第14話
「それで、今に至る」
この二年のことを語り終えた私は、そこでようやっと息を吐いて肩の力を抜いた。
思い出さなくてもいいことも沢山思い出してしまった。人を殺す感触、血の温度、知ってる人や知らない誰かの最期の声。
途中で何度も嫌なものがこみ上げてきそうになったが、背中に伝わるゼルの体温がそれを和らげてくれた。脱力して身体を預ける私はゼルの表情を見られないが、不安にはならない。たった二ヶ月ちょっとで随分とわかった気になっている自分がなんだかおかしかった。
一方で正面のエリンといえば、何かをこらえるように唇をぎゅっと閉じて、私――いや、私達を見つめている。
ゼルが体勢を変えようとしたので私も背筋を伸ばす。ゼルが私の隣に腰掛けるのを見てから、エリンは口を開いた。
「突っ込みたいところは山程あります。ただ、一つだけ聞くなら――」
そこまでいって、少し口ごもるエリン。
「その話は、もしかしてまだ」
「そうだよ。何も解決していない」
エリンが濁した結論を、ゼルははっきりと口にした。
「呪書を俺達に寄越した犯人は不明。目的も不明。そして、もう一度呪書が現れない保証はどこにもない」
それは言葉にしてしまえば、馬鹿馬鹿しい程に絶望的な話だ。
私達は、私達をこんなにした誰かについて何も知らないまま、恐怖の再来に怯えながら日々を過ごしている。呪書はあれが最後のページで、もう悲劇は二度と起こらないと信じた振りをしている。
傷を癒やし、恐怖を忘れるための旅。
言葉で示し合わせたわけではないけれど、この二人旅はそういう逃避行だ。
そして逃避を貫くなら、エリンにこうして話をするのは矛盾している。
私は、それを自覚していた。
「ありえないでしょう、そんなの・・・・・・」
エリンが大きく息を吐き肩を落とす。その声色は、私の話を疑っているのではなく、現実を信じたくないという気持ちの吐露に見えた。
「というか、よく平気そうに振る舞えますね」
振る舞えているか怪しいものだけど。
むしろその言葉は、私達の事情に巻き込まれて首を絞められたエリンの方にこそ贈りたい。
「俺達が信じている仮説があるんだよ」
そんなことを考える私を横目に、ゼルはそう言って前傾姿勢になった。
「あの呪書に俺達を殺す力はなかった。回りくどいやり方は、全部俺とレナに相打ちさせるための下準備だったってね」
それは、旅を始めて間もない頃に一度共有した話だった。
「そんな無茶苦茶な事象を引き起こせるのに、ゼルマ様達だけは直接殺すことはできなかったっていうんですか?」
「さあね。でも、その前提でいくと辻褄が合うことは多いんだ」
”誰か”は、私達を二人とも殺すつもりだった。
だが呪書そのものに私達を殺す力はなく、誰かを動かして殺させようとした。
ただ物理的に人を操作するというのは膨大な呪力が必要な上に、精密な動作を要求するのは難しい。呪書がアナとカスパルに瞬間的に干渉した(と思われる)時でさえ、二人の動作はかなりぎこちないものだった。
呪書が私達に直接物理的な干渉ができないのであれば、他人の操作を介して命を奪うのも難しい。それならば「無理やり二人に言うことを聞いてもらって相打ちさせてしまおう」――という筋書きだ。
「気になってたのは、自殺指令の件。俺のところにもきてたけど、アレはかなり効いたし終わりの方で言われていたら従ってもおかしくないような状態だった。でも、実際に自殺指令が来たのは俺もレナも最初の方だけだったんだよ」
「最初から自殺させる気はなかった、と?」
「推測だけどね。後半に自殺指令を出して、どっちか片方だけが生き残るケースを嫌がったのかもしれない」
私は自分の自殺未遂を思い出して微妙な顔になる。
その理屈だと、私は"誰か"の想定より精神が脆かったことになるので不名誉極まりない。
「で、結果的に相打ちは失敗した。俺達は呪書に逆らったけど、呪書に俺達を直接殺す手段はなくて、奪えるものも既に奪い尽くした後だったから、何もすることなく燃えてなくなったってこと」
「散々暴れておいて、本当は殺意がなかったというよりはその場では殺せなかった、と考えるほうが自然・・・・・・ってのは分かりますけどね。分かりますけど、うーん」
エリンは腕を組んで唸っている。
「だから、もし呪書がもう一度俺達の元に降ってきたとしても俺達自身が死ぬことはないだろうって希望的観測だよ。その場合、お前は呪書に巻き込まれて真っ先に死ぬ候補なんだけど」
「ああ、そこに話が戻ってくるんですね――って待ってくださいよ! ほんとに死んじゃうじゃないですか私!」
「さっき言ったじゃん」
「言いましたけどぉ!」
自衛のためで悪気はなかったので許してほしい。
いや、真の自衛は一切人と関わらないことなのだけど、今回に関してはいい案が浮かばなかったのだ。
私は昼間の場面を一瞬思い出しかけるも、済んでしまったことと首を振って記憶を外に追いやった。
エリンは涙目で叫んだと思えば、憔悴した様子でブツブツと何か呟いている。
「いやだってそんな・・・・・・どんな地雷掴めばこんな・・・・・・魔王と勇者かぁ・・・・・・」
私はゼルの話を引き継いで、気休めの言葉を投げる。
「でも、あの呪書がそんな気楽に追加できるものとは思えないし。一度失敗したのと全く同じツールで仕掛けてくるかも分からないから」
「ううー」
涙ぐむエリンがこちらを恨みがましい目で睨みつけてきたが、流石にもう怖くなかった。
・・・・・・いや。こうも馴れ馴れしくなってしまうと、縁を奪われる恐怖を否応にも思い出してしまって。
そういう意味では、怖くて仕方なかった。
なんとか落ち着いたエリンが、顔を少し下に向けたまま口を開く。
「お二人は、その呪書の送り主に・・・・・・」
そして、そこでまた止まる。
今度はゼルが答えることもなく、その沈黙は数秒間続いた。
「いえ。すみません、なんでもないです」
その一言で、空気が少し弛緩した。
「もう結構な時間か」
ゼルが窓の外を眺めながら呟く。見れば、確かにもう日は暮れかかっていた。
「で、どうする? そっちの事情も聞くって約束してたけど」
「あー・・・・・・」
ゼルに問いかけられたエリンは、疲れ切った顔で首を横に振った。
「急ぎではありますけど、明日の朝でいいです。どうせ今日は帰れませんし」
帰るというと、トナジルにだろうか。家出少女の送迎みたいな規模の話で済むなら気が楽なのだけど。
「ちなみに、凄く簡潔に言うならどんな話なの?」
細かく聞くのは明日にしても、少しは身構えておきたい。
私が問いかけると、エリンはちょっと困った顔をした後で私を見返し、こう答えた。
「嘘から出た真、ですかね」
はて。
私とゼルは、揃って首を傾げたのだった。
《Side:Selma》
レナが振り返るこの二年間の話を、じっと膝を丸めて聞いていた。
以前に聞いたところもあったが、改めて当時の心境を交えて語られる話は胸を抉られるかのようで。
背中から伝わってくる震えは、「まだ終わりから二ヶ月強しか経っていないのだ」という事実を脳内によぎらせた。
俺の方の呪書も、似たようなものではあった。
そうはいっても個々の指令は違うものだったし、俺がレナと共有できるのは理不尽に奪われる苦痛と恐怖だけだ。それにしたって、両親の時に一度失う痛みを経験している俺の方がマシだっただろう。
加えて・・・・・・ああ。その話も、そのうちレナにしてあげたいけど。
俺とレナを相打ちさせる気だったという推測に関して、伏せていた根拠がもうひとつある。
レナが呪書の指令で殺した魔人族の内、それなりの数が――俺の友人だった。
友人といっても、仕事や立場上付き合いが多いくらいの奴も含まれていたが、兎に角それはお互いに憎しみ合うよう仕向ける意図があったように思える。
実際、俺も最初の一年くらいは狙ったように知り合いを殺していく勇者なる人物に関して苛ついていたのだが、呪書の命令がより歪になってきたところで「二冊目の可能性」に思い至った。
俺からすれば、「俺の想像が及びもつかない呪術」の時点で霊人国の誰かの仕業ではないことは殆ど確信していたのだ。
だからこそ城内でそれとなく情報を集めたり、図書室で必死に研究したのだが――こちら側の人間でもこんな真似は不可能、という結論になった。
その辺りの事情もあったから、俺の方がレナを憎むには至らなかったのだけど。
レナに気を使わせたくないから、今までその話はしていなかった。ただ、今日の様子を見るならそろそろ伝えてもいいのかもしれない。
エリンと関わったことで、怯えて逃げるだけだった日々を見直すことになるのなら。
それは多分、悪いことではないはずだ。
・・・・・・エリン・バイエル。
取り乱した後、俺達に何かを言おうとして口を噤んだところを見て、俺は彼女の評価を上げていた。
あれは損得ではなく、こちらの心情をもって己の発言を顧みたものだ。
当たり前と言えばそれまでかもしれないが、貴族だとか特権階級という生き物は油断すればすぐそういうものを取り落としてしまう。
生来の気質か家柄かは知らない。だがエリンにそういう性質がきちんと残っているのであれば、この邂逅がこちらの丸損ということにはならないだろう。
彼女を不用意に絞め殺そうとした手を、俺はじっと見つめる。
あの場面を何度やり直したとしても、俺の行動は変わらなかったと思う。
だがその結果がレナにあんな顔をさせることだというのなら、あれはやはり間違っていた。
既に何度も諦めてきたことだとしても。
「諦めた」を、積み上げたくない。
レナがこの二年間に向き合い始めたのなら。
俺はそれを、なんとしてでも支えなければならない。
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