助かります」
「むう。逆に聞くけど、どんなのがあったらいいなとかそういうのを先に教えてよ。最悪、今から身につけられるものもあるし」
器用なことである。
といっても、覚えたての練度の低い呪術に頼るよりかは元より使えるもので済ませたいところだ。その辺りの采配も今回はエリンに任せる形にはなるが。
「では、こういうのは――」
尚、この後エリンが要求した呪術の内殆どに対してゼルは「使える」と答えていた。本当に何なんだ。
少し前に聞いた話では、「大抵は必要だから身につけたものだよ」なんて言っていたけれど。
思った以上に多才なゼルに怯えつつも、エリンは段取りを提案していく。予め状況に応じた方策を考えていたのか、作戦自体はスムーズに決まった。私にはそれがうまくいくかどうかあまり自信がなかったのだが、ゼルとエリンはそれなりに勝算があると考えているようだった。
一通り話し終えると、エリンは大きく息をついて背中からベッドに倒れ込んだ。
「そんなところですかね。じゃあ、明日に備えて寝ま・・・・・・」
そこまで言って、エリンは私達の顔色を伺うように上体だけを起こす。
「あの、やっぱり私がソファーなんです?」
「ごめん。部屋代ケチった」
「いえ、いいんですけど・・・・・・いやよくない・・・・・・何でしょうねこの」
エリンはブツブツ言いながら立ち上がり、予め宿に借りていた追加の掛け布団の元へ歩いていく。
彼女にとってはここまで雑に扱われるのも新鮮なのだろうし、特にゼルとの距離感については未だに計りかねる処があるのだろう。
元魔王だし、態度は軽いし、首絞められてるし。
・・・・・・並べると思っていたより酷い。
ちょっと不憫に思ったのでベッドを譲ろうかとも思ったのだが、それを言い出すと何か話が拗れそうな気がしたのでやめておいた。
エリンが掛け布団をソファーに運んでいく様子を見ていたら私も眠気が襲ってきて、寝間着に着替えることにする。
横になって数分は作戦のことが脳内を渦巻いていたが、昼間の持久走の疲れからか意識を手放すのにそこまで時間はかからなかった。
翌朝。
目を覚まして身体を起こすと、既に起きていたのか正面のソファーで膝を抱えて座るエリンの姿があった。
ちらりと横を見れば、ゼルはまだ眠っている。
視線をもとに戻すとエリンと目が合ったので、とりあえず小声でおはよう、と声をかけた。無言の会釈が返ってくる。
エリンの表情はやや硬い。少し考えて、私もソファーの方に行ってエリンの横に座った。
「ちゃんと眠れた?」
「ええ、まあ」
隣に座るときの反応を見る限り、エリンの緊張は私に対するものではなさそうだった。
となれば当然、作戦の方だろう。といっても、まだ時間はあるしその話をする気にはならなかった。
話題話題・・・・・・ええと。ああ、そうだ。
「そういえば、コルベ家って以前から面倒なの? 権力欲というか、そういうの」
「んー、そこそこに。うちの家が薄すぎるのかもしれませんが」
二人とも目は合わせず、なんとなくゼルが寝ているベッドの方を見ながら会話をする。
「コルベ家は多分、中立都市のトップを霊人族にしたいと思ってるんだと思います」
「ふうん?」
中立都市なのに? と思いかけて、混血であるバイエル家が特殊なだけであることに気付く。
「バイエル家は、ある意味混血だからこそ霊魔中立の象徴みたいなところはあるので。為政はそれなりに真面目にやってるつもりですけど、もともとそこまで格式が高い家ではないんですよね」
「でも民衆の支持はあったんでしょう?」
「それも混血だから、という理由が大きいとは思いますが。後は、代々女性が美人揃いなのも一因です」
言いながら、得意げに髪をかきあげるエリン。
いやまあ否定はしないけど。実際影響ありそうだし。
「加えて、遡ればバイエル家は魔人族の貴族なので。霊魔の戦争が終わっても、そういうところで優位に立ちたがるやつがいるってことです」
「そんなもんか」
エリンは小さく頷いて、身体をよりソファーに沈み込ませる。
「レナさんは、種族の差って意識します?」
「うーん・・・・・・」
まるでしない、というのは嘘になるだろう。
実際、言葉の訛りや見た目で、魔人族が自分と「同じではない」と意識させられることは幾度もあった。
――ただ。
「しなくはないけど。ゼルは全然」
「ゼル様、肌白いですよね・・・・・・ちょっと呆れるくらいに」
霊人族の間だと肌の白さは割と美的ステータスになるが、エリンから見てもアレは羨ましいのだろうか。
「でも、正直あんまり考えたことないかも。小さい差だし」
「そんなもんですか」
数秒の間、沈黙が続いた。
一度膝を抱え直して、エリンが呟くように口を開く。
「私は、どちらでもある半端者なので」
「・・・・・・」
純粋な霊人でも魔人でもない存在。今では、「トナジルを治めるバイエル家は混血の一族」という表現をされるが、初めて混血の子供が生まれた時の世間の反応はどうだったのだろう。
「自分とは違うお隣さんってどういう感覚なのかなって、たまに思うんですよね。そりゃまあ純粋な霊人も魔人も、厳密には私と違う人たちなんですけど」
或いは彼女にとって、種族的な争いは感覚的に分かりづらいものなのかもしれない。
理解できない理由で攻撃される、というのは独特のざわつく感覚がある。
エリンの心境を想像しつつ、私達の呪書の場合は理由どころか相手すら分からないんだったな、と自嘲気味に息を漏らした。
しかしお隣さん、か。
「私もあんまりわからないけど。知ってて面白いことでもないんじゃない?」
「ま、そうですね」
エリンが皮肉げに笑う。
「戦争の溝が浅い若い人間には、いずれにせよ関係ないのかもしれませんね。貴方達を見ていてもそうだし、街の様子を見たってそうですし」
ゼルとのことを言及されて、ふと出会ってすぐの頃のことを思い出した。
当時は、ゼルが「隣国の女王様」であることを意識して接し方に困っていたこともあったっけ。
今考えると、ゼルのイメージとここまで結びつかない言葉もなかなかない。
「ん・・・・・・」
ゼルが身じろぎしている。もう目を覚ますだろうか。
「では」
それを見て、エリンは立ち上がって私を見下ろした。
「今日は、よろしくお願いします」
「うん」
エリンに対する義理はあるような、ないようなだけれど。
大事な人を守ろうと戦う人間の手を振り払う理由もない。
うん、そうだ。それが一番しっくりくる。
小さなモヤが一つ、晴れた気がした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます