第16話
「ところで、ゼルマ様・・・・・・はまあいいか。レナーテさんは変装の必要はありませんか? トナジルでは容姿が伝わってると思うんですが」
一度ゼルに話しかけたエリンは、帽子と眼鏡を見て何かを察したのかそのまま私に顔を向けてきた。
「レナでいいよ」
顔の前に、隠すなら呼び名の方が先だ。顔は知られていてもごく少数だが、名前は流石に誰もが知るところである。
「ゼル様でいいよ」
「あ、はい」
ゼルが便乗して、エリンは呆れた顔で気の抜けた声を返す。
私は自分の髪先に触れながら話を戻した。
「私の顔が分かって生きてる人は殆どいないだろうけど、いたとしても当時とはちょっと雰囲気違うと思うから大丈夫、だとは思う」
「大体お前はすぐ分からなかったじゃん。エリンはなんて聞いてたの、その容姿の話」
ゼルの問いかけに、エリンは記憶をたどるようにこめかみに指を当てて唸る。
「ちょっと前に一度記事で見たきりなんですよね。大剣を持ち歩くショートカットの霊人族の女、くらいは書いてあった記憶がありますけど・・・・・・大剣もなければショートカットでもないですね」
大剣は置いてきた。髪は伸びた。
「俺が見た記事では、身長160cmくらいで如何にも人相が悪い、とも書いてあったな」
人相が悪いって。
私がちょっとショックを受けていると、ゼルがフォローを入れてくれた。
「どうせ情報源は、死んだ貴族の使用人とかでしょ。出会った状況が単純に怖かったから印象を盛ってるだけだと思うけどね」
理屈じゃそうかもしれないけど、顔に関して悪口を書かれているというのは純粋に傷つく。
「身長も話より大きい気がするんですが」
「言わないで。気にしてるの割と」
そう。今の私は165cm近くある。
ゼルに少し前に指摘されて初めて気付いたのだが、ゼルと旅を始めてから身長が伸びたのだ。
正確な数値はわからないが、おそらく3cmちょっと。たった2ヶ月で3cmである。
「俺も伸びたらよかったのになー」
「え、伸びたんですか!? 記事が間違ってたとかじゃなくて!?」
余計なことを口走るゼルをにらみつけるが、ゼルはにこにこするばかりでまるで効果がない。
「死んでた身体が生き返ったってことだよ。いいことだ」
「はあ」
ため息をつきながら不満を表現する。
まあ、呪書と戦うストレスで髪が抜けるよりかは、成長が止まる程度でよかったと思うべきかもしれない。
・・・・・・いやでも、覚えてないだけで割と髪も抜けてたんじゃないかなぁ。
「何にせよ、当時の情報とは殆ど一致しないということですか。それなら確かにビクビクして隠れる必要もないかもしれませんね」
「うん。俺はもっと情報少ないし」
ゼルは銀髪紅目の時点で目立っている気がするが、それ以外で魔王を彷彿とさせる要素がない。
グラウ氏のようなケースでなければ、見た目からどうこうは言われないだろう。
「では、トナジルに戻ったら最初は目立たず情報収集に徹したいので、私は地味な服を追加で買うことにします。後は道中の食料と、採血器と・・・・・・」
採血器ってその辺で売ってるのだろうか。
トナジルならまだありそうだが。
「帽子なら幾つかあるから貸すよ。眼鏡も」
「帽子はありがたくお借りしますね。眼鏡は・・・・・・いいです」
やや困惑気味に断るエリン。
ゼルの趣味はよくわからないが、それより気になることがあった。
「エリン、今お金あるの?」
「・・・・・・」
私の問いに、エリンは硬直した。
数秒してその目が泳ぎ始めたところで、ゼルが沈黙を破る。
「貸すよ。勿論」
「笑顔が怖いんですけど」
具体的に表現するなら、無利子とは思えない笑顔だった。
******
宿を出た私達は、一度二手に分かれてトナジル行きの準備をすることにした。
エリンは自身の服やら何やらを揃え、私達は食料を買って寄り道を済ませてから、リスニルの南側で落ち合うことになっている。
「で、どこに行くの?」
一通り物資を買って鞄に詰め込んだゼルが問いかけてくる。
「うん」
私は答えにならない返事をして、そのまま歩き出す。
後ろからゼルがついてくる気配を感じながら、私は後ろに手を差し出した。
「手を、握ってて」
前を向いたままなのでゼルの表情は見えない。
「ん」
ただ、返事の声色はとても優しくて。
それから私が足を止めるまで、私達は言葉を交わさなかった。
「ここ?」
足を止めた私を見て、ゼルが問いかけてくる。
私が頷くと、ゼルは握っている手に少し力を込めた。
私達の目の前には、小規模だが洒落た雰囲気の喫茶店がある。
――それは、かつての地獄の入り口だ。
足元がぐにゃり、と曲がるような錯覚に陥る。
この街に入った段階では、わざわざここに来るつもりはなかった。
だが、エリンに出会って、呪書の話をして。
思ったより、当時のことに向き合えているような気がして。今なら、この場所に足を運んでも耐えられるのではないかと思った。
今更ここに来たところで、何かが起こるわけでもない。
呪書に打ち勝てた気分になるわけでもない。
それでもここには、一度来なければならない気がしていた。
・・・・・・足がふらつく。動悸が激しくなる。
握られた手の熱さだけが、私の正気の防波堤だった。
大丈夫。私は、こうして生きている。
そのまま店の扉を開けようと一歩踏み出そうとして、
「レナ」
命綱にそれを止められた。
ゼルの方を振り返った私は、仕置きに怯える子供のような表情をしていたと思う。
「まだ頑張るなら、2つ目の方に行こう」
しかしゼルの表情と言葉は、私の勇み足を咎めるものではなく。
少し冷静さを取り戻せた私は、小さく頷いて踵を返していた。
2つ目。
つまりは、リスニル三番区の地下通路崩落跡に私達は向かった。正確な場所をゼルは知らないので、相変わらず私がゼルの手を引くような格好で進む。
喫茶の方と違い、こちらは景観ごと私が壊した場所なのである意味では1つ目以上に緊張する場所だった。
目的地への最後の曲がり角を過ぎて、私の目に入ってきたのは。
「――――」
何も起きてなどいなかったかのように、人々が道を行き交う光景で。
「まあ、地下も元通りとはいかないだろうけどね」
ゼルは気楽な様子で、表面上は完全に修復された道を眺めている。
奇妙な気分だった。
――破壊がなかったことになったわけではない。
だが、目の前の光景に破壊の痕跡はない。
――罪が消えたわけではない。
だが、傷が治るかのように動悸は収まっていく。
――恐怖が消えたわけでもない。
だが、その手を握っていれば私はここに立つことができる。
失ったものは、帰ってこない。
私の隣に立つのは、かつて守りたかった友ではない。
だけど。
コップから水が溢れるように、私の口から言葉が漏れる。
「私、生きてていいのかな」
ゼルが一歩寄り添って、私を見上げた。
「レナは俺を殺さなきゃいけないと思うのか?」
それは穏やかな口調で、ただ有無を言わせないような芯のある言葉だった。
「・・・・・・ごめん」
「いいよ。でも、そういうこと」
ゼルは繋いでいた手を解いて、そのかわりに私の腕にしがみつくように寄りかかってくる。
「俺は、少しレナが眩しい」
小さく呟かれた言葉に、私はそんな人間じゃないと答えてしまいそうになる。
ゼルの気持ちは、分からないことも多くて。
だから、きっと見ているものが違うんだろうなんて曖昧な理屈で自分を納得させて、無理やり言葉を飲み込んだ。
かつての悪夢が、脳裏に焼き付いたままであっても。
今この場において、私の震えは止まっていた。
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